Daily・・・日々雑感

2007.11.12 (mon)
連鎖コラム【打合せでの格好】
 須永豪→敷浪一哉さま
こんにちは。須永です。
先月の飲み会は有意義でしたね。
ところで相談なのですが、
profileのコラム機能を使ってちょっと遊んでみませんか?
(面白く発展するかはわかりませんが。ははは。)
 じゃぁ、取っ掛かりとして。
『建て主さんとの打合せでの格好ってどうしてます?』
 個人で仕事をしていると、自分のやり方を通せる自由がありますよね。
そこで、他の建築家のかたはどうしてるのかな?と思って。
 僕の場合はスーツを着ることはまずなくて、
いつもかなりカジュアルな格好で、建て主さんとも会ってしまいます。
現場にも行きます。
ま、建て主さんと会うときはなるべくキレイ目な格好を心掛けているつもりですが、
「あの人の服のセンス、マズいね」とか言われてるかもしれません。
自信はありません・・・。
 唯一決めているのは、「ジーンズは履かない」こと。
(これは現場に行くときも)
理由は・・・、
うまく説明できないのですが、
じつはスーツを着ないことと、同じ理由のような気がします。
 シキナミくんの場合はどうですか

2007.11.11 (sun)
半年前にリニューアルのデザインをした吉祥寺のレストラン ラグーンのwebsiteができました。
よかったら見てみてください。
僕は以前からここの料理のファンでしたので、
味の方は自信を持ってお薦めできます。
須永家では「吉祥寺で一番美味しい」と評価されています。
あんまり「美味しいですよぉ!」と書いてしまうとウソ臭くなってしまうので控えますが、
お近くにいらした際は、ぜひ一度お試しくださいな。

2007.11.06 (tue)
遠視用メガネを術後1ヶ月してつくった。
一日中コンピューターを見つめての作業になることがあるので、
それ専用に、けっこう強い度の老眼鏡。(度数は忘れました)
そのメガネ屋さんいわく
「遠視メガネってまだ目のいい子供でも、宿題や読書のためには必要。
視力の良い目を維持してあげる、それは親の勤めだと思いますよ」とのこと。
始めて聞く話しだけど、僕もせっかくピントが合った目ん玉くんを大事にしたいので、
遠視メガネ使っている。
使ってみると、コンピューターの画面がワッと大きく見えるので、結構いい。
オモシロかったのは、
以前は強度の近視メガネをしてたおかげで、実際より目が小っこくなっていたのが、
今度は実際より大きくなってる!
なんだか少女マンガのような目だ。

2007.11.05 (mon)
朝の家がまた別の本にとり上げていただけることになったので、
コンセプトを以前書いたものをベースに、またあらためて書き直してみた。
時が経つと、文章も少しずつ変わってくるものみたいだ。
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 陽の射さない昔の家がありました。密集した住宅地です。
ここで家を建て替えることになりました。
 お父さんは「陽当たりを」と言い、
お母さんは「階段はあんまり・・・」と言い、
息子さんは「いずれは二世帯に」と言いました。
建て坪は9.5坪です。
 光は住宅街の隙間を縫って射し込むようにしました。
プランの一部が三角形なのはそのためです。
少し高台にあるこの家には、夜の闇が解けるとともに陽が射しはじめます。
だから「朝の家」。
 還暦を過ぎたご両親のために、寝室と水廻りは1階。
階段を昇り降りしなくてもワンフロアで生活ができます。
 息子さんはいずれ結婚もするでしょうから、建物は箱として最大の容量を確保しおきました。
視線が上へ下へ奥へ外へと抜けていくように作りましたので、狭さはまったく感じなくなりました。
 小さな敷地で生まれ替わった家はやはり小さな建物ですが、
新しい家はとっても明るく広くなりました。
いつかこの家は6人家族の2世帯住宅にだってなるかもしれません。
未来への可能性をたっぷり秘めて小さく産まれた“朝”の光です。
 そしてまた設計した私自身にとっても、これが初の単独物件でしたから、
今思えばこの小さな希望は、私にとっての「朝の家」でもありました。

2007.11.04 (sun)
以前手掛けた朝の家が、
現在発売中の雑誌『助六』に掲載されています。
『新しい「和」の提案』という扱いで6ページの掲載です。よかったらご覧ください。
(もう9月に発売されていたのですが、いまごろのアナウンス・・・ははは。
幸い季刊誌ですので、まだ売っていると思います。)

2007.11.03 (sat)
吉祥寺の家具ショップ『transista』で鈴木全太写真展が今日から2週間ある。
静かで、見つめるんじゃなくて見つづけている写真。
キューバの街角。人がなんとなく路地をブラブラしている。
「撮っても、撮らなくてもいい」そこまでいって、シャッターを押した。
そんな感じ。
だから、自分の壁にインテリアとしてポッと掛けられる。
 念の強いアートは部屋に飾ると心を乱されてしまう、美しすぎる毒花のようで、
購入する・所有するのにすごく深い悩みに陥るけれど、
transistaで掛けられていた写真たちにはそれがないので、安心して所有できる感じがある。
よく訊いてみたら、紙焼きを撮影者本人ではなくプロデューサーが間に入っておこなったとのこと。
ネガに焼き付けられた絵を、もうひとりの人物が冷静な心で解釈し翻訳し、
大切に大切に「観る人」との心の距離を測りながら、着地点を探していく。
まるで、絵本作家のような心での作業だったのではないだろうか。
しかも教えてもらうまで気が付かなかったけど、
このプリントは高精細なインクジェットプリンタで仕上げられたのだそうだ。
だから、ここまで安心して見られる作品に仕上がったのだろう。
機械のプリントアウトなら、掌の温度と生々しい緊張を感じなくて済む。
 たいてい写真というのは作品も一般のスナップ写真も、
第三者が観た時に、・・・すごくドキドキする。
他人の目玉(心)の穴から世界を覗いてしまったようなタブーが、
心の端に魚の骨みたいに引っ掛かる。(安部公房の『箱男』に近い感覚)
 「撮っても撮らなくてもいい」とこまでいった撮影者と、
素材の小骨を黙々と取り除いていったプロデューサーの静かな優しさ。
そこまで洗われて、やっとこの『インテリアとして掛けられる写真作品』は産まれたらしい。
けっして二流の芸術作品のことではない。
 吉祥寺の賑やかさからはちょっと離れた家具のお店。
質実で美しき家具達や鉢植えのグリーンと並んで、
「ひとの、ちょっと少し豊かな暮らしって、
もしかしたらこんなことかも知れませんよね」
と控えめに語りかけてくる。
すごく、いい場面に遭遇させてもらった。

2007.11.02 (fri)
flatmanというバンドを見てきた。
充満する音楽のエネルギーを感じられて、
たまらなくいい気持ちだった。
久々に味わった「連れていかれる」感じのするライブ。
彼らがもっともっと大きいハコで演っている姿が想像できる。
このままグングン伸びていって、
本当にうんとうんと多くのひとに聴いてもらえるといい。
チャンスさえあれば、彼らの音楽は確実に人の心に届くだろう。
ここでなにを書いたところで世の中に何のアクションにもなりゃあしなけど、
リンクを貼っておくのでよかったら是非聴いてみてください。
バスと彼女』という曲のプロモーションビデオが見られます。
「ありがち」「いまどき」なんて安い言葉で
切り捨てるひともいるかもしれないけど、それはすごくもったいない。
少なくとも僕は、彼らの音楽と言葉にすごく感じるものがあるのです。

2007.11.01 (thu)
炭は、
お互いが関係し合って、燃えていく、
真っ赤になった炭も一本だけでいては、すぐに冷めて黒いカタマリに戻ってしまう。
2・3本向かい合わせにしておくと、互いに熱をジリジリやり取りしながら、
持続的に燃えていく。
でも、くっ付き過ぎてもいけない。
苦しいほどに密接だと、ミカンが箱で腐っていくように、やはりダメになっていく。
ほどほどの風通しと、お互いに影響をジリジリ感じられくらいの近さがあると、
燃え続けることができる。
 真っ赤だった炭も外気に熱を奪われるのか、
少し冷えて黒っぽく戻るときがある。
そのときは灰の中に軽く埋めてしばらく放っておくと、
自己を回復するかのように、またチンチンに真っ赤な、元気に熱を発する奴になる。
 真新しい黒い炭を投入するときは、
いきなり燃え盛った中へ放り込だら破裂する。
破裂を繰り返し、燃えることなく惨めにただ粉々になっていくだけ。
しばらくは火の外側で様子を見るように寝かせて、環境に馴染ませてから参加させる。
文字通りのウォーミングアップ。
 ただ、新しい炭は燃え盛った真っ赤な炭たちに外側から添わせてみても、
それでは火は一向に移らない。
さかんに燃えている連中を一旦バラして、
新入りをど真ん中に据え、真っ赤なみんなで包み込むようにしてしばし待つ。
頃合いを見て掘り返してみれば、
新人は今や誰よりも赤々と、今にもドロリと溶け出しそうなほどの盛りで燃え、
疲れをみせ始めていた老兵に熱を与え支える役割にまでになっている。
思わず、「あぁこれが若さなのだな」と感心する。
そしてまた火種を一旦バラし、まだ黒い新人を中心に投入し、
先ほどの若者は包み込む円陣に加わる。
こうして少しずつ世代を交代しながら、
炭は燃えることを続けていく。
なんだか、これは人生訓みたいだな。
 火鉢を手にいれて一週間。
バーベキューすらしたことのない僕にも、
ようやく燃やし方が少しずつわかってきた。
・・・かと思えば翌日は、火がちゃんと持続してくれなかったりする。
いい日もあれば、乗らない日もある。
気まぐれなところも、また悪くない。

2007.10.18 (thu)
「建築家の作品づくりではありません。
あなたのための家づくりです」
一見正論に見えるが、
建築家というのは、作家のことだ。間違ってもらっちゃ困る。
写真家、画家、文筆家、
作家はいつでも『作品』を世に出現させるために、命を削っている。
自己満足なくして成り立たない、作家固有のワールド。
(コトバは悪いけど)その世界に釣られて依頼してきておいて、
「ここでは私のための家づくりに全力を注いでくれれば、それでいいのです」
なんて話しはないだろう。
あなたの家、それはわかってる。(幸せへのお手伝いをしたい、それくらいの善意だって持ち合わせているさ)
その上で建築家は、ただのあなたの家を超えたものをつくろうとする。
 『建築家』という言葉は、だいぶいい加減に使われていて、
魂のないただの設計屋も、商売熱心なプロデュース会社も、オキャクサマという小さな王様も、
この曖昧な言葉を、自分の都合のいいように利用する。
 フォトグラファーはhanakoの取材で付いてくるカメラマンと違うでしょ。
画家とイラストレーターも違う。
小説家はライターさんと違う。
同じように、建築家はただの設計屋とも違う。
作品づくりに魂を込める、作家だ。
(ま、「建築家は芸術家か?」という議論は、あっちの方で何百年でもやってもらっとくとして)
 ところで、須永豪は建築家だ。(自分で宣言するのは気恥ずかしいけど)
いままでもこれからも、しょうもない建物をつくる事は、ない。自分なりの意義を持ちながら作っている。
じゃぁ、どんな作家なの?
この問いに自分で答えるのはなかなか難しいものだが、なんとか言葉にしてみるなら、
完成したての作品をクライアントが・世間が「こんなのダメだ」と酷評したとしても、
30年後とか100年後とかクライアントが死ぬ時にでも、
「あ・・・、この建物でよかったんだ・・・」
と思ってもらえる建築作品を産み出したいと思っている。
建築は射程が長い。
人間の心は移ろうものだけれど、建築はいつでも静かにとどまっているもの。
そんな思いも一端となって、
僕は『サバイバルデザイン』という名をつけたんじゃないかと思う。

※い、いちおう断っときますと、
僕の場合は理解あるクライアントに恵まれてます。ホントです。
時々一般住宅雑誌を見たりすると、
『建築家』ってのがトンチンカンに扱われていてイラッとくることがあるので、
ここであらためてスナガの立場を表明しておきました。はい。

2007.10.17 (wed)
「おならぁー!」
と言えば、ウケると思ってる。
3歳7ヶ月。
かわいいかわいいの時期は、もうそろそろ終わりなのだろうか。

2007.10.16 (tue)
「草とか土とか木とか、踏んで柔らかい素材に舗装を換えましょう」
ウチのそばの、商店街活性化のミーティング。
また勝手なことを言ってみた。
その場の思いつきのわりに、展開がいろいろできそうだなぁと、
発展形がジワジワ思い浮かぶ。
グリーンベルト商店街。
悪くないかも。

2007.10.15 (mon)
この一年くらい、食の改革。
まず、「晩ご飯はお替わりをしない」ことにした。
次に、「大盛りは注文しない」ようにと決めた。
ここ1ヶ月でさらに大きく変わりつつある。
なんと、よく噛んで食べている。
「噛むのは胃の仕事」だと言い続けてきたのに、
今では、一口あたり30回くらい噛む。かむ。カム。
あと、人間の体に牛の乳はやっぱりいらないという結論に至った。
肉・揚げ物・乳製品もなるべく口にしない。
どうせ外食の際には避けられないのだから、ウチではあまり食べない。
もうこれからどんどんオッサンになるだけなので、
健康になりたいのです。

2007.10.14 (sun)
インターネットってのは、
どういうわけか、見れば見るほど、淋しくなる。
結局自分は独りだ ってことを確認して、
電源を落す。
その繰り返し。

2007.10.13 (sat)
『味付け』
って言葉が悪い。
「食材そのものに味はなくプレーンなものだから、
食べられるように味をつけてあげましょう」という無意識への刷り込みになる。
だから、
『味足し』って言えば良いのだ。
「食材にはそれぞれ味わいがあります。
もしなにかそれ以上に味を加えたいのなら、まぁ、・・・どうぞ」

2007.10.12 (fri)
怪我しないようにセーブしてみたり、
照れてながらこなしておいたり、
ハッスルでねらってみたり、
色々考えたが、どれもピンとこない。
運動不足にむくんだ身体、止まった風にすら負けながら、
あっぷあっぷと歯茎を剥き出して、
でもスッ転ぶほど全力で走るのだ。
オマエが見ている前で、
生きてることに手を抜かない。
 たかだか保育園の運動会だが、骨一本までなら犠牲も覚悟しよう。
必要とあらば、捨て身の大人を見せてやる。
オマエのとうちゃんはそういう人間なんだぜ。
(・・・と書きつつ、父兄参加の競技がありませんようにと心の中では祈っている)

2007.10.11 (thu)
『パンテオンの、アナ』
・・・なるほど。
空(くう)、内なる宇宙との接続。
安藤忠雄の『住吉の長屋』の中庭、
木のない中庭が、宇宙につながる。
すっきりしない空隙。
建築の強度に必要なのは、美しい廃墟になり得る、
存在としての強さを秘めた『殻』。それは気が付いていた。
あともうひとつ、
そうか、あいつ、うまいこと言うなぁ。
『パンテオンの、アナ』か。

2007.10.10 (wed)
さて、またなんか書いてみるか。
この数ヶ月隙間があいてるのは、
サービス的文章はいいや、って気になってきていた、それも確かにある。
ホントは書き留めてきたい思いつきとか気付き、出来事、
それはそれでいっぱいあるのだけど、
ただ、誰にでもわかる言葉で書くためにはけっこうな労があって、
いまはその労が捻出できなくなっている。
 書くことは、整理すること。
でも、整理している間に、頭が次に行ってしまうと、
もう、書くことが困難になる。
本人の感覚の世界だけが先行して、
整理するもうひとりのスナガさんは追うのが面倒になる。
『須永豪』というひとは、もともと根っからの内向的なのだ。
社交的な方のスナガさんは、ウルトラマンくらいの滞在時間でちょうどいい。
 もうここは、コラムというつもりじゃなくて、
「わかっても、わかんなくってもいいや」というくらいのスナガのメモ帳として、
頭の中がゴミ箱みたいなのと同じように、
伝えたかったり、理解されたかったりする欲とかサービス精神はめんどくさいから捨てちゃって、
忘れたくないことを残しておくために、
思想とか感覚の種を雑に植えてみるように、
アタマのゴミ箱の中味をひと掴み、
webのお皿の上に載せてみる。
毎日(分)書かなくたって、いいさ。
もう、読んでもらうために書くわけじゃない。
「いちおう、残しておくために」
ただそれだけのこと。
オモシロクもなくて、
「毎日新鮮」でもなくて
「言いたいこと」があるわけでもなくて、
何の役にも立たなくて、
期待されても応えない。
写真貼るのもリンクつけとくのも、
めんどくさいから、いいや。
もし知らない単語が出てきたら、なにか気になることが書いてあったなら、
そこから先は、どうぞ自分で調べてくださいな。
めんどくさいので、スミマセン、親切やめます。
 最近はもう、
楽しい仕事がやらせてもらえて、
変化しまくるコドモといつでも一緒にいられて、
自分と家族の未来が、以前よりも少し明るい方向に向かっているなという実感があって、
慕って来てくれる若者がいて、
自由に興味のおもむくままに時代の匂いを嗅いで、
読みたい本がそれなりにあって、でも読まなくてもいいやとも思えて、
そんな暮らしをできているのが十分楽しくって、
だから、べつにいいんですね。
日記を通して、誰かと繋がらなくっても。
僕はここにいるよと、ムリには言わなくっても。
林の中を、先へ先へ、光が見えた方に自然に体が向かうように、
説明しているより先に、
行ってみたいのです。
その道すがら、手が勝手に、触れた葉っぱをひと掴み引きちぎって、
握りしめながら掌でそれを確かめて、後ろ手にポイと捨てる、その程度に、
アタマのゴミ箱からひと掴みしたコトバを、
ぱらぱらっと道にこぼしていくくらいに、時々の戯言。
そんなんだったら、時々書けるかもしれない。
・・・し、ほぼ毎日書いちゃうことだって無くはないかもしれない。
さーて、そんな感じで、
なんかすっきりしたし、
じゃぁ、ひとまずさようなら。
なんか、すみません。サービス業になりきれなくって。
ひとを楽しませるのも好きだし、
読んでくれる人がいるから書ける、というのもあるんだけど、
これからしばらくは、
ただ勝手に書いて、置いておく、だけのところにしておこうと思います。
読んでくれる人がいても、いなくなっても、
書くことへのモチベーション・プレッシャーがぜーんぜん変わることがない、
なんだろう、
今までが『フリマ』だとすると、
これからは、
『やる気のないガレージセール』とか『野菜の無人スタンド』とか。
通り道で見てもいいし、見なくてもいいし、という程度。
ましてや、それを目的にして来る人なんかいない。
それにしても、まぁ・・・ずいぶんとダラダラ書いてしまったな。
じゃぁ、まとめとか考えずに、
ここで終わりにしちゃおっと。

2007.09.27 (thu)
「負けて出てくるような店が、吉祥寺にはもう無い気がする」
今日そんな話しをした。
店主の世界が一度や二度のお客には到底理解できない、"超えちゃってる"お店。
ヨドバシカメラのオープンが、これにトドメを射したことになるような気がする。
(僕も大歓迎していたクチではあるんですが・・・)
西荻では、負けて出てくるような店はまだまだあると思う。
ま、それでも吉祥寺が好きなのだ。
さーて、どうなっていくんでしょうねぇ。
いつまでもヘンな個人のエネルギーが発電している街であって欲しいのう。
渋谷化しそうでちょっと心配。
(またしてもwebの更新が止まりがちですが、ふつうに元気ですのでどうぞご心配なく)

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