Daily・・・日々雑感

2005.03.31 (thu)
都内でのお昼休み、車を10分100円のコインパーキングに入れ、
松屋で290円の丼をかき込み、スターバックスで320円のコーヒーで食休み。
昼休みを終え、1時間分の駐車料金600円を支払う。
・・・・・・なにかが、まちがっている気がする。

2005.03.30 (wed)
ドレミファソラシドの音階はピタゴラスが作ったのもだと聞いていた。
『ピタゴラスの三平方の定理』で知られた数学者のピタゴラスである。
が、いま調べてみたら『ピタゴラス音階』と実際のピタゴラスの関係は
不明なのだと・・・。
しかも『ピタゴラスの定理』すらも実際にはピタゴラスの弟子が作ったものなのだと・・・。
困ったな。話の切り口が塞がっちゃったじゃないか。
ま、気を取り直して。
あのドレミファソラシドの音階は周波数だとか波形だとかでいくと、
数学的にうまくできている、きれいな並びである。
ほんとなら、ミとファの間にも音は無限にあるはずなのが、
あのミとファの音に世界中の人が納得して定着しているのだから、じつに不思議なことである。
クラシックなどの西洋音楽がドレミファソラシドで出来ているのはもちろんのこと、
沖縄の民謡だってそれで出来ている。
よく『レラ抜き』と言ったりするけど、ドレミファソラシドからレとラを抜いて、
『ド・ミ・ファ・ソ・シ・ド』の音だけを使ってひいてみると、
あら不思議、誰がひいても、テキトーに弾いても沖縄な音楽になる。
自然派生の土着的な音楽が、遠い距離でも繋がっているのは何でなんだろう?
きっとそういうことを研究している人や、まとめた本もあるのだろうな。
ちょっと探してみようっと。

2005.03.29 (tue)
子供の頃、ヒモの先に磁石を結びつけて、遊んでいたことを思い出す。
磁石をズルズル引きずって空地を一週廻ってくると、
砂鉄やクギだの空き缶だの壊れたアクセサリーだの、いろんなものがくっついてきた。
人でも、そういう人がいるなぁ。
たとえば商店街をグルッとひと回りしてくると、テンテコな人、オモシロイ人、妙な人と友達になって、
ヘンテコな物、オモシロイ物、妙な物を両手いっぱいに抱えて帰ってくるような、
磁石な人。
しかもそれがまた、雑多なモノに埋もれてしまった中から、センスがいいものばかりを発掘して吸い付ける磁石なのだ。
それは希有な才能だと思うのだけど、本人はそのことをあまり自覚していなかったりする。
今日、そういう友人が遊びにきた。
「人に使われる仕事って、一番向いてないよ。
不動産屋なんてサッさと辞めてさ、はやく自分のショップを開きなよ。」
と、思ったことをそのまま言ってみた。
もちろん、彼女が事業を始めることになれば、僕も巻き込まれることは間違いない。
しんどいけど、ま、それも楽しいだろう。
彼女は『自分らしく生きていること』がそのまま商売にもなってしまう希有な人だと思うのだ。

2005.03.28 (mon)
ひょんなところから仕事が舞い込んだ。
建て売り住宅の設計。
じつは、前々からすごくやりたかったのだ。
建築家は建て売りをバカにしている節があって、
「あんな低俗なものに関わるな」という人も多いけど、
僕はやりたかった。
新しい住まいを探す人には、自分で建築家を探せる人もいるし、住宅展示場に通う人もいる。
そういう人はある意味で、放っておいても良い人たち。
自分なりの住まい観があるのだから。
むしろ、つい建て売りを買ってしまうような、住まいにこだわりの無かった人々にこそ、気付いてもらいたい。
家が気持よく作られていたら、人の心は穏やかになる。
家が素敵に作られていたら、気持に張りが出る。
家がきちんと設計されていたら、生活に妙なストレスを抱かないで済む。
たかが住まいで、人は簡単に変わる。
せっかくのチャンス。スゲーいい建て売りを作ってやる!

2005.03.27 (sun)
「どうせ食べる朝ごはんなら、公園で食ってみようか」という、寝起きの突然の思いつきで、
朝ごはんを持って近所の中央公園へ。
焼いた食パンが少し固くなってしまって、けっしておいしいサンドウィッチではなかったけど、
んまかった♪
うーん、休日っていいなぁ。じわぁっと、いいなぁ。
自営業は、休日をつくるのに勇気がいる。
働いた分しかお金にならないし、お金にならないけどしなきゃいけない仕事も山ほどあるから、
つい慢性的に仕事をしているようになってしまう。
でもどうせなら、「今日はけっきょく仕事にならなかった・・・」ではなく
「あーよく遊んだ!」の方が、心が健康だ。
さ、明日からまたがんばろう。
今までのようなエンドレスな生活は、もうやめよう。

2005.03.26 (sat)
コドモの上の歯が4本生えているのに気が付いた。
「あれ?2本じゃなかったっけ?」とカミさんに訊いてみると、
「前歯2本が伸びてきてすぐに、その両脇のも生えてきた」のだそうだ。
いったい僕は何ヶ月気が付いていなかったのだろう。
子煩悩なつもりでも、男親なんてこの程度なのだ。
夕方、赤くてでっかいお月さまがいた。
太陽のほうは普段から気にするけど、そういや、月の存在なんてものはすっかり忘れていた。
あしたはsurvival designをお休みにしよう。

2005.03.25 (fri)
一生懸命にやったことを、きちんと評価していただけると、やっぱり嬉しい。
頼まれていた外構工事がひととおり終り、予期せぬお礼をありがたいことにいただいた。
外構工事がおわりたての庭はまだ殺風景だけれど、
あとは建て主さんが植物を植えてくれたら素敵な庭になるだろう。
コンクリート平板の間から、緑がぽやぽや産毛のように生えるところを、早く見てみたいな。
ひとつ仕事がおわると、心底ホッとする。

2005.03.24 (thu)
記念切手は罠だわな。
毎年20種以上の記念切手が発売されている。
「日中国交正常化30周年」
「ふみの日」、「沖縄復帰30周年」なんてのはまだわかるにしても、
「民間航空再開50周年」、「日本ライオンズ50周年」なんてわざわざ記念として発売するようなことなのか?
さらには、「世界遺産シリーズ第10集」「科学技術とアニメ・ヒーロー・ヒロインシリーズ第7集
などの何の記念でもない、卑怯なシリーズモノ。
これらを、集めた記憶はないですか?
ワタシは集めましたよ。少年のころ、せっせと。
でもこれ・・・よく考えてみたら切手というのは『代金先払い』のこと。
切手を買うだけで使わないということは・・・
・・・罠である。
よく考えてみたら印刷物ということでは、折り込み広告と何ら変わらない。
こんなチンケな印刷物に金を払って、それで満足しているなんて、
ただただ郵政省(公社)にお金をくれてやっていただけ。
ボロい商売してるよなぁ。

2005.03.23 (wed)
オリジン弁当でお惣菜を買ってみたら、
毒々しい輪ゴムがついてきた。
オリジン弁当の看板自体、食欲を減退させる色使いで、
この会社はいったい何を考えているのかと疑問が多かったのだが、
この輪ゴムで救われた思いがする。
普通の薄茶色の輪ゴムは、肉ジャガや唐揚げなど、食材と混ざってしまった時にわかりにくい。
輪ゴムの束を「焼きそばです」と出されてもつい食ってしまうそうなくらいである。
この毒々しい輪ゴムには、そういった配慮があるのだろう。
オリジン弁当のイメージカラーが、やっとここで活かされた感じである。

2005.03.22 (tue)
ラジオで地震の心得として言っていたのだが、
「揺れが収まるまで家の中で、ジッとしてましょう」と。
でも、それは万人に当てはまることではないですよ。
建物が崩れてこないという前提でのはなし。
ここ数年の震災の映像を見ればわかると思うが、
築30年以上の崩れちゃいそうな建物の場合、
揺れが収まるまでジッとしていたら、家につぶされて死んでしまう。
でも、あなたの住まいが地震で崩れるかどうかは、実際のところは地震が来てみないとわからない。
見るからにボロボロの建物でも、その地域の揺れが小さければ助かるだろうし、
ガッシリと見えるマンションでも阪神の時のように、ワンフロアがごっそり潰されて、
5階建てが4階建てになってしまうようなことだって起こりうる。
建物は地震が来たと同時に壊れるわけではない。
ゆっさゆっさと揺すられて、右へ左へ徐々に揺れ巾が大きくなり、
ついに限界を超えた時に、グシャリと倒れる。
その間、5秒から10秒くらいだろうか?
自分の家が古い木造であるなら、地震が来た時にはジッとせずに、一目散に外に逃げること。
揺れていようが、戸棚からものが落ちてこようが、ガラスが割れようが、
這ってでも外へ出る。
外だって、けして安全ではないのだけれど、
(電信柱が倒れてくるだろうし、上から割れたガラスが降ってくるだろうし、地面も割れたりするだろう)
でも、古い建物の中にいるよりはずっとマシ。
今日は平井にある汚い飲み屋(30年前からボロでしたというくらいの、本当に今にも崩れそうな木造)
に行った。
こんな時にも、万が一の際の逃げ道を目で確認しておくのは、もう習慣になっている。

2005.03.21 (mon)
わかった!
杉を切ればいいのだ。
んんもうっ、かゆくてかゆくてたまらん!
こんなふうにしてみたいなぁ。
毎年毎年、耳鼻科だの眼科だのにかかり、診療費を払い、薬代を払い、マスクを買う。
花粉症の原因は単純。杉が多すぎること。
高度経済成長期に、先を見越して住宅建材用として植えまくった杉の苗木であるが、
それが育って伐り時になった現在では、国産材より外国からやってくる木材のが安いため、
杉が伐採されず、それどころか管理を入れる予算もとれず間引きもできず、
乱立する杉で、山は荒れ放題。
要は、金だ。
金さえ掛ければ、山は生き返るし、花粉症もなくなる。
たかだか症状の緩和しかできない花粉症対策に、毎年毎年5千円・1万円と使うのだったら、
今すぐにでも10万円出すから、この花粉を止めてくれぃ!
日本人の3割が花粉症だとして、みんなで10万円ずつ出し合えば、
なんと、4兆2千億円。
日本の国家予算の5%にあたるだけの額が集まるではないか。
それだけ集まれば充分だ。充分すぎて山が丸坊主になっちゃうかもしれない。
さぁ、みんなで杉を切ろう。
そして、せっかくだから切った杉を使って、国産材で地震に耐える家に建て替えよう。
どうせ家を建てるなら、その時はサバイバルデザインに依頼しよう。
これでいいのだ。

2005.03.20 (sun)
それはホントにしつけなのか?と迷うことがある。
コドモがティッシュペーパーを箱から次から次へと出してる。
食器棚から器を出そうとする。
食品の引出しをひっくり返して、ノリだのオフだのカレールウだの引っ張り出している。
オムツを替えようとしても、興味のあることに夢中で、じっとしていない。
むしろこちらを困らせて、おもしろがっている。
今までは、ものの本で読んだ
『脳の発育過程から考えると、1歳までは本来ならまだおなかの中にいる期間なのだが、
人間の体型上、母体がそんなには保たないため、仕方なしに1年早く外へ出されてしまうのだ。』
という理論をなるほどと思って、泣けばすぐ抱っこをしてやるし、欲しがれば母乳もいつでも与え、
1年間、コドモのワガママをほとんどきいてきた。
おかげで、だいぶ身勝手なコドモに成長した。
そろそろ、しつけをちゃんと始めないと、どうしようもない子になっちゃうね、という時期ではある。
時期ではあるのだが・・・
次から次へと出てくるティッシュペーパーにしても、
いつもは自由に開けさせてもらえない食器棚の中にしても、
感触の不思議なものが色々入っている引出しの中にしても、
コイツにしてみたら、オモシロくてしょうがないんだろう。
散らかしてばっかりで、お母さんを困らせてばっかりなのは確かだが、
そんなときに、恐い顔で「ダメッ!」と言ってみたり、手をピシャッ!とはたいたりする必要が、
ホントにあるのだろうか?
思い返せば自分にも、目覚まし時計を分解して壊しちゃったり、
団地の3階から何度も何度も水を撒いたりしたこともある。
それをしている時に、悪気はなかった。
ただ、時計の中がどうなってるのか「見てみたかった」だけだし、
水の塊がカタチを変えながら宙を舞う姿が「不思議だった」だけだ。
だから、悪気のないこと、他人に迷惑を掛けていないことであれば、
今のところは、好奇心を止めてしまうようなことをなるべくしたくない。
オトナの都合を、しつけにすり替えたりはしたくない。
甘いと言われるが、今のところ僕が叱るのは、ガスコロンロに手を伸ばしたときだけである。

2005.03.19 (sat)
「ギタリストはプロ野球選手のようなもので、技術を見せる人なんだけど、
歌手はヌードダンサーみたいなものなんだよね。」
と、かつて井上陽水のインタビューに書いてあったのをよく覚えている。
僕もいっとき遊びだけれどもバンドの真似事をしていたことがあって、
そのときは歌の係だった。
ギターの場合は未熟だと『ヘタ』と呼ぶが、
歌の場合は『オンチ』と言われる。
ギタリストが音をひとつ外してもミストーンでしかないが、
ボーカリストのそれは、それだけでひどい恥辱である。
照明を浴びてステージの真ん中で、自分の恥ずかしい姿を晒さなければいけない。
歌手はまさにヌードダンサー。
毎回毎回ライブのたびに、たかが遊びのバンドだというのに、僕はけっこうつらかった。
終わった時の乗り切った達成感はあっても、カラオケのような気持さはぜんぜんなかった。
人前で歌うことを職業としてしまった人の苦しみ痛みは、いったいどれほどのものなのだろう。
自らの言葉で詞を書き、その曲をもってステージに立つ。
心にも肉体もプライバシーのない人々。
最高に調子の良い時も、地獄に堕ちてしまった時も、
そこから苦しみながら這い上がっていく過程も、
ぜんぶ人に見られている。
人の視線に食い尽くされて、常にボロボロのイチ個人。
しかし、それでもなお、自分を厳しい状況に追い込んでいく人もいる。
尊敬すると同時に、致命傷になるような傷を負わないようにと、祈る気持で
やっぱり見ているしかない。

2005.03.18 (fri)
yo-kingyukiの子が、ある日突然死んでしまったのだそうだ。
1歳11ヶ月、いつもどおりにおやすみって寝て・・・。
そんなことがあってひと月と経たずに、yukiは予定どおりツアーに出るのだという。
子供が産まれて家族となり、3人幸せいっぱいで暮らし始めた時期に書いた曲を、
それでも、力いっぱいオーディエンスの前で歌うのだろう。
事情を知っているオーディエンスの中には、
そんなyukiの姿を見て、涙が止まらなくなる人もたくさんいることだろう。
我がことでもないのに涙を流すファンを見ながら、
子を亡くしたばかりの当の母は、思い出となってしまった幸せの詰まった歌を歌わなくてはいけないのだ。
なんて残酷なんだろう。
わかってるはずなのに、なんて残酷な選択をしたのだろう。この人は。
子供を亡くすというのは、きっと計り知れないことなのだろう。

2005.03.17 (thu)
ウチのコドモ、「ちょうだい」がわかるようになったみたい。
オモチャを手に握りしめたコドモにむかって、
「ねぇそれ、おとうさんにちょうだい」と声をかけてみると、
・・・・・・一目散に逃げる。
ウチのコドモ、「ちょうだい」の意味がわかるようになったみたい。
だって、絶対にくれないもの。

2005.03.16 (wed)
知人が、庭に駐車スペースを作りたいというので、
コンクリートの平板を敷き並べてあげた。
平板と平板には隙間を開けて敷き並べて、
その目地の部分に芝でもポヤポヤと植えたらかわいらしい駐車場になるだろう。
でも僕は土工事はシロウト。プロのようにピシッと平らには敷き並べられない。
スコップで土をさらい、概ね平らにならしてその上にコンクリート平板を置くだけ。
これがねぇ、土を平らに均すのってけっこう難しいんですよ。
石ころも混ざってるし、土でも踏み固められた土と、かぶせた土では締り具合が違うし。
だから、どんなにがんばっても平らには仕上がらない。
プロがやるときは、土に砂利を撒き突き固めて下地をガッチリつくってから、
その上にドロドロのモルタルを流し込んで、その上にコンクリートの平板を固定する。
だからピシッとキレイに仕上がる。
でも、そうやって土ごと固めてしまうと、草木の根も張れなくなってしまう。
プロに「ただ並べるだけでいいのでやってください」と言ってもやってくれない。
彼らはお客さんからのクレームが一番怖いから、
ガタガタになるとわかっているようなことは、仕事として請けてくれない。
仕方がないので、設計屋が慣れない土工事をすることになる。
デスクワークに慣れてしまった貧弱な体で、汗をかき手に豆を作って肩で息して作業していると、
本間丈太郎先生の名台詞が浮かんできた。
「人間が生きものの生き死にを自由にしようなんて
おこがましいこととは思わんかね・・・」
あぁ、これ使えるなぁ。
「人間が大地や草木の根を力で押さえつけてしまおうなんて、
おこがましいことだと思いませんか。」
これじゃガタガタじゃないの!って怒られたら、そう言ってみようっと。
しっかし、この程度のっ、労働で、ひーひー言って、ったら、
もう、あれだね、ふぅ、
若くないって、はぁ、ことだぁね。 そういえばっ、僕は、ふぇ、今年もう30歳になるのだった。
あ”ぁ・・・腰が、ったたたたたぁ。

2005.03.15 (tue)
あの、『トウキョウ・ゼロサン』って・・・『東京』いらないよね。
「電話番号はえーと、ゼロサンのぉ、サンヨンゴーロク・・・」で、わかるじゃない?
「電話番号は、トウキョウのぉ、サンヨンゴーロク・・・」って、03を省くためならまだ少しは理解できるが、
そういうことでもないのう。
ま、いいんだけどさ。
いいんだけど、それが名刺に「 TEL 東京03-3456-7890 」って堂々とそう刷ってあると
やっぱり・・・なんか余分なものがくっついちゃってる感じがして、
「やめたらどうですか?」とつい余計なことを口走ってしまいそうになる。

2005.03.14 (mon)
男のアタマには、「今月末をどうするか」というのは、ない。
「来年の今ごろどうしているか」というヴィジョンも、ない。
でも、「30年後」は、ある。
「10年後の青写真」も、クッキリとある。
男に想像できるなるべく近い未来といっても、せいぜい5年先が限界である。
男のアタマには、まず、「10年後の自分のポジション」が見えていて、
そこから現在に向かって伸びている「一本の道」が見えていて、
それが今の自分の足元につながっている。(ようにみえている。)
いま足元から伸びる道が谷へ向かっているとしても、その道はもっと先の方で上昇したり旋回したりして、
10年後ではあそこのポジションにたどり着く。そう明確に見えている。
だから男はその道を、谷へ向かってでも自信を持って走る。
女のアタマには、「30年後」は、ない。(と思う。)
「10年後」も、ない。
男が10年後を一生懸命に説明しようとしている時に、
女は、「10年後にどうなっていようが、そんなこたぁどうでも良くて、
今月末をどう乗り切るか、それよりも明日の予定はどうなってるのか、
それよりも今日のお昼ごはんを何にしようか、それを真剣に答えてよ。」と思っている。
・・・・・・ということを、今日あらためて、身に染みてわかった。
このギャップに、今後どう対処していったら良いのか、答えは全く見えてこないが、
いま、ひとつだけ僕にでもわかるのは、
「こういうことを男の視点で書くと、女性からは一斉に嫌われるだろうな」ということである。
あぁ、書いちゃった。

2005.03.13 (sun)
「けつの穴の小さい人間だ」とだけは、思われたくないなぁ。
人間の器を、ケツの穴で計ってしまった、江戸っ子ってのは、大したものだ。
だって、「オマエはケツの穴がちいせぇなぁ」なんて言われてごらんなさいよ。
恥ずかしいわ、屈辱だわ、んもうったまらない気持にならない?
日本人は『恥の文化』であるというけど、それの最たるものだよね。
ケツの穴が小さいなんて言われる恥ずかしさ。
それだけはどうしても避けたいから、「・・・まぁ、いいか。」と
流せるていどの余裕を持つように、自分を心がける。
『恥』という強烈な禁忌(タブー)が人々の意識の底にいつもあることで、
人と人との摩擦が軽減されて、コミュケーションがなんとなくうまくいく。
外国では、その禁忌は宗教の役割なんだろうな。
ま、だからといって、
「素晴らしい!あなたのオシリの穴の大きさに、私は感動しましたよ。」
なんて言われるのも・・・嬉しくは、ないんだけどね。
あ、そうか。
恩を売ったり、貸し借りで力関係をキッチリつけたりしないのも、
日本人的なる部分なんだな。
『おたがいさま』と『恥』でできてるのが、日本のコミュニケーションの文化なんだろうな。

2005.03.12 (sat)
いよいよバカボンに着手。
オトナ買いしたバカボン全巻、もう2年も放置されたままだったのだが、
先日のインフルエンザのとき、40度近い熱で朦朧としている今なら、イケルという気がした。
もちろん、買ってすぐの時期にも読み始めたのだが、
その時は挫折した。
普通に社会生活を営んでいるアタマでは、あまりに支離滅裂の世界に
「何がオモシロくて、何がメチャクチャなのかも、・・・わからん。あまりに難解だ。」
という状態で、読むのを断念せざるをえなかった。
きっと酒を飲みながらヨレヨレのアタマで読んだら、気持よくトベるのだろうが、
それは下戸のワタシには難しい。
再トライを始めてから2週間、第2巻が読み終わった。
路はまだ長く険しい。

2005.03.11 (fri)
映画なら黒澤組があったり、芝居なら三谷ファミリーがあったり、
音楽ならお抱えのレコーディングエンジニアがいたりするように、
建築でも、自分の信頼おける職人さんを(悪い言い方だけど)囲っていたいと思っている。
設計図はひとつでも、実際に作ってくれる人の手が変わると、仕上がりが変わる。
丁寧な仕事が集まれば、その建物はグッと魅力的なものになるし、
仕事が雑な職人さんに当たってしまえば、空間は簡単に死ぬ。
その違いは写真には写らないのだけど、一歩足を踏み入れれば誰にだって感じ取れる。質の違い。
どんなに頑張って、寿命を削るように一生懸命に設計しても、職人さんの手なしには建築は建たない。
設計屋には、自分が設計したものを自分で完全にはコントロールできないもどかしさがある。
アーティストの世界と違って、建築は実業の世界。
それなりの難しさもつきまとう。
工務店選びは、なるべくその敷地に近い工務店を選びたい。
地元意識や縄張り意識は、良い緊張感となり、メンテナンスの対応もきめ細かくなる傾向があるし、
距離-時間は工事請負金額にも影響する。
しかし、敷地が変わるたびに工務店が変わってしまうと、
自分が設計した建物でも、レベルにバラツキが出てきてしまう。
常に、ある一定のレベルを超えた建物に仕上げるためにも、
工事の重大なポイントにおいては、信頼のおける『いつもの職人さん』の手を借りたい。
最近ようやく、建築の肝になる職人さんと少しずつ出会えてきている。
これから、僕の設計をサポートしてくれる、心強い職人さんにたくさん出会って、
いずれは『須永組』ができればいいなと思っている。
それが、共に寿命が尽きるまで付き合っていける、同年代であってくれたらさらに嬉しい。

2005.03.10 (thu)
「一般の人って、建築家に住まい依頼するってことを、
『こんなふうな家で暮らしたい』って言えないといけないって思い込んでるよね。
だから、自分は住まい方に明確なヴィジョンを持っていないから、建築家に家を頼めない
って、最初から自分で決めつけちゃってる。ホントはそうじゃないのにね。」
そんなことを、ma-GUのかたから言われた。
なるほど。その通りだ。
森に浮かぶ家』だって『朝の家』だって『HAKAtoSOLA』だって、
あんな形態もあんな間取りも、建て主さんにに頼まれたわけではない。
僕らが勝手に、敷地の持っている個性を最大限に引き出す方法と、法律上の規制から判断して、
あんな住まい方、あんな家を、一方的に提案することから始まっている。
建て主の意見というのは、その模型を見た時に初めて出てくることが多い。
「階段の昇り降りが多いのはイヤ」「キッチンは対面にしたかったのに・・・」
「このリビングじゃ、狭くてソファが置けないよ」
どんな人でも、拒否反応というのは正直に出る。
設計屋は、建て主が何をイヤだと感じているのかを感じ取り、不都合を消していくために案を練り変更を重ねる。
よく、ちまたで『建て主の要望』だとか『想い描いた住まい方』なんて呼ばれているものは、
家づくりの最初から明確だったわけではなくて、後付けの理由なのだから、心配いらないのですよ。
その建物に魅力を作り出すのは、建築家の役割で、
建て主は、イヤなことを正直に伝えていれば、
それだけで、大体うまくいく。
建築家と家をつくるというのは、その程度のこと。
むしろ困っちゃうのは、明確にデザイン的希望がある人。
雑誌の見すぎで、アタマのなかで夢の御殿が膨らみすぎていると、現実に呼び戻すのがもうタイヘン。
こういうかたを相手にしても、上手に立ち回れてはじめて、きっとオトナの建築家なんだろうね。

2005.03.09 (wed)
人と会うと、得るものが多い。
朝からma-GUのかたと打合せを2時間半、
その後、雑多楽やのご主人にインタビューを1時間半、
鉄創庵の3代目と打合せに1時間。
夜、コルクの世界じゃ知らない人はいないと言われる職人さんと、tel打合せ1時間。
「建築・家具の素材をどう考えるか」
「現代社会に必要なコミュニティとは」
「建築業界のネットワークと職人さん」
「特殊な技術なんて、当たり前に丁寧な仕事をするだけのこと」
そんな話をいろいろ聞かせてもらってきた。
Dailyに書くネタがてんこもりの一日で、逆に何を書こうか困ってしまうが、
ま、ぼちぼち書いていこう。
ひとつだけ確かなのは、模型は打合せで持ち運ぶたびに、壊れていくということである。

2005.03.08 (tue)
24時間、いつでも音楽を聴いている。
仕事中はiTunesからランダムに流し、外出時は頭の中で勝手に音楽が再生されている。
朝目が覚めると、夢の中でも頭の中で音楽が流れていたことに気がつく。
頭が勝手にiTunesをやっている。
世の中の人みんながそうなのかと思っていたのだが、カミさんと話していてそうではないことがわかった。
こんな耳(頭)にいつからなっていたのか覚えていないが、
もう10代の頃から、人生の半分以上は脳内音楽とキーンという耳鳴りは止まったことがない。
それが当たり前だと思っていたのだけれど、ふと気になった。
無音ってどういう状態なのだろう?

2005.03.07 (mon)
無頼気取りで地ベタに座り込む若者を「ジベタリアン」なんて言って、
常識のないバカ者だと決めつけていたけど、
電車の中でコドモに話しかけようとしてしゃがみ込んでみたら、こんなに鮮やかな青空。
線路脇の錆びた砂利と灰色の土木工作物、
黒い線路とチラチラ目障りな電柱とエゴ丸出しのゴミゴミした街並、
今までそんなものばかりみていたよ。
なんだ、行儀の悪いあいつらの方が、一番いい眺めを知っていたんじゃないか。

2005.03.06 (sun)
一週間遅れで、コドモの一歳のお祝い。
来年からは、「誕生日は産んでもらったことを感謝する日だよ」と教えていこうと思っている。
「むぎゅうぅうう」と、絞め殺されそうな声をあげ、死にかけながらも産んでくれた、
おかあさんに感謝してください。
やせ細りながら母乳一本で一年間育ててくれたおかあさんに感謝してください。
誕生日とは、そういう日です。

2005.03.05 (sat)
湯タンポってのは見れば見るほど、よくできてるなぁ。
表面を凹凸にすることで、表面積を多くし、放熱が効率よくおこなえる。
また薄い金属板でできていながら、
あの凸凹のおかげで人が上に乗っても壊れない強い構造にもなっている。
さらに、注いだ熱いお湯が冷めたときに、水蒸気の気積が小さくなり、
タンク内を凹ませようとする力が加わるが、それに耐える構造ともなっている。
素晴らしく合理的な凹凸。
お湯を注ぐ栓の部分も奥が深い。
お湯をたくさん注ぐことを考慮すれば、
栓の位置はタンクの中央部(こんもりとした丘の頂上)にあるのが望ましいように思われるが、
カンカンに熱い湯タンポを持ち上げて運ぶためには、
栓(持ち手)が中央部にあっては、天秤状態になりちょっとしたことでバランスが崩れ、
湯タンポ本体に手が触れてしまい、ヤケドする。
ガスコンロで熱した湯タンポをキルトの袋にしまう、その動作の際に一番安全なのがあの位置なのである。
まだまだ他にも唸ってしまうような発見が、金属湯タンポにはいくつもある。
最近、ポリタンクでできた湯タンポが売られているのを目にするが、
見るからに安っぽくて、気持が動かない。
金属湯タンポのように、時代を経て残ってきたモノというのは、じつに機能的で合理的である。
デザイナーの考えたカタチではないけれど、機能的に洗練されたものには、内から滲み出る美しさがある。

2005.03.04 (fri)
雪の日って、なんで遊びたくなっちゃうんだろう?
いやいや、仕事してますけど。
どうやらカミさんもインフルエンザで、この一週間はホント大変だった。
仕事・家事・子守り・病人の世話をしなきゃいけない僕もまた病み上がり。
完全になどできるわけはなく、毎日ウチの母に手伝いにきてもらった。
住まいを考える時に、親との同居だとか、二世帯住宅だとか、
助け合える距離で集まって生活する古来からの慣習というのは、合理的でお互いにとってプラスなことだと、
コドモが産まれて以来、強く強く感じている。
核家族って、良くないよなぁ・・・
目先の『自由』に釣られて、結局大きな不自由を背負ってしまったのが、近代の文化なのだなぁと感じる。
『自分のことは自分で』という考え方が、すでに根元から間違っているのだろうな。

2005.03.03 (thu)
あるメーカーがビスの強度を偽っていたというニュースが流れていた。
「そのビスで建てられた家は強度が充分ではない可能性があるので、調査をして改修をする。」
というようなことを言っていた。
なんだか、一般人の不安をあおるような嫌らしい言い方で報道されていたけど、
ホントはそこまで大した問題じゃないでしょ。
メーカーのHPで、強度の水増しがどの程度だったのか、報告されていたけれど、その程度の範囲なら。
設計屋としては、やはり「それはけしからん!」という態度でいたほうが、もっともらしいのだろうけど、
ニュースは一般の人の不安を煽りすぎだ。
そこに同調する気にはなれないなと、反対意見も言いたくなったのでした。
自分の住まいにそのビスが使われてたとしたって、僕はべつだん驚かないだろうな。
それよりも、家全体の作られ方のほうがずっと気になる。
ビスの製品強度なんかより、『ちゃんと建てられているか』、ってことの方が何十倍も大きな問題。
でも、ウソはいかんよ。

2005.03.02 (wed)
おなかを壊した時のトイレって、どうして神さまに謝っちゃうんだろう。
「あぁ、もう、ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい、
きのうムリしてアイス2つも食べちゃってごめんなさい。
食べてないよってウソついてごめんなさい。
いつも態度がデカくてごめんなさい。
ホントは反省してたのに、謝らなくてごめんなさい。
神さまなんか絶対いないね!って悪態ついてごめんなさい。
信じますから、神さま信じますから、お願いだから、
このピーピーのおなかをなんとかしてぇぇ・・・」
個室から出てくると、信心深くなってる。

2005.03.01 (tue)
「一生懸命、頑張らせていただきます。」って、
言わなきゃわかってもらえないんだね。
遅ればせながら、今頃気がつきました。
先日、和紙の代理店をされている社長と話をしていたときのこと、
むこうが見せてくれた、折り紙サイズにカットされた和紙が数十枚束ねてある見本帳を、
「この見本帳って、一部いただけません?」と訊いてみた。
「あぁ・・・、この見本帳はカタログと違って、差し上げられないんですよね。
希望される設計事務所さんには、一部3000円でお買い求めいただいているんです。
じつは、私ども代理店もメーカーの方から一部3000円で買っているものなんですよねぇ。
・・・・・・あ、・・・でも、せっかくですから、・・・いいですよっ。
ええ、あの、差し上げますっ。
費用は私が負担しますので、ええ、一部須永さんに差し上げますよ。」
「え?ホントに?でも、ウチそんなに和紙をたくさん使わないから、あまり儲けさせてあげられないですから。
見本帳の分、損させちゃ悪いから、逆に、何枚ぐらい買えば貰っちゃっても大丈夫です?」
「いえ、差し上げます!」
という問答の末、ありがたくいただくことになった。
身銭を切らせてしまって悪いなと思いつつ、その分、今後長い付き合いをさせていただこうと思った。
社長さんの誠意も感じた。
そこで、ふと気がついたのだ。
これがもし、僕が営業マンで逆の立場だったら、
「あぁ、この見本帳ですか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ええ、わかりましたっ。差し上げます。」
って受け答えしてしまうだろう。
問題が自分の側で処理できるものであれば、自分が頑張っちゃえばいいや、と思うので、
相手には結論だけを伝える。
でも、「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」のあいだに、どんなに色々考えていても、
「わかりました。」と言ってしまったら、
裏で、こちらがどんな努力をしているかは、相手には全然伝わらないんだよな。
『須永くんは営業に向かない』
今まで色んなかたから言われてきた意味が、少しだけ理解できた瞬間。

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