Daily・・・日々雑感

2006.11.30 (thu)
ガスールというものを使っている。
乾燥肌なもので、毎年冬になるとお腹まわりの皮膚が
真っ白に粉を吹いて痛がゆくてたまらなかったのが、
今年は止まっている。恐るべしガスールパワー。
ガスールというのは泥パックのようなもので、髪・顔・体に塗りたくると、
スベスベでかなり良い。
乾燥肌でお悩みの方、こいつぁお薦めです。

2006.11.29 (wed)
ものすごーく悩んだあげくたどり着いたウマい解決というのは、
とっても単純で、ともすればありふれた答えに見えてしまうもの。
「こんな簡単なことに、なんでそんなに時間かかってんの?」と言われてしまいそう。
でもモノづくりをしている人ならこの感覚は、なんとなくわかるでしょう?
いずれ僕もスタッフに仕事をしてもらうようになるだろうから、
その時は軽々しく「オマエ、こんな簡単なことに・・・」なんて言わないようにしなくては。
使われる側の気持ち、よく覚えておこう。

2006.11.28 (tue)
「あぁ、いるよね。小さな王様って」
なにげなく口に出した言葉だけど、
たまたま拾ってくれる人がいたおかげで、
このところ頭の片隅でグルグルまわってる。
どんな場面でも、誰に対してでも、
僕の中の小さな王様が、おもてに出てこないようにしていたい。
(・・・・・・あ、いや、異論反論はいろいろあるかと思いますが、
まぁ、ここは大人になって・・・ねぇ、そーんな目で見なくっても)

2006.11.27 (mon)
月ノ魚というバンドを見てきた。
ひと言で表現するなら(失礼だよな)、民族楽器を持ったスカパラ。
とても勢いのいい独特の音をしたバンド。
もうあとひとつ、何かが変われば、
ビューンと抜けていくのだろうな。
まだまだ50人規模のライブハウスでの活動。
そのあとひとつが変われるか変われないか、苦しいだろうけど大きな分かれ道だろう。
モタモタしていても腐っちゃう。
無名がメジャーになっていく過渡期が、眺めていていちばんオモシロイんだろうな。

2006.11.26 (sun)
噛むのは胃の仕事。





2006.11.25 (sat)
あまりにも くだらなくてたまらん。
ひとりスターウォーズ
iTunesのポッドキャストで見られます。
またチャールズ・ロスのオフィシャルサイトでもダイジェスト版が。
ちょっとマルセ太郎を思い出した。
あぁ、日本人は惜しい芸を失ったなぁ。

2006.11.24 (fri)
『こだわり』という言葉、なんだか良いイメージで使われている場面を結構よく目にする。
「こだわりのラーメン」「アソビにこだわる」などなど。
ちなみに、『こだわる』を辞書で引くと、
大辞泉/ちょっとしたことを必要以上に気にする。
大辞林/心が何かにとらわれて、自由に考えることができなくなる。
と書かれている。
つまり、こだわりのラーメン屋さんは、
「ちょっとしたことを必要以上に気にして、自由に考えることができなくなっているラーメン屋さん」
のことである。
もちろん言葉は生き物なので意味は時代とともに変化する。教科書通りが良いとも思わない。
でも、こと「こだわる」という言葉に於いては、妙なキモチワルサがあるので
僕自身はつい使ってしまわないよう、
普段からけっこう注意深く、避けている言葉なのである。

2006.11.23 (thu)
「はーっぱ、これもはーっぱ、こっちはぁ、え だねぇ」
コドモには絵も字も区別がなくてみんな『柄』に見えてるみたい。
本なんかであれば、僕の本を開いて「じ ばっかりだね」と言うけれど。
そういえば、身の回りをぐるっと見回せば、家でも街でも電車でも公園ですら
うるさいくらいに文字の書いてあるものばかり。
コドモのように文字が柄に見えたら、ずっとラクに暮らせるのだろうなぁ。
絶対音感のある不自由っていうのも、こんな感じなのかもしれないなと思った。

2006.11.22 (wed)
インフルエンザ予防接種を受けてきた。
ワクチンはその保存料として水銀(チメロサール)が
使われているものが主流らしいのだが、
その世界での進んだ動きとしては、「なるべく使わないように」という方向に向かってはいるらしい。
とはいえ、ウチの近所の病院は7件訊いてみて全滅。
結局我が家の主治医のいる新宿恒心クリニックまでわざわざ行って受けてきた。
北里研究所の製剤だったのでおそらく安心だろう。
水銀入りの予防接種は、特に脳の発達期にある小児については「?」なこともあるようだ。
我が家も毎年ちょっとずつは進化している。
今年は3500円でした。

2006.11.21 (tue)
スクロールが機能しなくなった。
ネットで掃除方法を調べて、
隙間から細切りにしたポストイットを差し込んでみたり
だましだまし使ってきたがもう限界。
保証期間も過ぎたし壊れるのも覚悟して、マイティマウスの分解掃除。
焦る場面もありつつお掃除終了。
無事新品の動きに生き返りました。
もともと接着留めだった箇所は、両面テープを細切りにして代用。
これなら次回の分解清掃でも安心。
ところでいま気が付いたのですが、
分解云々については参考になるサイトもあるようですね。
ワタシ夢中でやってまして、そういや調べるということに気が向かいませんでした。

2006.11.20 (mon)
先週あたりから、ウチのコドモはナニ期からナンデ期に入った。
「これなーに?・・・これは?・・・これは?」
と訊かれてるうちは楽だったんだなぁ。
「なんで め ちゅぶってたの?」
「え、考え事してたから」
「なんで かんがえてたの?」
「んーとね、どうやったらいいお家になるかなぁって考えてたの」
「なんで いいおうちになるかなぁって かんがえてたの?」
「えっ?・・・。だってさぁ、いい方が・・・いいだろ?」
「なんで?」
「・・・。」
答えに窮するけど、なんか答えなきゃいけない。
連続して難問を吹っ掛けられる禅問答の緊張感、
ナンデ期には親が成長していきます。

2006.11.19 (sun)
広瀬鎌二の設計による上小沢邸を見学してきた。
言うなれば、『昭和のミース』。
大抵の建築は住むほどにマズくなる悲しさがあるものだが、
上小沢邸は、歳月をかけ住まい手によって建築が研ぎ澄まされていき、
ついには建築家の創造を超えてしまった稀な例。
驚くのは、家に『モノ』がほとんどないこと。
使わないものは持たない。
着るものは1枚買ったら1枚捨てる。
たとえ鉛筆一本でも、吟味に吟味を重ね本当に良いものをひとつだけ買う。
『陸の無人島』に好んで暮らしているようなライフスタイル。
また、住み手はドイツ文学の研究者だというのに、家のどこにも本棚はなく、
机にわずか数冊の辞書があるのみ。
「駄本を並べたってしょうがないでしょ。それよりこの素晴らしい空間を味わう最高の環境を作りたい」
・・・もう、生活そのものが研ぎ澄まされている。
こういう住まい方はクライアントの鏡。
建築家からしてみれば、「ホント、上小沢さんを見習ってほしい、ツメの垢でも・・・」
と思うものだが、間違ってはいけない。
クライアント以前に、建築がズバ抜けてイイのである。
こういうクライアントに出会うために、ここまで建築に惚れ込んでもらえるために、
結局必要なのは、まず良い建築を作っていること。
クライアントの人生を変えちゃうような、
「この建築さえあれば私の人生にはもう何もいらない」という格の建築をコツコツつくっていれば、
いつかこんなクライアントとも出会えるのでしょう。
・・・・・・とはいえ、僕自身は「捨てない豊かさ」の方も認めているので、ちっと複雑な心境です。

2006.11.18 (sat)
考えてみればホットカーペット・電気毛布は、電気の通った銅線が這っているのだから、
電磁波発生装置みたいなもんだ。
携帯電話は電磁波がモロに頭にくるからヤバいとか、
IHヒーターは妊婦さんの場合はお腹の位置だから気をつけた方が良いとか、
パソコンが、電子レンジが、家屋の壁内の電気配線が、
・・・などなど根拠の有る無しを問わず色々言われているけど、
程度の大小あれ、電気の通うところ電磁波アリ。
ところが、さっき嫌ぁなことに気が付いてしまった。
「ホットカーペットの上での昼寝」
これは相当ヤバそうだ。いままで我が家でもやってました。(新生児にもさせてました・・・)
あと電気毛布の日常的使用も、考えてみれば電線にくるまって寝ているようなもの。
人間コイルということになるんじゃないのかい?
こりゃぁ床暖房も、電気の力で床下のパネルを発熱させるような方式のものは敬遠しておいた方が良さそうだなぁ。
温水を流すタイプの床暖房は高価なんだけれども、そちらを使うことにしようと思います。
メーカーさんの名誉のために断っておきますと、人体への害について根拠は無いですよ。
でも私個人としては、なーんか腑に落ちないものは使うのやめときたいというだけです。
幸い、今まで僕の設計した物件では電気の床暖房を組み込んだのはありませんでした。
まぁ、床暖房が実現できるような予算のない物件が多かったということもありますが。
冬の寒さ対策としては、まず無垢の木の床、次に薪(ペレット)ストーブ、その次に温水パネルの床暖房、
survival designはこういう優先順位でやってます。

2006.11.17 (fri)
「このひとあなたと同じようなこと書いてるね」
なぬ?
←こちら本日の朝日新聞の朝刊。
なんだスナガは鴻上尚史のファンだったのか、
と思われるのは なんだかなぁ なので載せておきます。
(新聞に著作権はあるのだろうか?)
んで、ちょっと検索してみたらネットラジオで『生きのびるために笑う』という番組を発見。
・・・ここでも「サバイバル・デザイン」と何かがカブっている。
鴻上尚史、嫌いじゃないけどさ。
片や有名人、片や多摩地区在住の一般人。
なんだか癪である。
なんてこったい。
まぁいいや。
人は、乗り越えたり、勝つ必要など、まーったくない。
『逃げたり、負けたりしながら、ラクに生きていく』のは自分にも他人にも優しいことだと僕は思っている。
だから、やりたいことだけ うんとやる。

2006.11.16 (thu)
「中国産の食材はちょっとね・・・」
というくらいの意識はあったけど、このサイトを見てしまうと言葉を失う。
アジアの安全な食べ物
アメリカ産の牛肉にしても中国産の食材にしても、
スーパーマーケットでの購入は意識的に避けているが、
ファミレスや料理屋での食事まではどうにもならない。
外食で産地を表記していない牛肉は食べないようにしているけれど、
はて、中国産の野菜等、地雷をどうやって避けていったら良いのだろうか。
特にウーロン茶とか中国茶。
どうしようかのう。

2006.11.15 (wed)
箸を欲しがるので渡してみたら、数日で使えるようになっちゃった・・・。
え?え??
2歳と8ヶ月のはずである。



2006.11.14 (tue)
逃げちゃえばいいのだ。
つまらない学校なんて行かなくたってぜんぜんいいじゃん。
親が融通きかないなら、ちょっと勇気を出して親の財布や口座から
ありったけの金を持ち出して、沖縄にでもさぁ。
大阪でもディズニーランドでも、どこでも面白そうなところに行ってみればいい。
一週間でも二週間でも好きに遊んで暮らして、それから家に電話をしてみれば、
いくら頭の固い親だって、もう「がんばれ」なんてバカな事、言わないだろう。
きっと「好きなようにしていいから、帰ってきて顔を見せてくれ」って泣いて懇願するはず。
ま、同時に「バカ!」と叱られるとも思うけど、豪遊して「バカ」で済むならそりゃお得でしょう。
たしかに、死んだら楽になれるかもしれないけど、
実際に死んでみるのは、そうとう苦しいと思う。
プールで水飲んだだけで、あんだけゲホゲホ吐いて苦しい思いをするんだから、
首なんか吊ったら、・・・想像しただけでも恐ろしい。
それに、絞首刑を知る人の書いたによると、そう簡単に死ねるものでもないらしい。
この世のものとは思えない形相で、もだえ、あがき、うめき、やがて痙攣し、
心停止するまで平均して14分前後。
顔から目玉は飛び出して、舌はこんなに長いものかというほど剥きだし、
口のまわりは鮮血と嘔吐物でいっぱいで、首の筋肉が裂けて肉がはみ出したものすごい形相、
足下には糞尿・血・嘔吐物の水たまりができている。
ドラマで出てくる死体のようなんかじゃなく、
あまりの凄惨な情景はとてもじゃないが正視できたものじゃないのだそうだ。
僕だったら、そこまでして死ぬ勇気はないから、沖縄の方にするよ。
いじめだとかそんなのに付き合ってるのはホントにくだらない。
大人になったって同じ。くだらない連中がウヨウヨいて、そいつらがハバを利かせている。
だから、逃げるというのは賢い人の選択なのだ。
僕も今もよく逃げる。だって、楽しい事は逃げた先にあるんだもの。
世の中はホンンント、くだらないのだから、
マジメに付き合ってる必要なんてない。
オキナワ、いいと思うなぁ。

2006.11.13 (mon)
「僕がいるのはこのへん」
それくらいのいいかげんが良い。
「キリスト教とかイスラム教とかそのへんの考え方、僕も共感できるんだよね」
というくらいのいいかげん具合でいきたい。
google earthも楽しい。
文化の違いを知るのも楽しい。
ただ、グローバリゼーションと知性の先にあるものが
「差異を確かめる」という狭小な価値観なのなら、つまらない。
どんぶり勘定で行こうぜ。

2006.11.12 (sun)
「いってらっしゃい。車に気をつけるんだよ。調子に乗るんじゃないよ」
出掛けには必ず、母親にそう言われていた。子供の頃からズーッと。
だから「調子に乗るな」という言葉は「車に気をつけるんだよ」と同じくらいの、
当たり前の言葉だと思っていたが、どうやら世間では違ったらしい。
幸か不幸か、僕は褒められて育った。
「おまえは手先が器用だねぇ」
「おまえは外で遊ぶのが好きなんだねぇ」
「おまえは本が好きだねぇ」
「おまえは頭の回転が速いね」
「おまえはいつも泥だらけだね」
「おまえはオモシロいねぇ」
そういえば、否定的なことは言われた覚えがない。
それ故のびのびと育ち、同時にお調子者にもなっていったようだ。
『目を離すと調子に乗ってすぐアホな事をしでかすタイプ』
これには僕の子供時代を知らないカミさんも、膝を打つ。
「かっかっかっかっか、”調子に乗るんじゃないよ”ってあなたにピッタリの言葉だよ!!
あなたの墓石に彫る言葉はもう決まったねっ!」
僕の事をけなす時のカミさんは、どういう訳かこの上なくイキイキして、輝いてすらいる。
ちなみに、ウチのコドモは僕の性格を全面的に受け継いでいる。

2006.11.11 (sat)
「あなたには確実に磁石があるね」とカミさんが言った。
インターネットという情報の洪水の中から、
僕のところにたどり着いてくれるクライアントは、
やっぱどこか中央線のニオイがする。
今日お会いしたかたは、
「何人か候補の建築家のHPを子供に見せたら、スナガさんを選んだんです」
とも言っていた。
じつは、同じことを以前他のクライアントからも聞いたことがある。
僕は昔からどういうわけか子供と年寄りとオトコには定評があるのだ。
(ピチピチした女性だけがバッサリ抜け落ちているのが悲しい)
ウチに問い合わせをしてくるお客さんは、年に10名弱。
そこからお会いしてお仕事に結びつくのは2組くらい。
けっして、人気のある設計屋さんではないのだが、
(人気のない設計屋さんですとハッキリ言いなさい。・・・はい。)
依頼してくれたかたは確実に、自由に仕事をさせてくれるホントにいいクライアントばかり。
こちらの実力以上のものを引き出してくれる、刺激と深い懐をもったクライアント。
おかげで今までビジネスのめんどくさいことに振り回される事はほとんどなく、
売れない小説家のように精一杯 創作に打ち込めてきた。
時々カミさんは、
「あなたはずいぶんダメな人間なのに、廻りの人はホントにいい人ばっかりよねぇ」
と不思議そうに言う。
「・・・・・・、ホントだよなぁ」と答える。
あの、なんか、みなさん、・・・・・・ありがとうございます。
すみません。いつも不義理にしてばかりで。
いつか、友人・知人・クライアントに感謝するパーティーを開けたらいいなぁと思う。
いい人、面白い人ばっかりなので、きっとオモシロイ出会いの場になるだろう。
たぶん、その場にはスナガなんか抜きだっていいのだ。
料理を取り皿に分ける係とか、空いたグラスをコソコソ下げる係とかしながら、
誰と誰を引き合わせたら新しい関係が発生しそうか、そんな立ち回りができたら
せめてもの恩返しになるかなぁなんて思っている。

2006.11.10 (fri)
打ち合わせをしていた工務店さんの口から、
「吉村(順三)先生はたいへん上手なかたで・・・、
林(雅子)先生の作品は、・・・色々大変でした・・・」
超大御所の名前がサラサラっと出てくる。
木造で坪単価は最低でも120万円以上、工期は8ヶ月は欲しい、と。
こういうホンモノの仕事をしてきた方と、お仕事できる縁は貴重。
この機会に勉強させていただきます。

2006.11.09 (thu)
「時代が便利になり、余計な仕事が増えた」
・・・と、思いません?
このところ連絡を怠ってしまったクライアントに、
設計の進行状況の説明をメールで書いて、
その文章が誤解なく、読んでわかりやすい文章となるよう何度も何度も直して、
やっぱり文字だけの説明で建築を説明するのは無理があるから、
模型の写真を撮って、メールで送れるサイズに加工して、
写りが暗かったので誤解を与えないよう色調整をして、
よしこれでOK。送信「ポチ」。
これだけで午前中が終わってしまった。
・・・。
こんな時間の使い方だったら、模型だけ抱えてパッと顔を見せに行った方がずっと良かった。
携帯電話があるから、遅刻する。
冷蔵庫があるから、食材が腐る。
テレビがあるから、ヒマがなくなる
楽天市場があるから、損した気になる
blogがあるから、更新に迫られる。
僕らは、自由を獲得してどんどん不自由になっていく。

2006.11.08 (wed)
先日、ベテラン住宅作家Kさんの最新作を見学させていただいた。
とても力の入った作品。
コンクリート・鉄板・練られた執念のディテール、
それらが身体に訴えてくる重厚さを、各所に設けられた抜けが緩和していく。
また、街道側をガラスで解放していながらも、
全解放とは異なるほどよい解放感に落ち着けている妙、
秀逸なテクニックとこの高いクオリティを実現する執念に、唸るばかり。
ある意味「踏込んではいけない濃い領域」を見てしまった感じがする。
こうしてひとの作品を体験すると、自分の建築との違いがよくわかる。
Kさんの作品は建築のどの部位を見ても、一分の隙もなくデザインがなされていたが、
僕の場合ここまで突き詰められない。
老練してディテールがウマくなったとしても、たぶんしないだろう。
いやいや、さぼっているわけじゃなくて、成果物には作りの手の思考した痕跡をあまり残したくないのですよ。
建築物そのものをじっと鑑賞するに耐えるものとしてつくるのではなく、
光や影や風や音や眺め、それらが織りなす幻影、僕の場合の建築とは『現象を産む装置』なのである。
Kさんは「建築を映画のようにつくりたい」と言っていた。
やっぱり僕は「建築を楽器のようにようにつくりたい」のだ。

2006.11.07 (tue)
「いい家ですよぉ、ずーっといてホンッット飽きないです。
でもなんといってもねぇ、この家が一番いいのは雨の日なんです」
・・・・・・。
雑誌の取材で4ヶ月久しぶりに月の家へ。
こんな言葉をいただけると、
ここにも書いてるんだけどね、
冥利に尽きるというかね、
大変だったけど、精一杯やって良かったなぁと思いますな。
久しぶりに行ってみて気が付いたのが、
時間ごと、天気ごと、季節ごと、それぞれにまったく異なる光の描きとその陰影が現れる、
描き出される世界がものすごく変化に富んだ建築だということ。
これは作った設計者よりも、毎日暮らしている住まい手の方が、ずーっとよくわかっている事なのでしょう。
羨ましいかぎりです。

2006.11.06 (mon)
このところたて続けにリフォームの相談が来ている。
築30年とか40年の木造。
いつも困ってしまうのは、『木造』ってものが一般の人々にはよく理解されていないことにある。
木造建築は日本の伝統的なものに思われているかもしれないが、
1300年の法隆寺と庶民の住まいでは作りがまったく違う。
片や国家事業、片や貧乏長屋である。
「ケンカと火事は江戸の華」と言われた時代、
火事が起こるとそれが延焼していかないために、
「め組」とか火消しの鳶さんたちは、
風向きを読みながら、建物を壊して潰していった。
庶民の家なんていうのは、すぐ壊せる程度の作りの木造なのである。
その後もこの数十年前まで、大して変わらない方法で、
筋交の無いグラグラの家が当たり前に建てられてきてた。
「建物は壊れてもいいけど、最低でも人間の命だけは守れるように」
という耐震基準になったのは1981年のことである。
そんなわけで、築年数の古い木造をお化粧直しのリフォームでは済ませてしまうのはホントに怖い。
(世のリフォーム業者は平気で「大丈夫ですよ!」とか言うらしいが・・・)
ガッチリ補強をしたいところだが、それにはそれなりの費用が掛かる。
長年住み慣れちゃってるクライアントに耐震云々を理解してもらうのもけっこう難儀なこと。
かといって関わった以上は自分なりの最善を尽くしたい。
古い家のリフォームはホント悩ましいのですよ・・・。

2006.11.05 (sun)
僕もわりと最近まで、数字がハッキリ色に見えていた。
そういえばこのごろはその感覚は薄れて来たけれど、
いまだになんとなく残っている。
1=白または青
2=赤
3=緑
4=オレンジまたは黄色
5=黒
6=水色
7=茶色またはオレンジ
8=黄色
9=アズキ色
0=うすーいグレー
なので、たとえば『25』なら赤と黒が並んだイメージとして認識したり、
絵の具の混じりあったような「赤黒い色」として認識したりする。
記号にも性格があるように感じられるというか。
でもこの感覚はけして珍しいものではなくて、大人になるまでは誰でも持っているものだそうだ。
たぶん、覚えあるでしょ?
10年前、初めて入った設計事務所で電卓と鉛筆でひたすら壁面積の見積り計算していた時にも
まだこの感覚はハッキリとあった。
そうか、薄くなってきたのはちょうどコンピューターを使うようになった時期と重なるような気がするなぁ。
いまウチのコドモが、
「これはカーカ、パパはねぇ・・・これ!、ボウちゃんはぁこの色」と言いながら隣で遊んでる。
試しに訊いてみたら、黄緑がお母さん、緑がお父さん、オレンジ色が自分なんだと。
色はイメージをつなぐ。
面白いねぇ。生きてるだけでホント、毎日面白いねぇ。

2006.11.04 (sat)
西沢立衛の森山邸を見てきた。
なんと幸せな建築!!
これは、写真と図面では、ぜーんぜん伝わらないなぁ。
最先端建築を否定する人は多い。
多くは「居心地を犠牲にして、ひたすらキレイに見えるものを作るというのはいかがなものか」という主張で、
僕も今回体験するまでは「これはやりすぎだろ・・・」という思いで写真を眺めていたが、
いやいや、こんなに素敵で愛らしく、居心地の良さに時を忘れてしまう建築は、ちょっとない。
昨今の透明建築・白箱建築には「澄みすぎていて魚の住めない湖」に似た怖さを感じることがあるが、
(妹島和世の小さな家は怖かった)
西沢立衛の森山邸には昭和の路地裏に通じる愛があった。
東孝光の塔の家におじゃまさせていただいた時以来の、愛ある温かさに満ち満ちた建築だった。
西沢立衛というひとはアタマのいい人なのかと思っていたが、
実作を体験してわかったのは、スケールの感覚と美意識が抜群なのだ。
数年前に西沢立衛の講演を聴き、そのときアンケートに「ポカリスエットみたいな建築だと思った」
と感想を書いてしまったが、ちょっと違ったかもしれない。
ホットカフェラテとか奈良美智の方が近いかもしれない。
(通じないだろうなぁワタシの日本語)
脱色された無関心さではなく、建築にさりげない少女の優しさがある。
森山邸は完成から1年にして、石膏ボードは割れてるしペンキは剥がれてきてるし、
やっぱりムリして施工している感はある。
でも、そんなつまらないこと、どーでも良くなってしまう建築そのものの気持ち良さがある。
建築やってる人、森山邸は絶対に見ておいた方がいいですよ!!
(撮ってきた写真をここに載せられないのが残念。そういうお約束なのです)
メモ:計画では真っ白ではなく薄いグレーで棟ごとに塗り分ける予定だったのだそうだが、
最後の最後に全部真っ白でいくことになったのだとか。
なるほど。グレーのグラデーションで散らばらせようという思考、わかるなぁ。
でも、それをおいてギリギリのところで「白!」と変更した好判断が、
この建築のレベルを一気に雲の上に上げているんだなぁ。

2006.11.03 (fri)
きのう幼稚園の入園のための面接に親子三人で行ってきた。
そして今日、結果発表。
・・・落ちました。
面接での園長先生からの
「お父さんは、お子さんにどんなふうに育ってほしいですか?」との問いに、
「うーん・・・、ほったらかしでいいんじゃないですかね」
と答えたことが落ちた原因だと、カミさんは言う。
まぁ、・・・そうかも知れないやね。
でもねぇ、本当のことなのだから。
ヘンに取り繕って入園していたところで、いつしか歪みは顕著になるだろうし、
入園させません、入園しませんということが、お互いにとっての幸せということなのでしょう。
それを「縁がなかった」と言うのだと思う。
まぁカミさんもそんなに怒ってはいないようで安心した。
しかし、最後に気になるひと言を言われたなぁ。
「次の幼稚園での面接の時は、もうパパは来ないでください」
・・・とうちゃんは、もしかしたらクビになってしまったのだろうか?

2006.11.02 (thu)
なぜmixi内に設計者を集めるコミュニティを作ったのか、
ざっと書くと、こんな事である。
(1)インターネット上には建築家の登録サイトはいくつもあり、
それらのすべてに登録するのは骨が折れる。
(2)登録サイトがいくつもあっては、建主側にとってもせっかくのインターネットの検索性を活かせず、
消化不良を感じていることだろう。
(3)mixiにはもうひとつのインターネットとしての可能性が、 アソビの枠を超えて潜在している。
(4)「ここに全て集まっている」というyahooオークションのような場が、無料でできればそれが一番望ましい。
(5)たくさん集まれば、いずれは(大きすぎる夢かもしれないが)設計者同士の交流もできるだろう。
たとえば「新しい木造の構法を一緒に開発しません?」とか、
「今月号の住宅特集をネタにあーだこーだ言いながら呑みましょう」とか、
「新しい建て主さんと出会うために有志でイベントやりましょう」とか。
実務の場での限られた横のつながりだけではなく、くっ付きたい人同士が自由にくっ付ける
自発的な場が立ち上げっていけばいいなぁと思っている。
そんなわけで、設計者のかたも一般のかたも、どうぞご参加を。

2006.11.01 (wed)
かねてから、ぜひ使いたいと思っていた免震基礎の講習会に参加してきた。
うーん、新しい可能性を感じる。
1棟あたり約300万円アップだけれど、
30年以内に大地震が来る確率は70%、50年以内90%。
家財・家電・陶器など、高価なものとかお金じゃ2度と買えない大切なもの、
住宅だって無傷じゃいられない。
被災生活を強いられるのも、都市部の焼け野原ではかなりしんどいだろう。
それらのリスクや修繕費用等を考えれば、300万円で回避できるならむしろ安いと僕は思う。
それに、もっと安く免震をする工法の可能性を、担当の方にお話ししてきた。
実現できれば、たぶんオモシロイ仕事になるのではないだろうか。


さて、10月のDailyはこちらか、
右のバックナンバーメニューからどうぞ。