Daily・・・日々雑感

2005.10.31 (mon)
製本した図面ってかわいい。
我が子のように愛おしい。
嫌いな表現なのでコソッと括弧の中に書かせてもらうが
完成した図面は(努力の結晶)なのである。
ふふーん♪ってページをめくってはニタニタ。
現場で実物が完成する頃には、いまピカピカのこの図面もボロボロになってることだろう。
そうなったらそのボロボロもまた愛おしくなるのである。

2005.10.30 (sun)
頭痛が勃発。
理由はたぶん、このところの寝不足。
と、コンタクトレンズを左右逆の目に着けていたことだろう。
寝るしか直す方法なし。

2005.10.29 (sat)
「ナベ敷きが割れてちゃったから、こんど買ってくるね」
『え?板っきれなんかウチにいくらでもあるんだからさ、
いらなくなった木材の板見本とか適当な長さに切れば使えるじゃん。』
「じゃ、よろしくね。」
・・・そういや、いつだったかそんな会話をしたっけな。
せっかくのスキヤキなのに、
なべ敷きが新聞紙に代わっただけで、ひどく侘しい。

2005.10.28 (fri)
我が母校に、飛行機が不時着した。
・・・ので、見に行ってきた。
大人になっても変わらないなぁ。
子供の頃、空き地で遊んでいてパトカー・救急車・消防車が
サイレンを鳴らしながら通り過ぎていくと、
その後を走って夢中で追っかけた。
緊急車両の向かうその先で、被害に遭われているかたにはたいへん申し訳ないのだが、
大人としての良心とは別に、
「事件だ!」
という有事のドキドキ感、浮き足立ってしまう事件の魅力は、30歳のおっさんになったいまも変わらない。
不謹慎と言われるのは承知の上で、
正直に意識せず湧き上がってくる感覚を述べるなら、そういうことである。
有事には抗しがたい魅力がある。
今回、幸いにも大怪我をしたかたはいなかったようで、よかったよかった。
薄暗く日が暮れていくなか、
フェンス越しにグラウンドの飛行機を見つめながら
「ところで、この飛行機どうやって外に運び出すのだろう・・・」
そんなことをぼんやり考えていた。

2005.10.27 (thu)
文章は点描画に似ている。
バラバラに置かれているとき、コトバは記号。
コトバとコトバを隣り合わせて並べてみることで、意味が生まれてくる。
どのコトバを沿わせるか、隣との関係で、意味が変わる。
順序や配置を少しズラす。小さな一手でもニュアンスが変わる。
コトバのひとかたまり、文章。
文章のひとかたまり、段落。
それらを入れ替えてみると、また変わる。
ニュアンスどころか意味が変わる。
また、そんなに大きな配列の組み替えをしなくても、
たった一点のニュアンスひとつで、イメージが変わり、
すべての意味がひっくり返ってしまうようなこともある。
例えば、お詫びの手紙を書いたつもりが、ほんの少し混じった自己弁護のニュアンスが、
余計に嫌な印象を与えてしまって、火に油を注ぐことになった。
なんてことも珍しくないだろう。
コトバは抽象的な世界。
それを具体的な意味の届くものとするのは、実は大変なことだ。
小さなニュアンスのひとつが、全体の意味を変えてしまう決定的なエラーとなる。
どれだけ悩んで組み立てた文章でも、自分を表すジャストなものには成り得ない。
極力近づけるということしかできない。
納得できるところまで、妥協できるところまで、あーでもないこーでもないと繰り返す。
コトバも絵も、おそらくきっと音楽もそうだろう。
アウトプットした側のおぼろげな感覚を、
記号を用いてある程度の具体的なものとして伝達し、
受け手は、受信したその記号を自身のなかで再構築する。
FAXの送受信みたいなもんか。
雑に扱えばそれなりの結果だし、
誤差の少ないように取り扱おうと思うと、
えらい大変なことになる。
コトバを自由に扱えるようになるまで、僕はまだまだ時間が掛かりそうだ。

2005.10.26 (wed)
以前にもホワイトバンドのことを書いたのだが、
あの呼びかけ自体は否定するつもりはない。
300円の使途が寄付ではなくても、
「政治家を動かそうぜ」という呼びかけなのだから、
それが有効に使われるのであればOKだろう。
国のトップに切り込んでいくためには経費も掛かることだろう。
裏金だって必要なのかもしれない。
プロセスの正義が感じられなかったとしても、
結果それで恵まれない人が救われるのであれば、それでいいと思う。
裏金があるかないかは別にしたって、
ガラス張りの会計であっては、実際のところ何もできないだろう。
ブラックボックスの向こうにも人の善意があるなら、否定しない。
しかし、日本でのホワイトバンドは、(よその国のことは知らないが)
つまらないところでゴタゴタしているうちに、本来の射程を失ってしまったように見える。
僕はべつにアンチ・ホワイトバンドなのではなく、
ただ残念なのである。
やろうとしていたのは良いおこないだったハズなのに、
その方法を誤って、大きな関心を引きつけたままコケてしまった。
「ほっとけない」なんて、妙なコピーつけないで、
もっと真正面から正直にやってくれていたら良かったのになぁ。
関心はあったけど、なんか気持ち悪いってんで躊躇していたひと、
僕もそうだが結構いるのではないかな?
「不遇な人がいる、そのことを残念に思う」ということが、
ファッションとも流行ともビジネスとも無縁のところで、
素直に意思表示ができるようになることを心から願っています。
いまはとりあえず、ひとつだけホワイトバンドを買って(でもそれは着用せず)、
あとはユニセフに募金します。

2005.10.25 (tue)
ウチのバルコニーに友人がベンチを提供してくれたので、
音楽の仲間のミーティングをここでやろうということになった。
webデザイナー、ムービーカメラマン、映画の照明さん、建築家、
個人事業者は時間が自由になる。
が、遊んだ分は仕事にならない。
ということで・・・逆算して、今日は朝4時からお仕事なんだな。
みんなといろんな話しをしている中で、興味深い話しを聞いた。
ちょっとココには書くのは躊躇する内容なのだが、
書きたいなぁという気持ちも強い。
そのうちいずれやりたいことだけ うんとやるの方に書こうと思う。
人が「食べる」ことについての話し。

2005.10.24 (mon)
アルミ缶って大丈夫なのかな?
いっとき、アルミ鍋で調理すると、その際に食品に溶け出した
アルミの成分が体内に吸収され、脳に付着し、
アルツハイマーになりやすいので危険、
と言われたことがあった。
ウチでもそれ以来アルミの調理器具は使わないと決めたけど、
缶ジュースって、ほとんどアルミ缶よね。
大丈夫なんじゃろか?

2005.10.23 (sun)
土日は、くだらないことを書こうと決めている。
平日に実のあることを書いているか、と訊かれると、モゴモゴ・・・
ま、それはいい。
とにかく、土日は仕事と直結しないことを書こうと決めているのだ。
平日には真面目に仕事のことを書いているかと訊かれると、モゴモゴ・・・
ま、それはいい。
なんにせよ土日は、
いとしい、いとしい、コドモのことなどを載せたいなぁと思うのである。
でも、そのうち生意気になって「肖像権の侵害だ」とか言われるんだろうなぁ・・・
何日か前から、ヒモを首に掛けて「カーワイイ♪」と言うようになったのをきっかけに、
(アクセサリーのつもりらしい)
コトバの大爆発が起こっている。
会話が成り立つようになってきた。
「ジイジとバアバどっちが好き?」と訊いてみたら、間髪入れずに
「バアバ!」と答えた。
がっくりうなだれるジイジ。ははは!
「じゃぁさぁ、パパとカッカ(お母さん)はどっちが好き?」
がっくりうなだれたのは・・・書きたくありません。

2005.10.22 (sat)
コドモにはホクロがない。
なんでだろ?
子供の肌はなんでこんなにツルツルしてんだろ?
ギュッと抱きしめたときの髪の生温かい匂いは、なんでこんなにいい匂いなんだろ。
合成じゃないコドモの自然な匂い。
そういや自分が子供の頃、
父親の手を「なんでこんなにゴワゴワ固くて汚らしいんだろう?」と思って見てた。
10代、20代、大人になってからも、自分の手が汚らしく思えたことなんてなかったけど、
いま自分のとコドモの手とを比べてしまうと、まるで別物。
いつの間にか、シワは深く無数に、爪は厚くなり、少し黄ばんでもいる。
並べてみたら明らかに汚らしい。 比べてみなけりゃ気がつかなかったけど、いつの間にかおじさんの手。
あの頃のうちの親父も、自分じゃ気付かずいつの間にかそうだったのかもしれない。

2005.10.21 (fri)
スターウォーズ・エピソード3、最終日にようやく見てきた。
スターウォーズを劇場で見るのは今回が初めて。
劇場用はエピソード3でおしまいだっていうし、1回くらいは映画館で見ておきたいなぁ、
特に、あの冒頭「A Long Time Ago…」のあと、
starwarsというタイトルロゴが出る瞬間、オープニングテーマ曲が始まる
オーケストラの「・・・ジャン! 」の音、あれがどうしても聴きたい!
映画好きの友達にいわせれば、
「スターウォーズは映画ファンのお祭り。
公開直後だと、あのジャン!の音にヤンヤヤンヤの歓声があがる」のだと。
やっぱりスターウォーズは、あの「・・・ジャン!」である。
いよいよ今日、あれが大音響で体験できるのだと期待いっぱいで映画館へ行った。
のだが、・・・遅刻してしまった。
最初の5分が見られずガックリぽん・・・。
しかも完全入替え制で、もう一回アタマだけ見て帰るってこともできず・・・。
いつか『スターウォーズ全作連続上映』なんて企画があれば、必ず行ってやる!

2005.10.20 (thu)
ダイアログ・イン・ザ・ダークで暗闇体験をしてきた。
参加者ひとグループ7人が、視覚に障害のあるリーダーに引率されて、
小一時間の真っ暗闇体験。
(ここでは『視覚障害者の大変さを理解しよう』なんてことは書きませんが)
率直な感想、すごくすごく楽しかった。
小一時間で終わってしまったのがとっても残念。
そして、(これが不思議なのだが)なんだか気持ちよかった。
真っ暗にしてお風呂に入っているときも、魂を休めているような心地よさがあるが、
あんな感じで、もっと気持ちがいい。
闇の宇宙を漂い泳いでいるような感じ。
目の前5cmに自分の手をかざしたってさえまったく見えない、本当の真っ暗闇の中で、
用意されたコースを声と杖を頼りに恐る恐る歩きながらいろいろなことを体験していくのであるから、
もちろんドキドキする体験ではあるのだが、同時にすごく気持ちいい。安らいでいる感じ。
「視覚って、無けりゃ無いでべつに悪いもんじゃない」という気がしてくる。
 (もちろん、こんな幸せな暗闇体験ができたことは、
これがイベントであり安全が保証されているというバックがあっての安心感でもあります。
視覚障害のあるかたの人生のそれとは全然違うものでしょう。
あくまで、イベントでの小一時間のお試し暗闇体験で、これは、視覚がちゃんとある人の贅沢な遊びです。)
 真っ暗闇をしばらく体験していると、目が見えてないってことにもじきに慣れてきて、
耳と鼻と皮膚で、「感じよう」とするようになる。
目が見えていたときには描けなかった像が、脳の中で、描けるようになる。
そんな感じ。
目が見えていたときは、センサーそのものが像を描いていたけれど、
(目は像を直接的にとらえるセンサーなのだから当たり前だが)
そのスイッチを切ってみると、目も、5つあるセンサーのひとつでしかなくて、
像は「脳の中に脳が投影」していたのだということに気がつく。
5つのセンサーって実はどれもたいへん優秀で、
各センサーが拾った情報のほんの一握りしか、脳の中では処理できていないんじゃないかな。
つまり、「どの情報を使っているか」というだけの問題。
 具体例でいうと、
男性なら誰だって美しい女性が好きです。
「どうせなら顔のいい女性がいいなぁ」と思っている。でしょ。
『どうせなら』、ですよ。
ところが、暗闇で目が見えてない時に真っ先に感じるのは(聞き分けようとしているのは)、
「その女性の声が色っぽいかどうか」ってことに興味は向かうのですよ。
けっきょくのところ、自分の脳の中に描き出される像が『魅力的な女性』ならば、それでいいの。
視覚が無ければ、ついつい耳に心地よい声を求めたくなるのです。
ということは、顔のいい女性がいいなぁってのは、
「目が心地よいから」ってだけのことなんだなぁ。きっと。
 この体験をしてみて思うのは、
世の中では『目が見えない=障害者』ということになっちゃってるけど、
目が見えないからマイナスワンなのだということではなく、
センサーが拾ってきた情報を、脳がどう按分して取り入れているかということなので、
そこには別の価値観があるという感じ。
例えるなら、背の高い人と低い人でどちらが得して損してるかなんて、答えの出しようがないのと同じこと。
(9月18日のDailyも参照してみてください)
目の見えない人は、「得る情報や描く像に乏しい」ということではまったくない、別の価値観・評価のモノサシでもって、
生きているんだなぁということを感じました。
(ただ、ひとつ決定的な差があるとすれば、
目が見える人は、目を閉じて疑似体験をすることができるけれども、
その逆はできない、ということなのでしょう。)
 んーん、なんだかこんなにゴチャゴチャ書かれても、よくわからないですよね。
早い話しが、チケット代4000円ですがそれくらい払ってでも体験する価値は充分ありますので、
体験してみてください、ってことです。
コンサートやディズニーランドと違って、個人の趣味とは関係なく、
どんな人でも何かしらの「おもしろかった」を感じられるイベントだと思います。

2005.10.19 (wed)
日本むかしばなし』がデジタルリマスターで再放送!
いい!やっぱいいねぇ。
絵がいい。声がいい。
テンポがいい。
・・・というか、間(ま)がいいんだなぁ、あれは。
テレビなんていうバカ騒ぎのメディアのなかで、
すごく、日本人の時間を感じますねぇ。
こりゃぁ全部ビデオに録らなくちゃ。
うれしいな♪
ところで、どなたか今回のを録画された方いらっしゃいましたら、貸していただけませんでしょうか。
かぐや姫の最初のところ、録画に失敗しちゃいまして・・・
どうぞよろしくお願いします。。
「ぼぉおやぁ〜」

2005.10.18 (tue)
音楽って、一聴してシビレちゃうのもあれば、
聴いているうちに良くなってくる、ジワジワ効いてくる音楽もある。
大人になって音楽の聴き方が雑になってしまったけれど、
基本は、1枚新しいアルバムを手に入れたら繰り返し繰り返し聴く。
最低でも一週間は、ターンテーブルに載りっぱなし。
最後の曲が終わると、また1曲目から再生。
何度も聴いてアタマに叩き込む・刷り込む。
脳内ジュークボックスに新しい曲を追加するように。
今で言えばiTunesでハードディスクに読み込むような感じで。
ちゃんと読み込めていると、オーディオがなくてもヘッドフォンがなくても、
自分の脳内でいつでも好きなときに音楽が再生できて、
トイレで、電車で、自転車に乗っていて、
「あ、ここでギターのフレーズこんなんだったんだ!」なんていう、
意識にあがってこなかった新しい発見までできるようになる。
そんなわけで、同じアルバムを延々と聴き続けるといういのは当たり前のことだと思っていたのだが、
カミさんと暮らすようになったら、
「同じCDばっかりで気が狂いそうになるからやめて」
と言われるようになってしまった。
何百回も聴いて、ようやく良くなってくる音楽もあるんだけどね。
ま、確かに好きでない人にとって、気が狂いそうってのはありますな。
ヘッドホンでも買おうかな。

2005.10.17 (mon)
背の高いひとほど、鼻毛には気をつけろ。
なのである。
自分で鏡を見ても、鼻の影越しに見下ろすかたちになり気づきにくいが、
女性は下から見上げているのである。
「ちょっとだから大丈夫かな」
は、じつはもうだいぶ見えちゃってる。
話しは変わるが、先日買ったiBookに自分でメモリを足しました。
友人が教えてくれたSanMax、とてもいいですよ。
モノがちゃんとしてて、ヨソよりぜんぜん安い。
サイトデザインが雑なので怪しい印象を受けますが、マックユーザーにはおすすめです。

2005.10.16 (sun)
ダマされてるのかもしれない。
つい、「割れせんべいの詰め合わせは、お買い得」だと思いがちだけれど、
ウチの近所のスーパーの棚には、割れせんべいのセットが常にライナップされている。
ノリ・胡麻・ザラメ・ピーナッツ、
その詰め合わせ具合は、どの袋を見ても割合が一定なのだ。
もしかして・・・わざと割って入れてない?
そもそも、割れせんべいって、そんなにコンスタントに出来てしまうものか?
手焼きならいざ知らず、機械で製造しているもので、そんなに不良率があってそれを放置しておくだろうか?
そんなに沢山の割れせんべいが、しかもバランス良くあるものだろうか?
無印良品は『わけあって安い』という名コピーで「なんとなく丸め込んでくれた」けれども、
割れせんべいはどうなのだろう?
こいつもまた、怪しい。
そんな疑念を持ちつつも、今日もまたついつい買ってしまうのである。

2005.10.15 (sat)
やっぱり、神様っていないんだよなぁ・・・
あんなに優しい人だったのに、不運な事故で亡くなってしまった。
あんなにいい奥さんなのに、悲しみの底に落とされしまった。
あんなに温かいお父さんが、息子を先に失ってしまった。
ニューオリンズの洪水も、パキスタンの地震も、イラクの戦争も、
いろんなところで関係なく、いい人にも不幸が訪れている。
宗教は「それも与えられた試練だ」と言うかもしれないけど、
やっぱり間違ってるよなぁ・・・。
本当にいい人が、本当に青白い哀しみに耐えている救いのない姿を見たら、
そんなこと、あまりに残酷で言えない。
神様は、いない。
不運を避けるために、ちっぽけな個人にできることは、
普段から予防を心がけて不運な目に遭う確率を、少し低くするというくらいなんだろうな。

2005.10.14 (fri)
地下鉄に乗ったら、目の前にヤバそうなやつが立っていた。
色白で見るからに不健康、目は宙を泳ぎイッてしまっている。
(あぁ、気持ち悪いから、近づかないようにしよう。
こういうヤツが、家で爆弾とかサリンとか作ってたりするんだろうな・・・)
なんて勝手な推測を一通りした後、
ふと見ると、そいつの足下にギターケース。あの薄さはエレキギター。
その瞬間、ホッと胸をなで下ろしてる自分に気がついた。
(なーんだ、ロックンローラーのつもりなのかぁ。
ミュージシャンに憧れてるカワイイやつじゃないか。
ヘンな目で見ちゃってゴメンゴメン。)
・・・そういう時代なんですねぇ。
かつてはロックとエレキギターは不良で恐れられていたらしいのが、
僕らが始めた頃はロックは充分に市民権を得ていたし、
そして今では、ロックというスタイルに酔ってるニイちゃんなんて、かわいくて罪が無いよね、
なんていう安心感まで感じてしまう。
世の中がヘンに物騒になったのか、ロックが手なずけられたのか、
いずれにしても、そういう時代なんだなぁ・・・。

2005.10.13 (thu)
エッギュッ!・・・ギュッ!
電車内など公共の場で、突然響き渡る、新しい生物の妙な鳴き声。
驚いて振り返ると、若い女性がクシャミを噛み殺していたのだと知る。
あれは・・・なんなんでしょう。
あの方が上品ってことなんでしょうか?
自分が世の男性代表だというつもりはないのですが、
あれ、ヘンだと思うんですよね。
「ふぇっクショイッ!」
とやってくれた方が、よっぽどすっきりしませんか?。
聞いてる聴衆としても。

2005.10.12 (wed)
そういやこのあいだ、ネットニュースでこんな記事があった。
「地震が来るともたない」と言ったその業者は、
まぁ、本当に悪徳リフォームなのかもしれないけど、
僕だって言うよなぁ・・・。
もたない家は「もちませんよ」って。
そしたら悪徳ってウチも言われちゃうのかな。ははは。
だって、その辺の住宅を見回したって「地震が来ても対丈夫ですよ」って断言できる建物なんて、
あんまり無いもの。
自分が設計したわけでもない、地盤調査したわけでもない建物に
「大丈夫!」なんて無責任に、怖くって言えない。
「もたない」と言っていて、大丈夫なのと、
「大丈夫」と言ってダメだった場合では大違い。
人の命が絡むことだけに、「大丈夫」は、簡単には言えない。
地震にもつかどうかってのは、
『打ち所が悪ければ死ぬ』みたいなことと同じで、
本当のところは遭ってみなきゃ分からない。
震源との関係や、揺れかた、時間、周期、地盤、
偶然の要素が大きい。
関東中の住宅が、まったく同じ構造の、まったく同じ建物だったとしても、
一つの大地震での壊れかたには個体差が出るだろう。
「こちらは全壊、3軒向こうは無傷」なんてことがあっても全然不思議じゃない。
偶然にも地震の波が集まっちゃう場所だったり、震動の周期にピタッと合ってしまったり、
山ごと地滑りしちゃったり。
想定も対策もしようのないことに合ってしまうこともある。
そんなんでも一応基準になるのは、建てられたのが1981年以前か以降か。
その年を境に、建築基準法の耐震基準が厳しくなってるので。
ちなみに耐震の構造計算上の耐力は、目安としては震度5強から6弱。
それにプラスして、計算上は算定していなくても実際には効いている部材というのがけっこうあるので、
実質的には阪神クラスの大地震でも、1981年以降の建物の被害は少なかったとのこと。
地震にもつかどうか、ということで言えば、
素人目にもボロく見える建物は、やっぱり安全ではないですよ。
運良くってことはあったとしても。
少なくとも、かなり危険な地面の上で暮らしているんだということくらいは、
みんなが自覚しておかないといけませんよね。

2005.10.11 (tue)
昔からよくある話で、保険屋さんは身内や知り合いから勧誘する。
同窓会で10年ぶりにあった友人が保険屋さんになってて、
片っ端から勧誘してたなんてのも古典噺の域だ。
よくパートで保険勧誘員のおばさんの募集がある。
あれは結構給料もいいらしいのだが、
要は、「お客様にウチの保険を勧めるにあたって、あなたもまずウチの保険に入りなさい。
そして勧誘も身内や友人から始めればやりやすいでしょ。」としておいて、それなりのノルマを科しておく。
情けで身内には加入してもらえても、その後の勧誘はそうそううまくは行かない。
ノルマも達成できないし、やがて会社にいづらくなり辞める。
そのおばさんはパートは辞めたが、自分の入った保険をすぐに解約するのはもったいない。
どうせ何処かしらの保険には入っておかなきゃだから、とそのまま数年・数十年と入り続ける。
おばさんに勧誘された身内の人も同じ。
なんのことはない、つまり保険勧誘員募集という求人広告で、
保険に加入してくれるお客さんそのものを集めていたわけだ。
巧いといえば巧いが、詐欺ギリギリの商売とも思える。そこに良心は見えてこない。
ちなみに、僕の親戚にもこの勧誘員のおばさんをやっていた人がいる。
2人も。アタタタ・・・。
保険勧誘員の罠みたいなことが、わりと常識になってしまっているおかげで、
自分のビジネスを、知り合いに勧めるというのは、結構勇気がいる。
煙たがられるのがオチだと思うから、なかなか言いづらい。
僕の場合もそう。
建築の専門家として、教えてあげたいことはいっぱいある。
特に身内や知り合い、自分が大切にしたい相手であれば尚のこと。
・大地震で崩れない建物に住め。
・家具はちゃんと固定しておくこと。特に寝室。
・家は早く建てろ。賃貸住まいは、家賃をドブに捨てているようなもの。
・どんなに小さくても土地を買うこと。分譲マンションは古くなれば価値がゼロ(以下)になる。
・建築の業者ってのはピンキリである。
そんな話をすればするほど、それがどんなに善意で言ってても、
『→つまり、オレに設計させろ』という話と受け取られる。
ま、確かにそうなんだけど、大きな違いは「儲けさせてくれ」と言いたいわけではなく、
(そんなに仕事依頼が来ちゃっても、どうせさばけないんだし)
「あなたのために、教えてあげたいんですよ」ということなのだが、
返ってくる反応は、
「ウチはまだまだだから」とか、「宝くじでも当たったらね」とか、
何かを察したように鼻で笑いながら、そんな返事。
これは、むなしいですよぉ・・・。
今日はウチに知り合いが保険の案内にやってきた。
こちらは昔ながらの保険のおばさんではない。
最近生命保険屋さんにヘッドハンティングされた、音楽仲間のおじさん。
従来の日本の生命保険のシステムが、いかに酷かったかという話をして、
じゃぁまたね。と帰っていった。
日頃自分がむなしい思いをしている分だけ、
僕はちゃんと人の話を聞こうと思っている。

2005.10.10 (mon)
ははは!!
3日前に新しいiBookを買ってきたのだが、
早速デュアルディスプレー化に成功!!
分からないかたには、分からないことで、スミマセン。
カタログ上では「iBookにはそんな便利な機能はついてません。
それがやりたきゃ、もう10万円出して上位クラスのシリーズを買ってください」ってことになっているのですよ。
それが、いろいろ調べたら出来ちゃいました。
ははは!!
うれしくって、笑いが止まりません。
これで図面描きの作業がずっと楽になるぞぉ。
ちなみに、今まで使っていた古いiBook G4(14" 1G)でも
2本指スクロールができるようにして使ってました。
その方法はこちらを参考に。
これまで、少し時代遅れのものでもまだ使えるっちゃ使えるから、
だましだましで使うということをしてきましたが、
いろいろ限界を超えてきたので、この1年ほどでウチのコンピューター環境は一新。
すべて2世代目に入った感じです。
フィルムもきれいに読めるスキャナ、高速A3プリンター、ネットワークに接続できる外付けハードディスク、
iBook、DELLのノートPC、AirMacの無線LAN。
macOSが8.1、windowsが95の頃から考えると、便利になりましたねぇ。
ま、コンピューターが一般的になってきた創世記で、
進化のスピードが異常に早かったり接続方式がガラガラ変わったり、
コンピューターの金食い虫振りに振り回されたこの10年でしたが、
もうそろそろ落ち着いてくれることでしょう。
Macのノートが10万円そこそこから買えるなんて、
考えられませんでしたよね。

2005.10.09 (sun)
音楽って、聴いてるより演ってる時の方がキモチー。
ヘタッピでも、ずっとずっと気持ちいい。
こういうものって、他にあるかな?
絵は・・・描く行為は地味だなぁ。
料理は・・・食べてる時の方が喜びだな。
映画、写真、彫刻、建築、文学、・・・なかなかないなぁ。
目に見える、形に残る実態はないけれど、
ある一瞬にエネルギーとコミュニケーションが凝縮する、
そういうもの。
あ、演劇。
あれは音楽と同種なのかもしれんな。
例えばバスケとか、チームスポーツの試合も似ているかもしれないな。
ただ、勝ち負けという絶対的な価値があるから、少し違うような気もする。
たった3分でできるキモチーこと。音楽ってのはホントおもしろい。
今日は久しぶりに仲間とスタジオで音を出してきた。
ちなみにコドモとカミさんは僕の両親に連れられて、
那須りんどう湖ファミリー牧場に行っていたようです。

2005.10.08 (sat)
お金には、
それを使う使わないに関わらず、
持ってるだけでいい、安心感がある。
その感じは、つな渡りに似ている。
例えば横断歩道で、幅45cmの白線の上を踏み外さずにたどって向こうまで渡りきる、
なんてことは、健常なひとなら簡単にできることだろうけど、
高さ50mのビル工事現場で、幅45cmの足場をスイスイ渡れと言われても、かなり難しい。
カラダがやっていることは同じなのに、人間の心理とは、そういうものらしい。
それは、銀行の残高にもズバリ当てはまる。
「月給30万円で、毎月生活費等で30万円は全部使いきっちゃいます」
というひとでも、銀行に蓄えが500万円あるのと、ゼロなのでは、
銀行のお金には手をつけないのだとしても、気持ちのゆとりが全然違う。
それは何となくわかるでしょ。
この『気持ちのゆとりが違う』というのはつな渡りと同じで、心理的な錯覚。
どうやら、人間の心理というのは、物事を『比較』でとらえると、
急にゆとりを失うもののようだ。
突出した高さに立たされたとき、深い底に落ちたとき、
自分がどんな立場に置かれても、気持ちのゆとりを失わないためには、
『周りと比較してしまわない自分』を身につけておくことなのだろう。
言い換えればよく耳にする言葉で、「自分を見失わない」ということか。
ん?言い換えたとたん、なんだか、つまらない話になってしまったぞ・・・。

2005.10.07 (fri)
腐った魚を食べてしまった。
魚が焼ける匂いが漂ってきたときから、
「むむ、すごい匂いが立ちこめてきたぞ。
ホームレスとエレベータに乗り合わせたみたいだ」
と思っていたけれど、
箸を付けてみて、立ちのぼるその匂いの強烈さに箸が止まったけど、
ひとくち口に含んでみて、刺激的なその感じに未だかつてない、初体験を感じたけれど、
グイッと飲み込んだ。
だって、魚は生臭いもの。
魚にはクサヤなどというすごいものもあるらしい。
コレはいつも食べているエボダイの開きに見えるけど、
魚の種類は無数にあり、似ている別種だって多い。
自分にはまだ知らないこといっぱいある。
昨日魚屋さんで買ってきたものだ。
しかも干物である。
生魚を開いて放置して、水分をとばしてあるのだ。日持ちする
などなど、いろんなことを思いながら自分を納得させようと脳で試みたが、
胃袋の方が正直だった。
「ォオ★∞♂♀※☆! 〒●♪★∞♂♀※☆エッ!!」
よくよく考えてみると、腐った魚を食べたのは、30年生きてて初めてのことである。
危険だなぁ・・・。
食べられるものと食べてはいけないもの、そんな簡単なことが、
動物としての基本中の基本が、いいおっさんになって出来ていないのだ。
中途半端な知識と慣れが邪魔をする、文明社会の罠だわな。
いくら水分を飛ばしてあるからって、干物とミリン干しは違うのだ。
エボダイに似ている干物は、ほぼエボダイなのだ。
まぁ幸い、一口でやめたので、おなかは壊しませんでしたが。
今日の教訓:干物は、生もの。

2005.10.06 (thu)
最近読んでいた本に、すごくわかりやすい一言があったので、
メモしておきます。
「石油だの二酸化炭素だの、環境の問題なんて、
何億年もかけて生物が作ってきたものを、この200年で消費しているのだから。
オヤジと爺さんが長年働いて貯めてきた金を、
息子が一晩で使ってしまうようなもので、そりゃ景気がいいに決まってる。」
なるほど。
かなりリアルにバカ息子の様子がアタマに浮かびます。
今の時代はそういう位置づけなのですな
それともうひとつ、ほぼ日で糸井重里がいいことを書いていたので、
自分のために忘れないようリンクしておきます。
気になったら見てみてくださいな。
http://www.1101.com/darling_column/2005-10-03.html

2005.10.05 (wed)
何十年もある、長いといえば長い人生なんだから、
そのうちのたとえば一週間くらい、目隠しで過ごしてみたり耳栓で過ごしてみたりするのも、
オモシロそうだ。
そんなことを考えていた。
海外旅行にでも行ったつもりで一週間、
絶対に目を開かない。
五感のひとつ、特にふだん頼りすぎている視覚をシャットアウトすることで、
感じるものが全く変わるだろうということ。
そして、一週間ぶりに目隠しを外したその瞬間に見える光景は、
きっとものすごく新鮮で刺激的だろうということ。
そんな体験を、目が開きっぱなしの人生の中でたった一週間やってみるだけで、
何かが変わりそうだ。
目隠しを外す瞬間をどこにするか、海や草原・雪景色だったら凄そうだ。
案外自宅のなれた景色でも、それはそれで新鮮な感動がありそうだ。
そんなことを目だけじゃなくて、耳でもやってみる。
五感を閉じる、一週間のお試し。
それはバックパッカーで旅をするときの動機と同じかも知れない。
(しかも旅費はかからない!)
そのうち仕事が一段落したところでやってみようと企んでいたところで、
ちょうどそれに近いイベントがあることを発見。
こちらは30分程度の体験のようだが、エンターテイメントとしてよくできていそうだ。
さっそくチケットをおさえました。

2005.10.04 (tue)
1年以上前に書いたまま、載せるのをためらってお蔵入りになっていたDailyの在庫を、
この際なので載せてみようかと思います。
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繁華街の裏通り、風俗店の前で募金活動をやっていたら、どうだろう?
万札を握りしめ、今日はヤルぞと意気込み溢れ、やって来ましたピンク街。
どこの店に入ろうか、ムダ使いはできません。選ぶ目は真剣そのもの。
と、そこへやってくる、ひとりの少女。
「アフリカなどでは、3秒にひとりの割合で、子供達が死んでいます。
たった100円で、5人分のポリオワクチンが買えるのです。
どうか、彼らを助けてあげてください。
少しでも、ひとりでも多くの子供達に、ワクチンを届けてあげてください。」
と、訴えられたらどうだろう。
「100円で、5人の子供を死なせずに救ってあげられるのかぁ。
あぁオレ、万札握ってこんなところで、なにやってんだろ・・・」
って、真っすぐ家に帰りたくなるんじゃないだろうか。
その場で募金が集まるかどうかは、ちょっとわからないけど・・・。
「それでもオレは風俗に行く!」って、そこまで気骨のある人がいたら、
それはそれで、むしろ尊敬してしまうかもしれないけどな。

2005.10.03 (mon)
シリコン製のホワイトバンドをしている人をよく見かけるけど、
自分はどうもあれをする気になれない。
なんでだろう?と考えてみた。
イカリングみたいでヘンだから、みんながしていてダサいから、・・・
いろいろ考えてみたが、結論として、
300円って価格がヘンに安いから、ということみたいだ。僕の場合は。
ホワイトバンドは、
「3秒に一人、子供が死んでいく恵まれてない国の貧困を私は放っておけない」
という意思表示だという。
その意思表示をどんどん広めることで、世の中を変えていこうというコンセプト。
そういや先日、WWFのロゴ入りキャップをかぶり、
腕にはホワイトバンドをしている人を見かけた。
最近は、知性・思想(らしきもの)を身につけることがカッコイイという価値観があるのだろう。
ファッションとしてのそれらを、よく見かける。
それはそれで悪くないとは思うのだが、
どうにも広まりかたを見ていると、豊かな国の中だけでのママゴトにしか思えない。
いいことしているような自己満足。
と、それを人と共有しているような小さな幸せ感。
いずれにせよ、豊かな国の中だけで満足して、
それだけで終わっちゃいそうなのが怖い。
貧困の本人達が欲しいのは、(社会の意識の高まりも必要だろうが)
今すぐの薬と飲み水と食料だろう。次に仕事。
そこで思うのだ、ホワイトバンド300円のうち、有効な使われかたをしているのはいくらだろう、と。
300円のなかから、製造・流通の経費でどれだけ消えてしまうのかと考えると、
新しいラッキーなビジネスチャンスがシリコン会社に転がり込んだ、というだけにしか思えない。
もし3000円くらいしていれば、よし買おうとも思えるのだがなぁ・・・。
「じゃあ300円のバンドを10コ買えよ」とは言わないでくださいな。
仮にこのバンドの製造・流通経費が200円だったとして、
10コ買っても1000円の寄付にしかならないが、
1コ3000円だとしたなら2800円が寄付になるのである。
数をたくさん買えば買うほど、漁父の利にあずかる人がいるわけで、それは本意ではない。
もっと省コストでの届け方を探った方が良いと思うのだ。
いずれにせよ、たかだか300円のものにこんだけ文句を言って
結局買わないワタシが、一番の悪者ではあろう・・・。
ま、バンドもいいけど募金もね、ということか。
※あとで調べてみたら、300円の内訳は原価・製作費・流通費で56%、残りの44%がこの運動の活動費。
というわけで、貧困への寄付としてはゼロみたいです。

2005.10.02 (sun)
コドモはカワイイ。
ムギュってしたり、スリスリしたり、チュッチュしたり。
コドモはカワイイ。
産まれたばかりのときも素晴らしく愛おしかったし、
1歳7ヶ月のいまも、たまらなく愛おしい。
きっとこのさき生意気にもなるだろうけど、
一緒に過ごす時間が蓄積されていくぶんだけ、
やっぱり可愛くってたまらないのだろうと想像する。5歳になっても15歳になっても。
お父さんとしては、このままで行くと、
ムギュってしたり、スリスリしたり、チュッチュしたりを
たぶんコドモが二十歳になっても、たまらなく可愛くって、してしまいそうである。
いや間違いなく、試みてしまうことだろう。
そのときコドモからはキモチワルイと拒絶され、カミさんからはヘンタイと罵られ、
たぶんどこにも僕の味方になってくれる人はいないのだ。
社会的に見ても、父親の異常な行為ということになる。
それに比べてカミさんの方はいい。
チュッチュはムリとしても、ムギュとスリスリくらいなら、
まぁ許してもらえそうである。
お父さんだと許されない。
父親と母親、この差はいったいなんだろう。
こんなに愛おしいのに、不公平じゃないか。まったく。

2005.10.01 (sat)
思いついては忘れていくことが多いので、
もう首からぶら下げるメモ帳をこしらえた。
2種類作ってみたので、取っ替え引っ替えしながらとりあえず一週間使ってみます。
ちなみに既製品では、エルメスで出してるのがありまして、
4万8千円。 メモ帳に出せる金額じゃないなぁ・・・。

さて、9月のDailyはこちらか、
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