Daily・・・日々雑感

2005.04.30 (sat)
新緑、木もれ陽、そよぐ風、
井の頭公園でジャカジャカとジャムセッション。
自宅兼仕事場で引きこもり気味の僕を、友人が連れ出してくれた。
空気がうまい!
風がキモチー!
やっぱ音楽はたのしー!
それにしても、みんなうまいよなぁ。(というか自分がヘタなのか。)
今日は反則ブルースハープで誤摩化しちゃったけど、
ちゃんと日々ギターの練習はしようっと。
時間つくって。

2005.04.29 (fri)
「時間がない」って言うのをやめようっと。
やりたい事、やらなきゃいけない事、たくさんある。
たくさんありすぎて、こなせない。
全然こなせてないなぁ。
つい「時間がなくて・・・」と言ってしまうけれど、
そう言ってるうちはいつまでたってもダメだろう。
時間は作るもの。
時々言い訳だってしたくなるのはしょうがない。
けれど、せめて「時間を作るのがヘタで・・・」とか「やりたい事がありすぎて・・・」
と言うように心がけようっと。
ぜんぶ自分が選んだことなんだ。

2005.04.28 (thu)
『4ヶ月を過ぎたら離乳食、1歳を過ぎたらほとんど普通の食事』
という指針みたいなものがあるらしいのだが、
・・・無謀だよなぁ。
4ヶ月の赤ん坊、まだ歯のない時期からお粥をグイグイ飲みこませ、
1歳の乳児の、前歯数本しか生えてきていない時期に米を食わせようというのは、
どう考えても・・・。
オトナだって噛んで食べるものを、
歯のないコドモに飲み込ませてるんだもの。
やっぱり自然の摂理ってものがあるじゃない?
ウチのは1歳3ヶ月になりました。
まだお粥だけど、楽しそうによく食べてます。

2005.04.27 (wed)
うちの卵豆腐はちょっとカワイイ。
プッチンプリンのような正しき工夫があるわけでもなく、
お皿にあけるのが困難なカップに収まっているのだけど、
こんな風にイラストで、「『トントン』ってしてね。」とお願いされちゃうと、
なんだか、許せてしまう。
ちょっとキースヘリングっぽい愛らしさとも似ている。
ちなみに、トントンってしても全然キレイに出てきません。
中央の一部分だけが落っこちて、半分くらいはカップにへばりついたまま。
結局スプーンでそぎ落とすことになる。
でも、カワイイんだな。
ちょっとダメなくらいが丁度いい。

2005.04.26 (tue)
鉄道の専門家の話には出てこないけれど、
首都圏直下の地震が起こった時には、
脱線事故なんていくつも同時に起こるんじゃないのかな?
住宅街を縫うように走る路線はいくらでもあるし。
今回の事故でぶつかったのが大きなマンションで、
しかも人が住んでいないところで、まだ運がよかったと思う。
きっと東京での大地震の時には、
列車が木造の民家をグシャグシャなぎ倒すような脱線事故も起こるだろう。
大地震の事って世の皆さんはあまり心配してないみたいだけど、
(というか目を背けちゃってませんかね?)不安にならないのかなぁ?
電車の成り立ち自体が、
何もない野っ原に線路が敷かれ駅ができ、
その廻りに少しずつ人が住み始め、住宅街ができていってにぎやかな街になっていく。
鉄道の方が人よりも先にあったのだからあまり疑問にも思わないかもしれないけど、
これがある日突然、
「住宅街の真ん中を突っ切ってココに線路を作る事になりました」なんてなったら、
みんなで猛反対するのだろうにね。
平穏だった住宅地を、鉄の塊が猛スピードで自分の家の軒先を疾走するなんて、
・・・安全なワケがない。
『そういうもんだ』という思考停止の状態は恐ろしいよなぁ。
駅のホームだって、フラフラ歩いている人の脇を、
時速60kmで通過電車が突っ込んでくるのは見慣れた光景だけど、やっぱり異常だよね。
走らせてる方も、フラフラ歩いてる方もさ。
つまらない事を書いてしまったので、写真はさわやかに。
カミさんが作ってくれた菜の花。こんな生け方もあるのか。
つくづく、創造力は想像力だと思いますわ。

2005.04.25 (mon)
なんだか、とんでもないことになってる。
あの電車の運転手のご両親はどんな気持だろう。
我が子の生死が危うい辛さが、もちろんあるだろう。
それと同時に、我が子が仕出かしてしまったのかもしれない事の大きさには、戸惑うばかりだろう。
いくつもの命が失われ、重体の人もいる。
犠牲者の家族がいったいどんな想いか、それは運転手の両親だって痛いほどわかるだろう。
我が子の心配だけでは済まない、抱えないわけにはいけない罪の意識の大きさに、
運転手のご両親の事が、とても気の毒に思えてしまう。

2005.04.24 (sun)
日曜日はお休み♪
朝から隣町でやろうとしている地域通貨の打合せをしに行って、
昼からは、これからやろうとしている建て売りの打合せをして、
夕方は、地域活動の知り合いのかたと、世の中を良くしていくために
ひとりひとりから発信できることについて、いろんな話をして。
そのあと夜ごはんを作って。
一日中動き回っていたのでクタクタだけど、気分はなんだかいい。
天気も良かったしな。

2005.04.23 (sat)
自分自身のことというのは、なかなか見えにくいものであるが、
建て売りのプランを練っていてて、ふと、自分の設計スタイルに気が付いた。
あぁそうか、僕の設計手法はテトリスとクロスワードパズルを
同時に成立させようとしているのか。
建物の外枠は単純な四角にして(→テトリス)
その中に、間取り的には、ひとつの空間には必ず2つ以上の用途があるようにする。(→クロスワードパズル)
例えば、僕の建築には廊下がない。
廊下はただ人が通過するだけで、部屋と部屋をつなぐために仕方なしに存在する、
ムダな空間だと思っているから(例外もあるけど)極力それがないようにプランを組む。
居間と個室を直接に隣接させたり、(S-house
玄関ホールが書斎を兼ねてしまったり(森に浮かぶ家)。
プランはグリコのように、一粒で二度おいしくありたい。
また、建物の外壁廻りが凸凹してしまうことは、僕は好まない。
パズルに負けてしまった気がするのだ。
(外の庭との関係を豊かにするために、わざと凸凹をつくるのはアリ。)
「12帖の居間と、4帖の台所と、6帖の和室と、8帖の寝室をくっつけたらこうなりました」
というような凸凹は絶対にNGだと思っている。
依頼される仕事に、敷地にも予算にもゆとりのない物件が多いから、つまらないムダは残したくない。
だからパズルがピチッとキマるまで、アーでもないコーでもないをくり返す。
そうやっていると、そのうち「キタ!」という瞬間があって、
それは、数学や物理の問題をやっている時のような「解けた!」という感覚によく似ている。
ただ学問と違って、設計は決まった答えに必ずたどり着くようなものではない。
答えのないパズルを永遠に解いているようなもの。
ということは、設計者本人が決めてる合格ラインがどこにあるかというのが、
パズルの完成度を大きく左右する。
基本設計が終わりの時点で設計者が、
「建て主さんの要望を取り入れた結果だから、まぁ、しょうがないかな」と言っているか、
「敷地が敷地だし、まぁ、こんなもんでしょう」と言っているか、
「けっこう巧くできたな、よし、これでいい」と言っているか、
「キタ!」と言っているか、それぞれ出来上がるモノにも差が出るはずだ。
幸か不幸かわからないが、「キタ!」って時の快感を一度を味わってしまうと、
その感覚が病み付きになるんだな、これが。

2005.04.22 (fri)
カミさんが出掛けた先の公衆電話から電話を掛けてきた。
「あのさぁ、いまって街に全然公衆電話がないのね。
みんな携帯電話持ってるからなのかなぁ?
けーっこう探して、やっと見つけたのよ。
公衆電話って街には全然ないんだけど、
高島屋の中に入ってみたら、こんどは各階にみんなあってさぁ、なんかねぇ。
携帯電話、持ってない人だっているんだからさぁ、
残しておいてほ ピー!ツーツーツー・・・」
・・・そんな無駄話より、用件を先に言えってんだ。

2005.04.21 (thu)
チャッチホンというサービスは、どうもダメである。
「あ、ちょっと待ってもらえます?」と、先に掛けてきた人を待たせて、別の電話に出るのは何ともイヤな気分。
お話中のツー、ツー、になってくれた方がずっとありがたい。
キャッチホンというのは、『サービス』と言いつつNTTにとって通話料金が2本分同時にとれる、
丸儲けのシステムだろう。
もうずいぶん前のことになるがNTTがこのサービスを打ち出した時には、
「エグイことするなぁ」と、その商魂のたくましさに驚いた。
今ウチはNTT回線はほとんど使わず、通常yahooBBのIP電話になっている。
これもまた、曲者なのだ。
選択の余地なく、キャッチホンの設定にさせられてしまっているのである。
お話中のツー、ツー、には絶対なってくれない、そういうシステムらしいのだ。
だもんで、通話中にキャッチホンが入ると困っちゃうんだなぁ。
キャッチホンを無視して、今通話中の相手との話を続行するか、
もう一本の相手に留守だと思われてしまわないように、キャッチホンに出るべきか、
毎回迷う。
迷って、たいていの場合は今通話中の相手の方を優先させるんだけど、
うーん、何とかならんかなぁ。
昔ながらの『お話中』が一番わかりやすくて良いんだけどな。

2005.04.20 (wed)
修理に出したデジカメ、治って返ってきたのだが、どうも音が変わった。
電源を入れると以前は「ウィーン、ウィン。」と言いながらレンズがニョキっと出てきたのだが、
修理後は、「キュィーン、カシュカシュ。」に変わった。
canonの修理に問い合わせてみると、
中身を全部ではないけどレンズユニットごとゴッソリ取り替えたのだそうだ。
音の違いはレンズユニットの個体差によるもので問題はないという。
まぁ、治ってるならいいんだけどさ。
3年間毎日持ち歩いていたデジカメくんが、
他人になってしまったようで、ちょっと残念な気もする。

2005.04.19 (tue)
「キミは大きくなったら、なにになるの?」
思いもよらない言葉が、自分の口を突いて出た。
自分が子供だったころ、「オトナってのはなんてしょうもないことを訊くのだろう」と、
言われるたびに疎ましく思っていたけれど、
その言葉を自分が、つい発してしまうなんて。
「自分のことを『お父さんはね・・・』と言うオヤジにはなりたくない」
「奥さんのことを『お母さんがね・・・』と、家族を役割名で呼んだりはしない」
「自分の子供だってひとりの自立した存在として認めたい」
いやいや、ずいぶん生意気なことを言ってたものだ。我ながら恥ずかしい。
今となっては、もうそんなこと、どうでもいいや。
だってお父さんは、いまが一番幸せなのだも。

2005.04.18 (mon)
デジカメが壊れたので、新宿にあるcanonサービスに修理に持っていった。
修理のおじさんは、パパッと見ただけで「7500円になります。明日の3時以降に取りにきてください。」という。
ええ?そんなに早く治るの?しかも案外安い。
2週間くらいかかるのかなぁ、と憂鬱な気持だったのだが、オドロイタ。
こういうものはチマチマ修理なんかしないで、中身をゴッソリ入れ替えちゃうのかもしれないな。
考えてみりゃ、人間の手間代が一番高価な時代だ。
大量生産のときに余分に作って、ストックしておけば、
店頭で2万円台で買えるデジカメのメーカー原価なんてあってないようなものなのかもしれない。
そんなことを考えつつ、やはり迅速に修理対応をしてくれるのは嬉しい。
次に買う時も、canonにしようという気になった。

2005.04.17 (sun)
なんて、みっともなんだろう!なんてカッコいいんだろう!
テレビをつけていたら、サンボマスターというバンドが歌ってる。
ものすごいヘタで、ものすごいダサいルックス。
でも、ものすごいエネルギーを発している。
テレビの前で、身動きが取れなくなってしまった。
「ロックって音楽じゃ無かったんだ・・・」失っていた感覚を突きつけられた瞬間。
表現の手段として、小説を書く人がいたり、編み物をする人がいたり、
山を登る人がいたり、歌を歌う人がいたりする。
時には、人を殴ってしまう人がいたり、物を壊す人がいたり、
叫びながら走り出してしまったりすることもある。
そうだ、ロックは音楽のいちジャンルではないのだ。
自分の想いを爆発させる、ロック。
サンボマスターの人は、
「いのちの放射」という言葉を使った。
なんて巧いことを言うのだろう。
体の中心を通っている一番柔らかで敏感な神経を、ギュッと掴んで離さない、
まるで直接電流でも流し込まれているようなこの感覚。
メディアに載ってはいけないヘタさの、
どうしようもない、あり得ないヘタさ、最悪のみっともなさで、
エネルギーを放射しているこのバンドは、なんてカッコいいんだろう!
清志郎もyo-kingもきっとホントはこのぐらい、
音楽じゃないロックをやりたかったんじゃないかな。
僕は今の音楽には疎いものでノーマークだったけど、サンボマスターというバンド、こいつぁとんでもないぞ。

2005.04.16 (sat)
「打合せが無いかぎり、日曜日は休む」そう決めてから3回目の日曜日が、明日やってくる。
さて、コンピューターの電源を落とそう。
ただいま土曜の31時。
そして週明け月曜日は、AM3:00から始業の予定。
それでも休日万歳!

2005.04.15 (fri)
新しい携帯電話がやってきた。
初代はペンキで真っ白に塗ってしまった。
おかげでむしろ汚ればかりが目立つ、汚らしいものになった。
二代目はホビー用のスプレーで真っ青にしてしまった。
オモチャ電話のような、インチキ臭いものになった。
三代目は原型がわからなくなるように、パテで固めてしまった。
岩のような外観となり、「原始人の携帯電話」と呼ばれるようになった。
さて、今日やってきた4代目、
「携帯電話にはまともなデザインがない」ということに端を発した改造道であったが、
時代は移り、今回のやつは元のデザインがたいへんまともである。
よそのデザイン屋がデザインした製品を身に付ける、そのことには気持が納得いかないのだが、
まぁ製品の保証期間が切れるまでは、このまま使ってみるか。

2005.04.14 (thu)
「そこでメシ食ってうまいか?」
というのが、僕のモノサシである。
ブームだかなんだか知らないけど、それにしてもスカした住宅が多いなぁ。
白くてキレイなインテリア。
ガラスのダイニングテーブル
美術館も洋服のショップも住宅も、なんだかみんな同じよう。
あんなところで食べても、メシが冷たくてマズそうだな。
たとえば、同じお弁当屋さんのものであっても、
公園の木陰で食べる唐揚げ弁当には、ほがらかな幸せの味がするけど、
それをオフィスのガラス張りの会議室で食べてみると、ひどく味気ない。
早く口に押し込んで、隠しちゃわなきゃ、そんな気持になる。
住宅は、メシ食って、風呂に浸かって、眠るところ。
見栄のためのインテリアは、むしろ下品に映る。
食事とかトイレとか、人間の動物的な行為の部分をハードウェアが上手にサポートしてあげられたら、
良い建築になるのだろうと、そんなことを僕は思っているんだな。

2005.04.13 (wed)
毎回100円ショップには驚かされる。
「これを100円で売れるということは、原価はいったいいくらで出来てるのか?」
という疑問がアタマをかすめるが、
みんながみんな、100円で売って利益が出ているとも限らないのだろうな。
ちっちゃな陶器の小皿と大きな丼が、原価が同じではなくても、
ショップ全体として総合的に見て利益が出ていればそれでいい。
ということなのだろう。
損をする部分も混ぜつつ、全体で特になるように売っていく。
「あそこに行けば、なんでもある。・・・ような気がする」
という100円ショップの割安感をお客の心にスリ込んでおくことが肝なのだろうな。
100円ショップってのは、パッと必要な物だけ買って帰るってのができないところだなぁ。
急いでいる時でも「なんか、買ってくものなかったっけかなぁ」って、棚をくまなく回ってしまう。
普通のショッピングって、「買わない。でも、良いものあったらその時は考えましょう」って気構えでいるけど、
100円ショップは「なんか買いたいぞぅ。なんでも買いたいぞぅ」って思いながら店内を回っている気がする。

2005.04.12 (tue)
愛地球博の会場でトイレに行きたくなった。
『大きい方』である。
さすがはアイチキュウハク、トイレでも環境との共生を呼びかける。
そこは、いかにも公共施設の近代的設備の整ったトイレとは違い、
まるで海の家の更衣室のような、ガラーンとした仕切りのほとんどない仮設的な小屋で、
床はそのままの地面の上に所々スノコが置かれている程度。
そんなトイレの入り口で係の人から、中が二重になった紙袋を渡されて「これにしてきてください」と言われた。
来場者の排泄物を利用して、会場内に設置されたバイオだか微生物だかの設備を使い、高性能の肥料を作って、
会場内に設けられた栽培施設で完全無農薬の野菜が栽培され、その野菜が会場内のレストランで使われ、
来場者の口に入るのだそうだ。そのために排泄物は資源として回収するのだそうだ。
アイチキュウハクの会場内で、未来のモデルとなる完全な循環が行われているのだという。
なるほど、だから水洗便器などは設置されておらず、専用の紙袋を手渡されるというわけか。
でも・・・大きい方はまぁそれでも良いが、
しゃがんで大きい方をしている時に、どうしても小さい方もピューッと出てしまう。
そちらの方はどうしたら良いだろうかと思い、
そばにいた係の女性に聞いてみると、大きな中華鍋のようなものを渡された。
中華鍋をまたぐようにしてしゃがみ、大きい方用の袋を鍋のちょうど良さそうな位置に置いて用を足せば、
ピューもポトポトも両方受けられて、分別回収も可能というわけだ。
さすがはアイチキュウハク。
さて、先ほども書いたように、ここのトイレはガラーンとした大きな小屋で、個々のブースというものがない。
分別回収のおかげで水洗の便器を設置する必要もないから、
「どこでもお好きなところでどうぞ」ということらしい。
徹底してコンセプチュアルなトイレに感心しつつ、
いよいよワタシの大の方も切羽詰まってきたので、なるべく人目を避けられそうな片隅を探して用を足した。
なに、ココではみんな同じなのだと思えば、開放的なトイレもそんなに恥ずかしくもない。
そういえば聞いた話によると、中国は個室になっていないのが普通なのだそうだから、慣れなのだろう。
用が足し終わって、大きいブツの入った専用袋と、小さい方の入った中華鍋を持って、
先ほどの入り口に行くと、大きな回収機が設置されている。
大きい方のは袋からあけずに、専用袋ごとポイッと捨ててしまって良いのだと言う。
微生物が分解する繊維で作られた紙袋なのだそうだ。
そして中華鍋の方は・・・と戸惑っていると、
先ほどの係の女性が「やっておきますよ」と鍋を受け取ってくれて、
別の回収口に中身だけジャーっと入れてくれた。
ブルブルと大きくと2回ほど振って水気を払い、鍋はまた元に場所に積んでおく。
すると、次にトイレにやってきた人がまた鍋を持っていって用を足すというわけだ。
なるほどなるほど、と思いつつトイレを後にした。
「このトイレのことをどう話そうかな」などと考えながら、
外で待ってくれているカミさんのところへ戻ろうとして、ハタと気が付いた。
オレ、アイチキュウハクに来てるんだっけ?
・・・・・・よくよく考えてみると、昨日の晩、東京の自宅で「おやすみ」って寝て、
まだ起きていなかったような気がする。
いま僕はお布団の中にいるんじゃないのかな?
ということは・・・・・・
さっきのトイレでした『大きい方』と『小さい方』、いったいどうなったのだろう?
微生物は分解してくれていないような気がする。
なんたってここはお布団の中なのだ。
なんか・・・イヤぁな予感。
恐る恐る、パンツの上からお尻のあたりを触ってみる。
・・・・・・ん? あ、大丈夫みたい。
パンツの前の方も・・・おっ!大丈夫♪
やっぱり、アイチキュウハクには行ってなかったんだな。
さーて、この話をどうやってカミさんに聞かせようかなぁ。

2005.04.11 (mon)
やっと見つけた・・・。
2年前に閉店してしまったセピア亭以来ずーっと、いい洋食屋さんを探していた。
美味しいというのも大事なことだけど、
なんだろう、『いいお店』って味だけじゃないんだな。
吉祥寺の街中なら、そりゃぁ美味しい店なんかいくらでもあるけれど、そういうのとは違くて、
いつもそこにいきたくなる、サッカーでいう『アウェイ』ではなくて、
『ホーム』になってくれるお店をずっと探していた。
そこの住民に支持されていつつ、内輪で閉じた居心地の悪さはなくて、
お店の人が明るく前向きにがんばってる、『これから』に期待して応援したくなるお店。
でもって、友達を連れて行っても10人が10人とも「う、うまい・・・」と唸るような美味しーい洋食屋さん。
無いわな・・・そんなに簡単には。
それだけに、セピア亭が閉店してしまったのは大きな痛手だった。
もうカミさんとそろって、心にポッカリ穴があいちゃった感じだった。
それをね、ついに見つけちゃったんですよ、きのう。いいお店を。
ウチからは少し遠いのだけれど、それはまぁしょうがない。
吉祥寺と西荻窪の中間、東京女子大の向かいのPaper Ban(ペーペーバン)というお店。
いやぁスンゴイうまいのよ。
オムライスの卵のトロトロ加減と、それに掛かったデミグラスソース。
タルタルステーキの、表面はカリカリで中がレアでジュワァな感じ。
シフォンケーキがまたフワッフワでね。
心の中で松田優作が「なんじゃコリャぁ!」と何回叫んだことか!
というわけで、無心で食ってたので、今回は写真を撮りそこねました。

2005.04.10 (sun)
お金を払った途端、嬉しそうに「にこぉ」って笑うんだな、これが。
いくつかシャツを、コドモの胸に当ててみてるときはイヤがってたのに。
今の瞬間、これが自分のモノになったってことがわかってるみたい。
たいしたもんだ。
こんないい笑顔を見せられちゃ、
おとうさん、んんもう、たまらんですよ。
西荻窪のGLOBEという一坪ショップ。
おじさんひとりでオリジナルの子供服ばっかり27年やってるのだそうだ。
ヨーカドーのガチャガチャした子供服でもなく、小生意気なブランドものでもなく、無印良品でもなく。
クマもイチゴもついていない、洋服としてまともにカワイイ物を、ちゃんと作ってる。
価格設定が高めなのがニクイところだけど、
でも、こんなにカワイイ笑顔を見せられちゃ、とうちゃん頑張っちゃおうって気になるじゃない!

2005.04.09 (sat)
これから、本はこの人から買おうと思った。
amazonで頼んでしまえば、大抵は送料もかからず、
買いに行く時間分が浮くので、お得で便利だし、
洋書などはお店によって安く買えるところもある。
「どうせ同じモノを買うなら安く買いたい、便利に買いものをしたい」
と、当たり前に考えていたけれど、
なんか・・・、気が変わった。
『モノに金を払う』という考え方も今まで通りあるけれど、
『人から買う』という感覚にさっき気が付いた。
それは、たとえば一冊の本を買うだけのことに、ふたつの価値があるということ。
ひとつは、その本が素晴らしいから、お金を払う。モノ(製作者)への対価。
もうひとつは、その本をいま手にする喜び。その機会を作ってくれた店(仲介者)への、
サンキューの気持として支払うお金。
良い本屋さんで、素敵な本を教えてもらったら、
ネットショッピングで探して、もっと安く買えばよい。
・・・とは、どうしても思えない自分に気が付いたのだ。
どうせ払うお金なら、この人のところで買おう。と。
本の一冊なんて、そこに含まれた価値を考えたら、もともと高いものじゃない。
その、もともと高くないモノにふたつの価値が含まれていると思ったら、
「こりゃぁスゴイ安いものだぞ」と思えてきた。
いままでの資本主義の社会では、「同じものなら、幾らで買うか」が問題だった。
いま、街の古ぼけた電器屋さんで高いお金を出してテレビは買わない。
テレビは、ヤマダデンキの制服を着た同じ顔の売り場係員から、
5割引で買うのが嬉しいお買い物だった。
そして、最近ではもうネットショッピングで送料込みの6割引で買えたりする。
買えるのだが・・・おかしなことに、買い物の喜びはむしろ薄くなっていた。
買い物の価値観は、もう、ひと回りしてしまったのかもしれない。
『同じものなら、誰から買うか』
お金を払いながら「ありがとう」と言いたくなる、気持のよいショッピング。
「お客様は神さま」でもなく「買い物は駆け引き」でもなく。
楽しいコミュニケーションにお金を払う。
『便利』じゃなくても『楽しい』お買い物をしたい。
初めて入った西荻窪の小さな本屋さんで、さっきそんなことに気が付いた。
もうすぐ復刊される『ちびくろさんぼ』、amazonで買うつもりでいたのだけれど、
せっかくなので、そのお店に予約してきた。

2005.04.08 (fri)
お昼寝が習慣として定着しつつある。
お昼休みに15分間のうたた寝。
いつだったか海馬を読んで以来、脳の情報処理の効率化のためにお昼寝を心がけている。
忙しいとどうしても焦りが前に出てしまって、メシをかき込んですぐに机に戻りたくなるのだけど、
それをグッとこらえて、タイマーをセットして床にゴロッと横になる。
15分ほどだと熟睡することはない。
周囲の物音が聴こえていて、アタマの中を仕事の懸案事項がグルグル廻っていて、
でも目は閉じておく。
10分後くらいから、現実と夢の境目のようなあやふやな世界になり、
そのうちタイマーがジリジリっと鳴る。
ハッと我に帰り、自分が眠ってはいないけど、起きてもいなかったことに気が付く。
15分ってその程度。
でもそれをしたかしないかで、夕方からの仕事が俄然変わってくる。
普段なら6時を過ぎると集中力が切れてきて、ダラダラと夜モードの仕事になってしまうところが、
そのお昼寝があるだけで、夕方以降も仕事に伸びがある。
よく現場の職人さんなんかは、昼メシのあと車で寝ていたりするけど、
あれは現場では暇つぶしのオモチャもないから仕方なしに寝ているのかと思って見ていたが、
きっと知ってるんだね。本能的に。お昼寝の効能を。

2005.04.07 (thu)
どうして瓦屋根の家を、青く塗っちゃうんだろうな・・・
ピンクとか黄色はないんだけど、真っ青だけ時々あるよねぇ。
だって、瓦屋根なんでしょ?
どうして?


2005.04.06 (wed)
藤原紀香というひとは、誰かに似ているなぁと、
ズーッと長いことモヤモヤしていたのだけど、
あぁそうかぁ!
あれだよ、あれ。
まいっちんぐマチコ先生だわ。
顔とか具体的なことではなくてね、イメージがね、なんとなくカブるんですよ。
あぁそうか。そうだったか。

2005.04.05 (tue)
高校球児の丸坊主には、変態の匂いがする。
「高校生らしく」というオトナの偏見がつくった、記号化された甲子園球児。
茶髪のピッチャーがいたって、鼻ピアスのセカンドがいたって、
野球そのものの質とは関係がないはずなのに、
丸坊主と高校球児“らしさ”を強制するのは、
支配欲という変態性なのではないかという気がする。
「従うことを強要する」歪んだオトナの社会とは、僕は無縁でいようっと。
変態にだけは、なりたくないものなぁ。

2005.04.04 (mon)
「ぉお!CCBの笠くんだ!」
缶コーヒーWONDAのCMで、懐かしい人を見た。
よく考えてみると、このピンクの髪の彼がダンプ松本ではなくCCBの笠くんであると分るのは、
ごく限られた世代である。
CCBが人気があったのは2・3年の間じゃないかと思うし、
その後のソロ活動なども目立ったものはない。
一発屋に近い、一瞬光って消えていったバンド。
僕らのオヤジの世代ではまったく興味もなかったろうし、
僕らより5歳年下の世代でも、まったく知らないだろうし。
このCMを衝撃としてとらえられるのは、20代後半から30代後半くらいまでの、
ごく限られた世代。
ということは、このWONDAというコーヒーがターゲットにしている購買層が、
その世代ということなのだろう。
毎日大量に流れていく洪水のようなCMの中で、
これは自分のために作られたCMなのだと思うと、ちょっとオモシロい。
と同時に、巧妙に仕掛けられたマーケーティングリサーチの罠が透けて見えてくる。
気をつけろ!オレたちは狙われているぞ。

2005.04.03 (sun)
あらためて、仮面ライダーの偉大さを思う。
武蔵野市役所で行われた桜祭りのなかで、
魔法戦隊マジレンジャー ショウ」を見てきたのだけど、
いやぁ、今ひとつだなぁ。
子供の頃はウルトラマン宇宙刑事ギャバン5人戦隊モノ、あの手のショウをいろいろ見たが、
やっぱり仮面ライダーがダントツで素晴らしかった。
なにせ、テレビと目の前でのショウに矛盾がない。
戦隊ものはキメの必殺技が、七色のビームを出したりして敵をやっつけたりするのだが、
ショウでは当然そんなものは出ない。
派手な効果音と、悪役のもんどりうって倒れる姿で、見えないビームをなんとか表現しようとしていたが、
子供心にも「まぁそこはちょっと目をつぶってやるか」と思ってみていた。
また、宇宙刑事ギャバンなどに出てくる、
最新鋭のメカが詰め込まれた未来の戦闘機のような美しい宇宙船は、
当然あの狭いステージには載らない。
ウルトラマンは登場するなり、いきなり悲惨で、
小さい。
ビルより大きいはずのウルトラマンの背丈が、ウチのとうちゃんと変わらない。
しかも、筋肉っぽさをアピールするスーツを着込んでいるため、むしろ小デブ感が出てしまっている。
ズングリムックリのウルトラマン。
かなり残念なヒーローである。
その点、仮面ライダーはエライ。
オートバイで登場し、もちろん等身大で、必殺技はライダーキック。
スバラシイ!まったく矛盾がない。
さぁ、これからはコドモを連れて、公然と見にいってやるぞ。
久しぶりに「ライダークックは痛かった」でも読もうかな。

2005.04.02 (sat)
『スプーン一杯』は難しい。
コーヒー豆用のスプーンのようにスリ切りやすいのはいいが、
普通の食器スプーンや料理の計量スプーンなども、『小さじ一杯』と言われても、
『軽く一杯』『スリ切り一杯』『普通に一杯』『フワッと一杯』『山盛り一杯』いろいろあって困る。
いっそのことスプーンの基準は『山盛り一杯』で統一してほしいものである。
『軽く一杯』と『スリ切り一杯』の違いは個人の感覚で異なる。
でも、『山盛り一杯』スプーンに盛れる限界は、誰がやっても同じになる。
粒子の大きさだとか、重力だとか、難しいことはワカランが、
これ以上盛ってもサラサラこぼれ落ちてしまう、という限界があり、
要は物理学的に同じになるはずである。
サジが同じでも乗せるのが塩とクリープでは盛れる高さは異なるが、
それにしても、誰がやっても同じという意味で、『山盛り一杯』はなかなか大したものである。
統一規格として、ぜひともワタシは山盛りを推奨したい。

2005.04.01 (fri)
先日の「勤めは辞めてショップでも始めた方が
いいんじゃないですか?」の友人が、
その気になって仕事を辞めた。
余計なことを言ってしまった行きがかり上、
どの辺りに店を出そうか、下見につきあう事となった。
三鷹北口→三鷹南口→吉祥寺南口→吉祥寺北口 と、グルッと自転車で廻ってみて思うのは、
やっぱり、もう吉祥寺より三鷹の方がオモシロくなってきているということ。
吉祥寺は便利だしオシャレなお店も多いけど、その分商業ベースに乗っかってしまっていたり、
個性的なお店にしても、スタイルがもう固まってしまっていて、変化が期待できない。
何かが発生しそうなグツグツとしたエネルギーは、もう埋まっていない感じがする。
その点地価がまだ安めな三鷹には、金はないけどエネルギーが溢れているという人を受け入れるスキマがある。
吉祥寺のように人々がわざわざ電車に乗ってまで来る街になってしまうと、
商業的な成功と無縁でいるわけにはいかないのだろうな。
三鷹ならまだ、その街に暮らす住民を相手にした「失敗してもいい商売」をできる余裕がある。
「自分のやりたい事」と「街のニーズ」の間で、落としどころを手探りで少しずつ補正していける
時間とお金に多少寛容な街。
ウチも、三鷹の南口あたりに事務所を出したいなぁ。

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