Daily・・・日々雑感

2005.09.30 (fri)
どうしてこの駅は栄えないんだろう?
水族園もレストハウス棟も海岸の公園も、こんなに素晴らしいのに、
駅だけが、「埃っぽい千葉の埋め立て地の、人々から忘れられた駅」という感じがする。
徹夜で仕事して時間作ってやっとこさ行くことができた念願の葛西臨海水族園。
帰りがけ、ヘンに寂しい気の毒な気持にさせられた。

2005.09.29 (thu)
「最近の音楽はつまらない」という話をよくきく。
僕も好きな音楽はほとんど70年代のものばかり。
なぜ最近の音楽がつまらないのか、僕はこう思う。
かつての時代に音楽は『手段』だった。
表現のための手段。
それからあとの時代、70年代の刺激的でカッコいいミュージシャンに憧れた世代は、
カッコいい音楽を作ることが目的となった。
目的としての音楽、
手段としての音楽、
その違い。
手段としての音楽の、目的はその先にある『表現』。
それも、「表現したい」ではなく、
「表現せずにはいられない」という衝動的なエネルギー。
きっと60年代70年代からの、あの原石のようなミュージシャン達は、
ミュージシャンであるずっと手前のところから、表現者だったことだろう。
彼らがたまたま音楽を手段としただけであって、
例えばジミーペイジが映画を撮っていたら、ジョージルーカスを超えていたかもしれない気がするし、
ジョンレノンに音楽がなかったら、もっとストレートにキリストを超えてしまったような気もする。
こういうことはきっと音楽だけじゃなくて、
映画も文学も写真も建築も、それぞれの世界で起こっていることなのだろうな。

2005.09.28 (wed)
僕はあまり乗らないけど、タクシーにも
禁煙車があったり、ドライバー自身も非喫煙者で、
クルマには煙草のニオイがまったくついていませんよ、
という事をウリにしていたりって場合があるようだ。
正しい。それは実に正しい。
そのセンで、サービス業としてのタクシーにもう一歩進む方向として思いついたのが、
「ラジオの選択権を、お客に」ということ。
タクシー用の車両には、ラジオのチューナーやボリュームCDスロットなどを
後部座席でコントロールできるようにしておいたら
コブシの利いた演歌や、大沢悠里のゆうゆうワイドなどを聴かされなくても済むのに。
かと言って密室で無音なのも息苦しい。
適当なBGMが適当な音量で流れていてくれるのがありがたい。
お客に選択権がある。それがサービスってものの大前提なんだろうな。

2005.09.27 (tue)
このあいだ居場所の家の息子さんと飲んだときに、
「住んでみてどう?」と聞いてみた。
気持が良いとか居心地が良いというようなことも言ってくれていたなかに、
こんなエピソードがあった。
「ある日、保険勧誘員の女性が来て、
その時はたまたま居間に上がってもらって話をしていたんですが、
その人がなんかソワソワしてて、あっち見たりこっち見たりでどうも落ち着かない。
『どうかしました?』と聞いてみたら、
『ここは・・・なんか・・・デザイナーの家みたいで・・・』
と、なんと言っていいのかうまく言葉にできないけど、インテリアに驚いていて、
とても感心しているようだったんです。
建築家のつくった空間というのに、入ってみたことがなかったんだと思うのですが。
それ以来ウチは、いままで玄関先で済ませていた営業の人とかどんな人でも、
必ず『どうぞお入りください』って一回家の中に上げるようになったんです。
家を人に見てもらいたいって気持が、両親にはできたみたいですよ。」
言葉は正確ではないかもしれないけど、そんなような話。
ご両親は控えめなかたで、いちいち自慢したりするようなタイプではないけれど、
きっと自分の住まいを誇りに思ってくれているのだろう。
こういう話をきくと嬉しい。
僕は建築を提供するだけだけれど、住む人の中で何かが変わっていく。
それに相応しい言葉がうまく見つからないのだけど、
『気持が持ち上がる』とでも言うのだろうか。
毎日の生活に張りが出るというか。
胸が張れるというか、自信になるというか、背筋が伸びるというか、そんなようなこと。
新しい家に住みはじめるまではきっと、
自分にそんな心境の変化が起こるとは思ってもいないのだろうな。

2005.09.26 (mon)
『オモシロそうだから行ってみよう』と
『行ってみてオモシロかった』
は別モノということを意識した上で、
アイチキュウハクが予想より来場者数が多かったというニュースは聞いた方が良さそうだ。
いやいや、僕は「あんなのどうせつまらないよ」なんて言いたいわけじゃない。
『来場者が多い、から、成功だ』という単純はやめてほしいな。と。
ホントは僕も行きたかったです。
だからこそ、何が良くて成功だったのか知りたいわけです。
(1)展示の内容が深くて良かったのか、
(2)ディズニーランド的にオモシロかったのか、
(3)宣伝がウマかったのか、
(4)名古屋人の独特の市民性が何度も通わせたのか。
ウチの今年の夏の予定、
・コドモに海を教える、
・アイチキュウハクに行く、
・水族館に行く
・スターウォーズ3を見にいく、
あぁ・・・全部行けなかった。
何が言いたいのかと言うと、
もしアイチキュウハクの入場者が多かった理由が(1)以外なら、
「行かなくて正解だったじゃないか」って安心できるのになぁ、と。
ええ、ひがんでるんです。
でも、水族館とスターウォーズはまだあきらめてません。

2005.09.25 (sun)
オープンハウスに来てくれたみなさまありがとうございました。
建物が出来上がるたび毎回思うのが、
「いいなぁ・・・こんな家に住みたいなぁ、オレも」
今日来てくれた人も言ってました。
「こんな空間に住んでたら、人生が変わるよねぇ・・・」
そうなんですよ。
『気持がいい』っていう価値は普段オマケのような扱いですが、
毎日毎日いい空間にくらしていたら、そりゃもう人生は全然変わりますよ。
これは絶対!
いずれ僕ら家族の住まいも建てるつもりではいますが、
今こんなつまらないマンションに閉じ込められているその一分一秒さえも
自分の(家族の)豊かな人生への可能性を潰しているのだと思うと、
一刻も早くここを出ていい空間で暮らしたい!
そう強く思います。オープンハウスの度に。
この家を購入してくださったHさん、
どうぞ素晴らしい人生を!

2005.09.24 (sat)
オープンハウスに合わせて、台風も来ているようですね。
明日も10:00から見学OKですので、
午後にでも天気が落ち着くことを祈って。
久我山の家、なかなか出来がいいのでもう一棟もすぐ売れてしまいそうな気がします。
今回公開中の東の家は、計画のわりと早い段階ですでに売れていますので、
まだ建設中の西の家も、そのオープンハウスを待たずに売れてしまう可能性はあります。
今日、写真撮影もしました。
どんな具合に撮れているか、こちらも楽しみです。

2005.09.23 (fri)
久我山の家』のオープンハウスに合わせて、
Worksのページに前作『居場所の家』をアップしました。
ご覧ください。
遅ればせながら、暑中見舞いのポストカードをつくりました。
暑中でもなく、残暑も過ぎ、秋でございます。
もうすぐ年賀状の心配をしなくてはなりません。
ようやくつくった暑中見舞いのカード、今さら送るべきでしょうか?

2005.09.22 (thu)
野球のユニホームは、
どうして長袖の上に半袖を着るのだろう?
どうしてズボンがツンツルテンで、足首の部分は穴空き靴下なのだろう?
運動着なのに、どうしてそんなに厚着なのだろう?
スポーツのユニホームほど、機能性が重要な衣服はないと思うのだが、
野球のそれに限っては、ぜんぜん必要性が見えてこないのだが、どうしてなんでしょう?
ご存知のかた、教えてくださいな。

2005.09.21 (wed)
知人から「チケットが余ってしまったので」ということでPE'Zというバンドを観てきた。
その帰り、この数年縁が途絶えてしまっていた御夫婦と偶然バッタリ再会することができた。
『ヒーリング』という不思議なことをプロとしてやられているかた。
向こうも予定外のお出掛けの帰りだったようで、
こちらも予定外だったライブの帰り。
「ここで会えたのも何かの縁だから」と、
吉祥寺駅構内の雑踏にもかかわらず、僕とカミさんにヒーリングをやってくれた。
手をかざしたり口の中でモゴモゴ呪文のようなことを言ったり、手刀で空を切ったり。
その前で、ジッと動かぬ僕ら夫婦。
ハタから見れば明らかにアヤシイ。
特に吉祥寺は、元ヒキコモリの自己啓発セミナーあがりの人たちが
「手相を見せてください」ってやっているので、
通りすがりの人からはそれだと思われているかもしれない。
ヒーリングというのを、僕もよくはわからないけど、
たぶん、誰にでもわかる言葉で言うなら、
モヤモヤを払って気をリフレッシュさせる、ということではないかと思う。
30分くらいやってもらって、
体が内側からジワジワ温かくなり、身軽になった感じがして、
視界が明るくクッキリとした。
例えるなら、乗っているうちに汚れたり調子悪くなってしまった自転車を、
雑巾で拭き掃除して、油を注してあげて、
久しぶりに整えてあげたときの、走りが軽いあの感じ。
さてさて、オープンハウスの詳細をアップしましたので
どうぞこちらをご覧ください。
みなさまのお越しをお待ちしています。

2005.09.20 (tue)
感動しているホリエモンなんて、誰も見たくなかったのだ。
選挙に出てしまったおかげで、精神的幼さが誰の目にも明らかになってしまった。
いろいろ騒動を起こしてきたホリエモンには、最後まで太々しい悪役を貫いて欲しかったなぁ。
フジテレビ買収では、システムの穴を突き、「違法じゃないんだから、合法でしょ」
という態度で、評価を二分した。
ホリエモンを支持した人たちにとっては、
生き馬の目を抜いたというか、若い社長が息苦しい世の中に風穴を開けてくれた、
とでもいうような爽快感があったようである。
しかし、彼のことを苦々しく感じた人たちにとっては、
『法律』という世の中の最低基準に照らしてOKかNGかで、すべてを計ってしまうような、
誰かが用意した『規制』がそのまま自分のモノサシになってしまっている
『良識』という社会性がザックリ抜け落ちている若きリーダーに、
人格の危うさを感じていたのではないだろうか。
球団買収のときは、
ホリエモン自身の私利私欲と、野球ファンの利益が噛合っていたので救世主として扱われていたが、
(僕も三木谷よりホリエモンに参画してもらいたいと、その時は思っていた)
審査で落ちたのには、やはりそれなりの理由があったのかもしれない。
しかし今回の選挙では、もうすでに
「この人は私利私欲のために、世の中をウマいこと利用することしか考えてないんだ」
という評価は浸透していた。
フジテレビ買収で露呈していた『いつもズル気味の社長』は、
誰が見たって純粋に世の中を良くするためにがんばってくれる人には、とても思えなかった。
しかもアノ顔である。
ワイドショーリポーターの梨元似の顔からして、そもそも悪役なのだから
そこは一本スジを通してもらいたかったなぁ。
選挙の敗戦が確定した時点でのインタビューで、
「住民票はこのまま広島に残します。本当にありがとうございました!」
と、感極まってしまって、ヘタに感動したウェットな感情を出してしまったとき、
誰の目にも、気の毒な小物ぶりが露呈した瞬間だった。
ホリエモンのご両親はどういう想いで彼の素行を見ているのだろうか。
「みっともないからやめなさい」とは、言わないのだろうか。

2005.09.19 (mon)
中学生のころ部活でバスケットボールをしていた時のこと、
日曜日に一日練習を休んでしまった翌日の月曜は、
オモシロイほどシュートが入らなかったものだ。
普段10本打てば7・8本入るはずのシュートが、
いつもと同じように打っているのに、
10本打って2本入るかどうか、という確率になってしまう。
「体で覚える」というのはスポーツも仕事でもあると思うのだが、
たった一日休んだだけでこのザマとは、体というのは実は案外忘れっぽい。
きのうは珍しくdailyやプライベートなメールも一切書かない、
まったくコンピューターのキーを触らない日だった。
おかげで今日、オモシロイほどミスタッチの連続。
『部活で』と打ったつもりが『ブks津で』と出てくる。
何度書き直しても間違える。
ちなみに、書き直さないとこんな具合である。
____________________
中学のこと部活でバスケット簿イーtルヲしていた時のこと
日曜日に位置に散れん羞悪wや住んでしまった翌日の月曜日は
オモシロイほどシュートが入らなかったものだ。
普段10本ウtレバ7/8本入るガスのズゥーとが、
いつもと同じように打っているのに、
10本打って2本入るどうか、と言うかくり乙になってしまう。
「体で覚える」というのはスポーツでもしごとでもあると思うのだが、
たった一日休んだだけでこのザマとは鹿田らというのは実は案外忘れっぽい。
気の乳母珍しくdailyやプライベートなメールも一歳書かない、
まったくコンピューターのキーを触らない日だった。
おかげで今日オモシロイほどミスr太ッチ載れんぞkうい。

2005.09.18 (sun)
常々思っていたことだが、背が大きくて損をすることは多い。
天井高2m40cmの部屋に暮らしていて、
身長180cmの僕と153cmのカミさんとでは、空間の感じかたは間違いなく違う。
人の目線というのは、本能的に「窓のその中心」を向くものであるが、ここでも身長差が出る。
背が低ければ、普通よくある窓の中心だと目の高さより上になるので、
いつもなんとなく見上げるような格好となり、景色も遠く、視界には青空が入り、背筋も伸びる。
逆に、背が高い人の窓の中心は、目の高さより下になり、いつもなんとなくうつむき加減で猫背になり、
空は見えずにコンクリートの床と土しか見えない。
たえず圧迫感の中で生活している。
これは電車に乗るとよくわかるので、こんど彼女・彼氏と目線の比べっこでもしてみるといい。
彼氏が窓から見ている風景というのは、たいてい赤茶の線路と、錆で汚れた砂利と、
線路脇を走るケーブル類である。遠くの街並や空は一切見えない。
こんな電車で毎朝通勤する男性の気持が沈まないわけがない。
(ま、女性にも呼吸困難の苦労があるのでしょうが)
そんなわけで、僕の建築には空を見上げる窓がよく出てくる。
たとえ同じ生活でも、少し上を向いているか、下を向いているかで、
その毎日は少しずつ違って、やがて人生としては大きな違いになるのだと思う。
いいなぁコドモは。いっつも上を見上げていられるのだから、そりゃポジティブな気持でいられるよね。
それにしても、今日ほど背の高さを恨んだ日はない。
背の高い腰痛持ちにとって、このぶどう狩りというヤツはホント地獄なのである。
ま、それを差し引いても、新鮮なブドウはウマかったので、良いっちゃ良いのだが。

2005.09.17 (sat)
5人というのは、すごくいい人数であることを発見。
今日は居場所の家がらみのメンバーで、遅くなったけど工事の打ち上げ。
建て主の息子さん(広告デザイナー)、工務店の監督さん、家具作家さん、
写真家さん、建築家(スナガ)、
僕以外は、みんなはほぼ初対面。
みんなで遠慮し合って距離ができてしまわないかと少し心配していたのだが、
話題が二手に分かれることもなく、会話に空白ができてしまうこともなく、
大人だからTVタックルほどのクロストークにもならないけど、その一歩手前くらいの勢いで、
ひとつの話題にみんなが次にしゃべりたいことを持って待ってる状態。
職種は違えどみんなモノづくりの人たちだから、
いくらでも共通の話題・コトバがあった。
盛り上がって、いやぁホント楽しかった。
ここにいた人みんなが、僕を支えてくださった方々。
僕の設計を、それ以上のかたちで実現してくれた人と、
受け入れてくださったクライアント。
心から、どうもありがとうございます。
また飲みましょう。
(飲むためにまた仕事をしましょう)

2005.09.16 (fri)
凝り性なんだよな。
↓のHPタイトルは、リニューアルの際につくってくれたもの。
『welcome to survival design』のあと、
鉛筆が走ってアンダーラインを引き、
消しゴムがその線を消し、もう一度引き直す。
「なに、これ?」と、初めて見たとき製作者に訊いてみたら、
一回目は、線が行き過ぎて右にはみ出してしまう。
それを消しゴムで消して、二度目ではキチッと決まる線に描き直しているのだそうだ。
「そんなん、言われてよく見なきゃわかんないよ」と言ったのだが、
サバイバルデザインで行われているであろう、描いては直して描いては直しての
設計作業をイメージしてみたのだと。
つくった本人にしかわからない奥の細道的工夫というのは、どの職種でも同じらしい。
そんなマニアックな工夫の集積が、トータルの質を決定しているのだろうな。
それを執念と呼ぶのかもしれない。

2005.09.15 (thu)

個人で活動しているみなさん、ホームページはちゃんと作りましょうね。
魅力的な活動している人なのに、
ホームページがダサイと、ホント残念です。
よくあるのが、
「自分でやろうと思ったけど、
たまたま知り合いに少しできるひとがいたから、
お願いしちゃった」というパターン。
いかにも市販の家庭用ホームページ作製ソフトでつくりましたという感じの、
幼稚で、ダサくて、写真がきたなく、階層がめちゃくちゃで迷子になるサイト。
かと言って、知人の善意に甘えて作っちゃったために、
新たによそのプロに作り直してもらうのは気が引ける。
そういうヘンに身動き取れなくなっている人って、けっこう多いようです。
あとは、ヘタに自分で作れちゃうがために、
付け焼き刃の浅い知識でやっとこさ作ったサイトもよく見かけます。(僕もこのクチでした)
シロウトに毛が生えた程度で何ができるか、自分の職業に置き換えて考えれば分るはずなのですが、
不思議なことにホームページの世界はシロウトでも出来ちゃうような錯覚がいまだに残っています。
もうネット創世記のバタバタも落ち着いたことですし、
自分の仕事にこだわりをもって取り組んでいるかたは、
ちゃんとホームページにも一定レベルを確保しましょうね。
もしよかったら、ウチのサイトを作ってくれてるウェブデザイナーも紹介しますよ。
(いえいえ、紹介料なんて取りませんから)

2005.09.14 (wed)
建築雑誌、じつはキライである。
見れば見たで、しみじみ「いいなぁ・・・」と思う作品も載っているのだが、
大抵の場合、見終わった後にイヤなグッタリ感が残る。
住宅設計のコンペサイトや、webで建築家のホームページを検索してみたときなども、
同様のグッタリ感に襲われる。
「・・・みなさん頑張ってるなぁ」
自分だってがんばっているつもりなのだが、
同業者の方々あれと張り合わなければいけないのかと思うと、
ズーンと気が重くなる。
なんでだろう?と、ずっとモヤモヤしていたのだが、やっとわかった。
『躁状態』
あれについていけないのである。
仕事を取るというのは、本当に大変なこと。
レベルの高い結果を出すというのも、すんごい大変なこと。
テンションを上げていかないとできない。
躁状態でやるしかない。
でも、それを見るのは結構ツライんだなぁ。
テレビのバラエティ番組を見るのがツラクてできない。その感覚とも似ている。
僕はがんばっている人が好きなのだが、
『躁状態』だけはダメである。
この違いはいったい何なのだろう?

2005.09.13 (tue)
『たしかな 野党が 必要です』
コレおもしろいなぁと思っていて、んで、遊んでみた。
「たしかな ○○が 必要です」の○○に色んな言葉を当てはめてみる。
はい、まず最初、
『たしかな おばさんが 必要です』
・・・・・・。
おばさんの存在価値が変わってくる気がします。
ちょっとPTAっぽくもあるね。
・・・というかそのまま社民党のコピーとしても使える気がする。
じゃ、次
『たしかな 犬が 必要です』
無邪気なワンワンにも、なにか自覚が芽生えた感じがしますね。
同時に意味深にもとれます。一瞬、ポチ外交という言葉がアタマをよぎりました。
じゃ、裏の意味がなさそうな言葉で、
『たしかな 明太子が 必要です』
たしかな明太子・・・、
いままで食べていた明太子に、疑問を誘うコピーとなりましたが、
もっと鋭く赤く!と言っているようにもとれます。
さて、じゃ、『日本を あきらめない』を使って『○○を あきらめない』をやるとどうなるか。
『おばさんを あきらめない』
・・・つ、強い。
むしろ あきらめて欲しい。
『犬を あきらめない』
けなげ でいいですね。ペットは落ち着きます。
ポチという意味は、考えるのよしましょう。
『明太子を あきらめない』
鮮魚売り場で地団駄を踏む、老けた味覚の駄々っ子のようになってしまいました。
そんじゃ最後に、
『改革を とめるな』だとどうなるか。
『おばさんを とめるな』
・・・・・・。
たしかに、それは誰にも止められない。

2005.09.12 (mon)
久我山で進めていた建売りの物件がもうすぐ竣工します。
つきましてはオープンハウスをおこなうことになりました。
日程 9月24日(土)25日(日)10:00〜17:00
住所 東京都杉並区久我山4-47-24
地図はこちら
詳しくはまた後日アナウンスします。
久我山の家は2棟並んで建てていまして、プランはまったく異なります。
『久我山 東の家』は1階リビング・2階寝室で、南に庭のある定番の間取り。
『久我山 西の家』は2階リビング・1階寝室で、庭はないけれど駐車場が2台分の
防犯性とプライバシーを重視した今どきの間取り。
2棟とも基本設計を僕がやっていますので、もちろん普通の建売りとはだいぶ異なります。
いままで建築家の住宅に興味がなかった人が住んでもらって
「どんな空間に暮らすかで、人生まで変わっちゃうのだ」
ということに気がついてくれたらなぁと思っています。
今回公開するのは、そのうちの片方『東の家』です。
ちなみに、こちらはすでに購入者が決まっております。
『西の家』のほうは購入者も決まっていませんし、オープンハウスも日をあらためておこないますので、
そちらもまた、どうぞお楽しみに。

2005.09.11 (sun)
今回もそうだ。
「ついでに裁判官も選んでね」
にも書いたので今日はもうそれはいいや。
それにしても・・・そういう結果ですか。
二大政党制は遠のいてしまいましたね。
個人的な意見として、僕は残念です。
そして今後がとても心配。
国会で決めるのは郵政だけじゃないはずで、
年金も、福祉も、憲法改正案もこれからやるのでしょうに。
一党独裁でいいのかなぁ・・・
キレイに罠に掛かった感じがする。
やっぱアタマはいいんだろうな、コイズミさん。

2005.09.10 (sat)
病院って難しい問題。
ウチのコドモは成育医療センター(旧:大蔵病院)という数年前にできた大病院で産まれたけど、
「きれいでいい病院だった」と好印象。
だが、友人いわく「昔の建物の方が、街並とマッチしていて良かった」と。
・・・なるほど。そういう見方もあるな。
古い病院にはどうしても、カビ臭さというか清潔でない感じが否めない。
歴史を背負った街並の良さは、僕ももちろんわかるのだが(普段ならそちらサイドなのだが)
どうやらこの手の問題は、自分が当事者か傍観者かというところで、
感じ方がスッパリ分かれそうだ。
それは住宅レベルでも起こりうる。
外壁の杉板が時代を経ていい具合に風化してるなぁなんて見ていると、
そこに住む当事者は不具合だらけのボロ家にストレスを溜めていたりする。
文化の問題と、人の生理的な欲求が反することは多々ある。
その折り合いをつけるのは、じつに難しい問題。
特に、肉体的にも精神的にも弱っている病人・ケガ人・不安を抱えた妊婦など、
弱みを持つ者のための施設、病院はその典型的な事例だなぁと思った。

2005.09.09 (fri)
なんでみんな、そんなにも日記を一般公開したがるのだろう。
(「オマエが言うな」という声が飛んできそうだが。)
日記と雑文(エッセイ)は違う。はず。
そういうことを意識しながら書いている人ってのはどれくらいいるだろう?
僕もついつい知人のブログなどチェックしてしまうのだが、
自分を『読者』にさせてくれる読み物は少ない。
インターネットが成り立っている要因のおそらく半分くらいは、
人間の本能的なノゾキ趣味じゃないかと僕は思っているのだが、
僕がついつい読んでしまうのも、それのせいである。
『ひとりごと』と『表現』は根っこからしてまったく違う。
他者になにかを伝えるためにするのが表現。
ただ出ちゃうだけのオナラみたいのがひとりごと。
そこに『読みごたえ』の差が出るのだろう。
オナラは勘弁である。つまらないものを見てしまった小さな後悔だけが残る。
僕もこうして毎日書いていればオナラの日もあるわけだが、
公開しているということはいつも念頭にある。
dailyで書いていこうとしているのは、
どこかの誰かにいつか役に立つかもしれない情報と、
常識とはズレたモノの見方や考え方の提案、問題の提起、
あとは仕事のための自己紹介。
ネタと切り口と伝え方、読んでもらうために書こうと思うと結構しんどい。時間もかかる。
いっとき、「若者の活字離れが深刻だ」と言われた時期があったが、
いまネットやケータイのおかげで、カタチを変えながらも文章の読み書きが
若い側から復活しているように思う。
せっかくのなのでこの波にのって『ひとりごと』が『表現』へと進化していったら、
文化はもっとオモシロくなると思うのだ。

2005.09.08 (thu)
生協でとってるカニのパスタソースが んまい。
冷凍になってるレトルトなのだが、ただスパゲティにかけるだけで
「・・・このままレストランに出しても売れるぞ」というほどうまい。
そのままでも充分うまいのだが、
最後にバターで少し火を通したトロトロ卵を載っけてあげると
カニの旨味とふんわり卵が口の中で醸し出すハーモニー!(←貧困な表現能力に自己嫌悪)
・・・ま、もっとウマくなるということですわ。
で、「色合いとして緑色のものが欲しいなぁ」ってんでパセリの粉末でもかけて
いっただっきまーす♪
・・・・・・・ん?
これ、アオノリ・・・。
しかもドバって出ちゃってるし。

2005.09.07 (wed)
『タブー』は人を思考停止にする。
この写真は通販生活についてきたブックレット。
一瞬、「通販生活の背後にはどんな団体がいるのだ?」
と、思想を強要されそうな妙な危険を感じたが、
調べてみたら、ちゃんと岩波書店から500円で発売されている本であることがわかった。
18人の著名人がそれぞれに自分の考えを話している。
人選はそこそこバラエティーに富んでいて、語り口の方向・切り口は違うけれど、
共通しているのは「戦争はカンベンしてくれ」ということ。
今の日本、どうも政治や宗教、つまり思想について、
自分の思想を述べること、他者の思想について口を挟むことは、ダブーとされている節がある。
自民党と民主党と公明党と社民党と共産党では、思想が異なるし、手法も異なる。
一部には宗教が党になってしまったものもあるし、党が宗教じみてきているところもある。
他の国のことはよく知らないけれど、皮膚感覚として、
日本においては政治・宗教・哲学・思想が曖昧に混じり合っていて、
多くの人にとっては「ヘンなことが言えない」世の中になってはいないだろうか?
そのあたり、この『憲法を変えて戦争へ行こう という世の中にしないための18人の発言』は、
潔い風を送り込んでくれたような気がする。
「ヘンなことが言えない」と勝手に思い込んでいることは、本当は全然ヘンじゃない。
「戦争はゴメンだ」そんなの多くの人にとって当たり前のことだろう。
ふつうのひと(政治に個人的利害がないひと、信仰=思想ではないひと)が口をつぐんでしまったら、
一部の声のデカイ人の意見が通ってしまうだけだ。
慎み深いのが日本人だけれど、慎み深くない一部の人たちが好きなように舵をとっていないか?
そんな恐ろしい船を、ふつうの人がただ漕がされるなんてゴメンだ。
幸い憲法改正だけは、与党がどんな改正案で強行しようとも、最後は国民投票で過半数の賛成が必要。
イラクへの自衛隊派遣のように、世論が無視され簡単に強行されるようなことはない。はず。
改正案には巧妙な罠が仕掛けられている可能性は大だけれど、(二者択一とか)
意思表示をしたけりゃ、投票に行くしかない。
僕には支持する政党も、信仰する宗教もない。
タブーだと思い込んで思考停止している場合じゃない。
思ったことは言う。
「戦争はゴメンだ!」

2005.09.06 (tue)
「褒められたがり」である。
建築の世界に入ったばかりの頃、
超一流の宮大工を育ててきたひとの書いた本を読んでいたら、
「褒められたい」と思って仕事をしているヤツに、いいものなんか絶対につくれない。
というようなことが書いてあった。
「そ、そうだよね。そんなゲスな根性じゃ、そりゃぁ、い、いい仕事なんてできるわけないじゃないか。ハハハ。」
と、動揺を押さえ込んで、自分をゴマカシたことがあった。
が、あれから何年経ってもやっぱしムリ。
私はいつでも褒められたい人間です。
はい。

2005.09.05 (mon)
ウチの実家は、屋根をバラバラと雨の音がする。
住み始めた当初からそのことでは散々両親に苦情を言われた。
特に夏の夕立のときなどは、テレビの音がまったく聴こえなくなるのだと言う。
「聴かなくていいじゃん」
と思ったのだが、それはダメなのだそうだ。
僕はもともと雨の音が好きである。
バラバラという音はむしろ小気味よく感じるし、
また夕立や台風の、嵐のような激しい雨でも、
自然の起こす暴力には、憧れと爽快感を感じているのでウェルカムである。
「この家の雨音は、オマエが言うような生やさしいもんじゃないんだ」とも言われたが、
この建設をしていた頃は、毎夕激しい夕立が降っていたので、どの程度の音なのかそれは充分知っている。
せっかくの雨の日くらい、雨の音を聴けばいいのに。と思うのだが・・・。
それでもいちおう建て主の苦情である以上は、
その後の設計する物件においては、残念だがきちんと防音措置をするようにしている。
いつか、「いい雨音のする家にしてください」という建て主が現れてくれないかなぁ。
※この写真では誤解を産みそうなので断わっておきますが、
屋根も天井も折板一枚って訳ではありませんよ。
『折板+断熱吸音材+折板』というサンドイッチの構造にしていますので、
倉庫やバラックのそれとはゼンゼン違います。
でも、音はします。

2005.09.04 (sun)
子供乗せ自転車、快適である。
7段変則のギアチェンジにも慣れてきた。
使ってみるとなかなか便利。
納車されて初めての日曜日、嬉しいので吉祥寺をサイクリング。
街行く人がみんな見てる。
「お!カッコいい自転車」「カワイイお嬢さんね」「ohイカシタ オヤコデース」
新しい靴をおろした日、髪の毛を切った日、
お気に入りの自転車を乗り回す日、
世界中が自分に注目しているような錯覚。
勘違いは至極の幸せ。
大泉学園の自転車屋さん、コレいい具合です。

2005.09.03 (sat)
あまりにロマンチックすぎる表現だから、それを避けたのかもしれないけど、
あの家はまさしく小鳥の巣なのだ。
すみかの材料になりそうなものを、拾ってきてはコツコツ組み上げていく行為。
安心できる高みからそっと街をのぞく、ツガイのねぐら。
まだか弱き小鳥が、無限にも思える大空を自分のフィールドとするための、巣。
住まい手である作者自身が付けたこの家の名前は「プーライエ(鶏小屋)」。
きっと照れくさかったから、「飛べない鳥」とおどけてみせたのだろうけど。
そのストイックな外観の小さなアジトは、
柔らかく暖かく、大きくて小さい。産毛のような建築だった。
 プーライエは70年代の名作住宅。
大学卒業したての若夫婦が自分達の手で組み立てていった小さなユートピア。

2005.09.02 (fri)
ひと月ほど前からだろうか、ウチのコドモが、コドモ臭い。
子供臭さ、おわかりいただけるだろうか?
エレベーターで小学生の数人と乗り合わせた時など、
ほんのり汗くさいというか、雨上がりの草むらのような青臭さというか、
カメムシのようなというか、何とも言えない子供独特の湿度のあるニオイを感じたことはないだろうか?
それのことである。
ウチのコドモは一歳半になり、ついにオッパイもくわえなくなったそうだし
(恥ずかしそうに「イヤだよぉ」という感じで押し返すのだとか)、
もう赤ちゃんは卒業してしまったのだなぁ。

2005.09.01 (thu)
「30代はいいですよ。」
とサラッと言われた。
このあいだ34歳のかたと話していたときに、
「僕も先日30代の仲間入りをしてしまいまして・・・」
と苦笑いな感じで話したときのこと。
「遊ぶにしても落ち着いて遊べるし、
色いろ、20代のようなヘンにムリヤリなことをしないでも良くなるから、
30代って楽しいですよ。」
アッサリと言ってくれたこの言葉は、とても頼もしく嬉しかった。
このひと言で、ようやくながら30代を受け入れようという気持になったのである。

さて、8月のDailyはこちらか、
右のバックナンバーメニューからどうぞ。