Daily・・・日々雑感

2004.10.31 (sun)
僕はただの一市民に過ぎないのに、
最近ニュース関連のことばかり書いていて。
オマエは鳥越俊太郎か、と自分でも違和感を感じている今日この頃です。
これから書くことは、人によっては嫌悪感を持たれるかもしれませんので、
イヤだなと思った時には、読むのをやめてください。

「首を切る」というのがどういうことなのか、今日まで僕はあまりに知らなすぎた。
そういえば、鶏をシメるところですら見たことがない。
ウチの食卓にのる豚が、トサツされるところもよく知らないままに、
いままで来てしまった東京育ちの現代っ子である。
インターネット上には、いままでイラクで人質になった人たちの、殺害される場面の動画を配信しているサイトがある。
そういうサイトの存在を今までも知ってはいたが、「なんて悪趣味な・・・」と思うだけで、
見ようと思うことなど無かった。
でも今回こんな事件が起こってしまって、なにか真実から目を背けてはいけないような気がした。
そのサイトには、日本人の彼のはなかった。今のところ。
それは救いだったかも知れない。
そこには過去に殺されてしまった数十人のリストがズラッと並んでいた。
英語のサイトなので、書いてあることはよくわからなかったけれど、
とりあえずひとつをクリックしてみると、5cm角くらいの音声の無い動画が始まった。
そこに映し出されていたのは、誰だかわからないけれど外国人の・・・つまり
・・・そういう映像です。
ここから先、読みたくない人は、本当に読まないでください。

とても描写なんかできないので、簡単にしか書きませんが、
人が、生きたまま首をザクザク切られ、自分自身の背中に、生首が置かれるまでの1分ほどの映像でした。
それは、
ニュースキャスターが読み上げる、「頭部の切断された遺体が・・・」という言葉からはとても想像もできない、
この世のものとは思えない、凄まじい、凄惨な、残酷な、衝撃的な、
もう、どんな言葉をもってしても伝えようがない、とにかくひどいことを、収めた映像でした。
見ていた僕は、血圧が急激に上がってしまったように頭がカーッとなり、動悸が激しくなり、全身からは感覚がなくなり、
こんな、体中が変になってしまう、一瞬にして体中の血が腐っていくような、
全身で感じる今まで味わったことのない嫌悪感。
「『知ってしまう』というのは、もう『知らなかった自分』には戻れない、残酷なことなんだ」
いつか養老猛司が言っていたことは、そういうことだったのか。
この映像が、彼のではなかったのがせめてもの救い。
このあとは一日中、そのことで頭がいっぱいになってしまい、ため息ばかりが漏れていた。

これと同じことが、彼の身に起こってしまった。それは現実なんだ。
助ける方法が、無かったわけではない。
最後のカードは切らないという判断を、誰かがしたのも事実。
言葉できくのと、その光景を実際に見てしまうことは、まったく違います。
想像を完全に超えている。
現代的生活を送っている日本人には、どうがんばったって、想像なんかつかないですよ。
でも、そんなことは確かに起こってしまった。
最後のカードは切らないという『判断』をした誰かは、
人が生きたまま首を切られるということを、どれほど理解できていたのだろうか。
なにもかも、僕にはとても信じられない。

そんな事件が起こった直後でもテレビじゃ「笑っていいとも増刊号」が流れていた。
報道特番なんかひとつも放送されてない。
前回、前々回3人誘拐のときは、専門家も野次馬もいっしょくたの、
憶測で勝手な事を言い合う、報道エンターテイメントに仕立て上げ、毎日毎日騒いでたのに、
どうなっとんじゃ。
「残念でしたね」でおしまい?
政府の判断で民間人が見殺しにされた、大事件ではないの??
報道規制?情報操作?何かがおかしくない?
もう、こんなことばっかり、書きたくないよ。ほんとは。
まったく他人の僕ではありますが、
亡くなってしまった彼のご冥福と、ご家族の心の平穏を、
こころより願い、祈っております。

2004.10.30 (sat)
またひとつ、コンペをやっている。
予算があまりにも少なくて、
その夫婦は僕よりも若くて、
つい最近、子供が産まれたばかりだという。
予算の極端に少ない物件を、コンペに参加してまで・・・と、
本当なら思ってしまうところだけど、今回はやってみたくなった。
若いからお金がない。でも希望で溢れている。
その感じが、いいなぁと思った。
なにか、価値観を共有できる相手のようにも思えた。
そのコンペは、ネットで参加建築家募集が始まってから、
たった数時間で30人の建築家が参加表明し、
その日のうちに、参加枠が締め切られた。
もちろん、選ばれるのは1人。
1/30かぁ、まさかそんなに人気がでる物件だとは思っていなかったのだが・・・
でも、それもまた少し嬉しくもあった。
予算がたくさんあっても、建築家からのアプローチが少ない物件もあれば、
今回のような意外な物件もある。
この若い家族を、なんとか手助けしてあげたい、
そんな建築家がいっぱいいたということだろう。
よし、がんばろう。
もちろん、「参加することに意義がある」なんて思っていない。
30人の中から選んでもらえる、そういう提案を作りまっせ。

2004.10.29 (fri)
なんか、おかしいな、と思った。
誘拐された彼の、お母さんの言ったこと、
会見で「自衛隊は撤退しないとのことだが、それについてどう思うか?」と問われたときに、
「いち民間人として国に対して言える立場じゃない・・・」
とこたえていた。
それは、おかしいよ。
国があるから国民がいるわけじゃない。
人がたくさんいるから、それを国って呼ぼうってなっただけのこと。
政府や総理大臣は、殿様じゃない。
たくさんの人々の意見や利益を、まとめてくれる人が必要で、
じゃぁだれか、その役やってくれないかな?
ってんで、僕ら普通の民間人が『雇ってる』のが国会議員や役人のはずだ。
ヤツらが役に立たなきゃクビにできる、それが民間人の権利で役割だ。
力の強いヤツが威張っていい、そういう時代でも、制度でもないのだ。
ヤツは殿様じゃない。ヤツらはお上じゃない。
デカイ顔してるけど、僕らが雇ってやった、使用人のはずなのだ。
だから、彼のお母さんは、思っていることを正直に言ったらいいのだ。
「自衛隊、撤退してもらえませんか、お願いです。バカ息子ですが、大切な我が子なんです」と。
そりゃぁ、非難もゴウゴウでしょうけど、
でも、抑え付けられるように、黙ってしまってはいけないのだ。民主国家なら。
政府は、
一度でもテロに屈することは、最終的に多くの日本の民間人を危険にさらしてしまうことになるから、
多くの民間人の安全を確保するために、テロリストの言いなりになりたくない。と思っている。
それはそれで正しい。
評論家やジャーナリストも、世界情勢とかふまえて、もっともらしいことを言うだろう。
でも、あのご家族のところは、多くの民間人とは、いま事情が違うのだ。
積極的にわがままに、自分の利益、息子の安全を要求すべきなのだ。
それに、これがもし国内のただの誘拐事件なら、家族と警察が協力して、
犯人との話を引き延ばしたり、身代金をチラつかせたり、渡しに行ってみたりして、
譲歩しているように見せかけながら、事件を解決しようとする。
いきなり語気を強めて「誘拐犯には屈しない!」なんて宣言しない。
僕には、色んなことがおかしいと思える。

2004.10.28 (thu)
国立マンション訴訟が逆転敗訴だと。
景観の権利が認められなかった。
残念だけど、そりゃそうだろうとも思う。
法律で「建てちゃダメ」って言って無かったんだから、しょうがない。
都市は便利だから、自然に人は集まってくる。
人が増えれば建物が増える。密度が高くなる。
「30年前からここに住んでいる!」なんて権利を主張したって、
それは、そこに居を構えるのが多少早かっただけで、
都市に利を見いだして移り住んできたってことは、
いま移り住んでくる人と、同じじゃないか。
そんなに声高に権利を主張できる身でもないだろう。
「そんなのわかってるけど、ウチの周りには建てないで欲しい」
なんてのは、話にもならない。
だって、他のみんなは我慢しているのだ。
そんなに権利を主張したいなら、自分たちで法律を変えるか、
条例をつくるかして、対処するしかない。
都市化したために建ってしまう巨大なマンションがうっとうしいなら、田舎に引っ越すしか無い。
でもそのおかげで、土地はその分ずっと高く売れるんだし、田舎に引っ越せば家賃は安いんだし。
その経済的なことと、自分の心の欲求不満を天秤にかけて、
それでも、そこに住んでいたいと思うから、自分の利益を優先させるから、
引っ越さないってのなら、巨大マンションに『本気で』腹を立てる資格なんて、無いと思うけどな。
本気じゃなくて『ポーズ』なら、大いにやるべきだと思うけど。
ジャンジャン文句言って、自分の住み良い街を求める。
それは正当なことだと思うから。
ただ、本気で『不当』だなんて思っているのなら、ずいぶん身勝手な人たちだなと思っちゃう。
都市の魅力を甘受して、でも他の人には来ないでくれ、なんて。
都市化という成りゆきは、『自然』なのだと受け入れる社会性が必要だろう。
そんな意見を僕が持つのは、建築関係社だからだろうか?
うーん、ちょっとわからない。
でも僕も、景観(と言うか、心豊かに暮らせる環境)が当然のこととして守られる、
そういう社会になっていって欲しいと思っているよ。
国立の例も、残念だったのは、法律が「建てちゃダメ」って言ってなかったことと、
条例を作るのが後手にまわってしまったこと。
それはマンション会社を非難できるようなことではなく、
行政を監視していなかった住民たちの非の結果だと、
僕は思うんだけどなぁ。

2004.10.27 (wed)
子供が生きていて、良かったよねぇ。
もちろん、奥さんが亡くなってしまったのは、残念なことなんだけど、
それでも、子供が亡くなってしまうよりは、まだ、ずっと良かった、
そう思いながらニュースを見ていた。
以前の僕は、こういう事故を見るたびに、
「夫婦がなんとか生き残っていれば、また、子供を何人でもつくれるんだから」
そんなふうに思っていたのだけど、今は考え方が変わった。
どうせ、親の方が先に死ぬのだ。
それが多少早まってしまうことくらいは、大したことないような気がする。
それよりも、自分がつないだ命である我が子が、
大人になる前に死んでしまうことほど、無情なことはない。と。

一般的に、状況が悪い時に、「子供から先に避難を」「子供に先に食事を」
というのが常識となっている。
それはもちろん、「子供は弱いので強い大人が守ってやらなきゃ」
そういう意味もあろうが、
おそらく、子をもつ親の、
「たとえ自分が飢えて死んでしまったとしても、
子供には『たんまり』と食べさせてやりたい。やらなきゃ。」
という、自然に身に付く価値観だったんだな、と最近わかった。
それが、たとえ他人の子へでも、自分が飢え死にしようと、与えるでしょうね。
子を持つ親なら。

人間が生きていること、そこに意味なんか無いな、最近とくに思う。
仕事の道で一流になろうが、大きな発明をしようが、人から尊敬されようが、
そんなこと、すごーくどうでも良いこと。
そこに自分の人生の意味を見いだそうと躍起になることは、ずいぶんちっぽけだなぁ。
(そういうことを仕事のHPに書いてしまって良いのだろうか?)
「ひとりひとりの人生に、意味なんてない」そう思いはじめたのは、
46億年の命のリレーの中で、自分はたまたまそこに参加したひとりに過ぎない、
そう考えるようになったからである。
たとえば、ある野良犬が(仮にポチとしておこうか)、
「人生の(犬生というべきか)意味とは、なんだろうか」
「オイラが世に残せる仕事とは何だろうか」
と、空き地の陽だまりで思い悩み、ポチはポチなりの哲学をもって行動していたとしても、
それを僕は「アホか、ただの野良犬が」と思うだけだろう。
てきとうに食って、そのうち死ぬ。生きてるなんて、きっとそれだけのことなのだ。
46億年のモノサシで考えたら、野良犬と自分に、大きな違いはない。
あるひとりの人間の、人生の意味なんて、野良犬のそれと、変わりゃしない。
だからこそ、命だけは守っていかなきゃいけない。
ずーっと引き継いできた命は、何よりも大切にしなくちゃ、
そして次の世代へと、引き継がなくちゃいけないはずだ。
「命の大切さ」
使われすぎてチープになってしまった言葉が、
どう説明したら本来の意味を取り戻せるのか、困ってしまうのだけど、
とにかく、命はそういうものじゃないかと思っている。

またひとり、無謀な日本人がイラクで捕まっているけど、
そっちだって、絶対に死なせちゃいけないはずだ。
死なせない方法がありながら、それを使わずに死なせてしまうことがあっては、最悪だ。
すでに棺桶に片足突っ込んだ、死に損ないのジジイどもに、
これから未来がある若者を、それが非常識な行動だからって、死なせる権利なんてないはずなのだ。
方法はなんだっていいから、子を持つ親なら『全力で』取り組んでくださいよね。
年寄りが死んでも良いとは言わないが、
まだこれからの命が失われることは、本当に本当に苦しいことだ。

とりあえず、今日はいい日だった。
2歳の男の子が助け出され、 それをまるで我がことのように喜び、胸をなで下ろした人が、
ウチの他にも、日本中にたくさんたくさんいたってこと。
母親が死んでしまったことは、きっとつらいだろうけど、
がんばって生きていってください。

2004.10.26 (tue)
マラカスがどうもダメみたい。
いつもなら、どんなものにでもすぐ手を伸ばして、
「それなに?ねぇさわらせて、あじみさせて」ってやるのに、
マラカスを渡したら、「ぅうううわぁっあああ!」って逃げまどいながら、
ワーワー泣きだした。
何がそんなに怖いんだろう?
形かなぁ?色かなぁ?
それとも邪悪な『気』でも、出ているのだろうか?
このマラカスは、友人が潰れたスナックから貰ってきたもの、を貰ったもの。
確かに出所はアヤシイ。
そのスナックで傷害事件や殺人事件があったりしたかもしれない。
「警部!コロシです。凶器は・・・マラカスですね。」
なんて、マラカス殺人事件があったのかもしれない。
・・・ないか。
んでも、いったいなんでこんなに怖がるんだろう?

2004.10.25 (mon)
きのう、ウチのコドモに、歯が生えてきたのを発見!
まだ見えてはこないけど、
歯茎を指で触ってみると、ギザギザっとした手応えがある。
下の前歯2本分かな。
嬉しいような、でもちょっと寂しいような。
歯がないクシャおじさんみたいな顔も、可愛らしかったんだけど、
そのうち見られなくなってしまうのだね。

2004.10.24 (sun)
おにぎりくらい、なんとかならんのか。
東京中のコンビニにバラまかれている分を、
一日二日ストップさせたって、どうってことないだろう。
東京には食べるものなんかいくらだってある。
セブンイレブンの、ローソンの、サンクスの、ミニストップの・・・
各おにぎり工場に自衛隊がヘリで乗り付けて、ごっそり新潟に運んでいくくらいできないのか。
今避難して困っている人たちは、たったの6万人でしかないのに、
東京ドームのコンサートでさえ、5万人集まるって規模なのに、
避難してるたったの6万人に、ロクに食料が行き届かないってのはどういうことだ?
この国の災害対策って、そこまでお粗末なのか?
この国の対応を見ていると恐ろしくなる。
東京に大地震が来たら、ホントにどうなっちゃうのだろう。
道はまず塞がれるだろう。車、人、がれき、火事・・・
救援物資なんて、どこからやってくる?
1000万人が口を開けて待っている東京に、
どこの誰が、そんなに食料を用意できる?
こいつぁ恐ろしいことだぞ。
助けてくれる人たちより、助けてもらいたがってる人の方がズーっとズーっと多いんじゃ、
餓死者がゴロゴロ出るほどの極限の状況が、
長期間にわたる可能性があるんじゃないのか?東京の場合は。
食料と水を求めて、暴動や略奪や殺し合い、最悪に醜い争いが起こる、
ホンモノの地獄に、東京はなりはしないか?
備えておかなきゃ、そう思う反面、
ウチがどんだけ備えたって、どうせ足りないんじゃないか、とも思う。
考えてみたら、僕らは暮らしている街は、とんでもなく恐ろしいところかもしれない。

2004.10.23 (sat)
アイドルのサイン会に行ってきた。
いやいや、そういう意味じゃない。
頼まれたので、付き合いで行っただけなのだ。
お茶の水の書店で、ファースト写真集発売記念の握手会が企画されていたのだが、
どうも、売れ行きの感じから、10人くらいしか集まらないのではという状態だったようで、
知り合いの出版関係の人から、「カッコがつかないから、サクラお願いできない?」と。
コレでも、僕はけっこう忙しい方である。
当然、断るつもりだった。
・・・のだが、よくよく考えてみると、
僕の人生はこのまま行くと、一度もアイドルの握手会に行ったことのない人生として、終わるんじゃないだろうか?
そう考えると、一生のうちに一回くらい、アイドルと握手をしてみるのも、悪くないかもしれない。
ちなみに、そのアイドルは名前を聞いても「ダレ?それ?」っていう、ぜんぜん知らない人だった。
なんでも、ついこのあいだデビューしたばかりの新人だと。
ってことは、この女の子のことを知っているのは日本中に数十人?
そういうのもアイドルって言うのか?
まぁ、いい。
僕はモーニング娘が今何人組なのかも知らないし、最初っからなん人だったかも知らない。
そういうレベルである。
そんなんで、行ってきました。初めての世界。
おぉ!本物のオタクがいるぞ。
ホントに紙袋を持ってる!
しかし、コイツらなんでそんなに大荷物なんだ?
天体望遠鏡のような巨大なカメラをぶら下げて、
いったいキミたちは何を狙っているのだ?・・・
いやぁ、新鮮でした。
新しい世界を、垣間みてきました。
アイドルのかた、どうぞ頑張ってください。
ああいう人々の、ひとりひとりと握手して、大きくなっていくのですね。
ちなみに、握手の列にサクラがまぎれていたことを、アイドル本人は知らないのである。

2004.10.22 (fri)
疲れ目の時にさす、目のビタミン剤が切れたので、
同じ目薬を病院で出してもらった。
「保管の際はこの袋に必ず入れてくださいね。
中の薬が紫外線に弱いので、変質してしまいますので。
それと、開封して一ヶ月経ったら、薬が残っていても捨ててください。
雑菌が繁殖しますので、お使いいただけるのは一ヶ月が限度です。」
・・・え??
この夏、サンサンと陽の降りそそぐ窓辺で、
袋になど入れずに、4ヶ月間使用してきた、あの目薬は・・・
薬じゃなくて、むしろ毒と化していたのだろうか・・・
だって、目薬って減らないじゃない?
それとあの目薬の袋ってちゃんと意味があったんだね。
ただのオマケかと思ってたよ。
ボトルに直接遮光加工をしてくれればいいのにね。

2004.10.21 (thu)
友人が遊びにきて、フライヤーを置いていった。
彼がDJをやるというプリンスパーティーの案内。
彼は雑誌の誌面のデザインとか、webデザインをやっているヤツなので、
そのフライヤーのデザインも自分でやっていて、
「一日でパパッと作った」って言うんだけど、コレがなかなか大したものなんだなぁ。
僕も自分でパンフレット作ったり、オープンハウス案内なんかをやってみるのだけど、
こうやって比べてみると、やっぱシロウト仕事だなぁ。
まぁ、彼はプロなんだからそりゃ当然なんだけど、
当たり前のようにササッと、このレベルの仕事ができるってのは、
うん、やっぱり大したものである。

2004.10.20 (wed)
ウチのコドモ、3ヶ月くらい前(生後5ヶ月)から、
「パッパ」と「マンマ」に関しては言えるようになっている。
言えるのだが、パパ・ママって言葉を教えたことなんかない。
「ンパッパッパッ・・・」「マムマンマン・・・」
教えてないのに勝手に言ってるってのは、
きっとパ行とマ行は、赤ちゃんが最初に発せられる言葉・・・というより、音なんだろうな。
もし『パパ』『ママ』を一生懸命に教え込んでいたら、
「パパって言ったよぉ!ウチの子天才!!」って狂喜乱舞してたんだろう。
でもね、誤解とはいえ、僕のこと見上げながら「パーパ、パパパ・・・」って言うんだ。
んん、もう、かわいいよぉ♪

2004.10.19 (tue)
同じ品物なら安く買いたい。
だれしもそうでしょう。
昨日のシェーバーもそうだったんだけど、
インターネットのおかげで、各店舗の価格情報ってのが簡単に調べがつく。
価格ドットコム、yahooオークション、楽天、ヨドバシドットコム・・・
どこが一番安いかなぁ、消費税は?送料は?ポイントは?
調べているうちに1時間2時間経っていて、あ、早く寝なきゃなんて。
でも、ふっと思う。
安いったってせいぜい500円とか1000円のことなのに、
そのために1時間2時間使っている方が、よっぽど損している。
僕らのような自営業者は、特にタイムイズマネーの感覚が強い。
1・2時間かけるくらいなら、高かろうが安かろうが、一店目の店でさっさと買って、
その分余計に自分の仕事をしていた方が、数千円の得なのである。
それは会社員の人とて、その分の時間残業してたら・・・と考えれば同じだろう。
同様に、製品の性能と価格で悩んでいる時にも、同じ事が言える。
数千円の違いで、もうちょっと機能が良いものが手に入る、とか、
よそのメーカーの製品はどうだろう?とか、
カタログ集めたり、調べたり比較するのに時間を費やすくらいだったら、
悩まずパッと一番高いヤツを買ってしまうのが、実は本当にお得な買い物ではないだろうか。
グジグジと悩んだ末に、コレがいちばんコストパフォーマンスが良かった、なんて
中の下ランクの、一見お買い得価格帯商品を買っていても、
そこに費やした時間を労力として換算したら、全然得じゃない。
情報って、その程度のことなんだと思う。
情報を集めるのが趣味、そういう人は別にいいのだけど、
やっぱり、情報ってのは、利益に変換できて初めて意味を持つもの。
インターネットのおかげで、情報を手にするのが格段にラクになった、ということは、
80年代、90年代のような、情報が宝のごとく扱われた時代は、とっくに終わっているわけである。
そこに気が付かずに、
インターネットに接続してみたら、情報がザクザクあるもんだから、
ウハウハそれを掻き集め、喜びを感じてしていては、目的を見失ってしまう。
情報収集なんて、今どき石炭の鉱脈を見つけて、喜んで掘り起こしているようなものだと、
自分に言い聞かせないと、情報のアリ地獄にハマってしまいそうな、今日この頃である。

2004.10.18 (mon)
なんかサイボーグみたい・・・
10年使ったシェーバーが壊れたので、
こんどはいいヤツ買おうかなぁと思っていたのだが、
デザインのあまりの酷さに愕然。
こちらとしては、痛くなく、良く剃れてくれさえすれば良いのだが、
なんだか色んな機能が付いているようで、機種の数も目が回るほどある。
それぞれ、どこがどう違うのか、見ていてもよくわからん。
しかも、どれもコレも、ウルトラマンのような、AKIRAのオートバイのような、
ターミネーターのような、ロボコップのような、なんか、奇妙なデザイン
剃れるかどうかよりも、こんな妙なものを所有することが、ちょっと我慢できない。
だもんで、結局10年前に買ったヤツの後継機種、デザインがほとんど変わらない、
質実剛健、機能が形に素直に現れているだけの、一番シンプルなヤツを買ってきました。
あぁ、水洗いとかウェット剃りとか、してみたかったなぁ・・・
なんて思いつつ使ってみると、アレ??痛くないし、かるーく良く剃れる。
なんの事はない、刃が新品なら何だって良く剃れるのだ。
これからはちゃんと1年ごとに刃を替えようっと。

2004.10.17 (sun)
両親がナシを持ってきてくれた。
んが、なんじゃこりゃ!
ナシの大きさじゃない。これは小型のスイカである。
「オモシロかったから買ってみた」とは母の弁。
まったく・・・不気味ものを買ってきおって。
東海村で採れたとか、遺伝子が組み変わっちゃったとか、
そういうナシじゃないよね??・・・
皮の表面もなんかキモチワルイ。
KONISHIKIの肌みたいな、伸びちゃってるかんじ。
ちなみに、味は普通に甘かったのです。
が、舌触りが、なんというか、「細胞のひとつひとつがデカくなっちゃってる」ってかんじで、
キメの荒いナシでした。

2004.10.16 (sat)
ウチの洗濯場の水の流れが悪くなったので、
先日マンションの管理会社が見に来てくれて、
配水管の汚泥を溶かす薬剤で処置してくれた。
くれたのはいいのだが、その時に薬剤の破片をポロポロ床に落としていたようで、
その部分の床材が黒く変色してしまった。
その薬剤ってのは汚泥や髪の毛を溶かしちゃうくらいだから、
かなり強力なモノで、ちょっと手で触ってみただけでヌルヌルして、
石けんで洗っても、ちょっとやそっとじゃ落ちない。
コドモを安全にハイハイさせるためにわざわざ張り替えた床なのに、
まったく・・・
おそらく、塗装でがっちりコーティングされている普通のフローリングであれば、
どうってことなかったんだろう。
ウチのは杉板に柿渋を塗って植物オイルを染み込ませたもの。
有機的な自然のもので構成されているので、
薬剤はそれらを簡単に変質させてくれちゃったのだろう。
雑巾で拭いたところで薬剤は取れそうもないので、変質した部分を紙ヤスリで削り落とすことにした。
まったく、冗談じゃネェよ、余計な仕事ふやしてくれやがって・・・
と、作業をしながら、気が付いたのが、
これが普通のフローリングの床だったら、薬剤が落ちていたことすら気が付かなかったかもしれない。
その上をコドモがハイハイして、なめたりもしていただろう。
それによって死ぬようなことは無いだろうけど、
普段の生活で、何のために野菜を減農薬のモノにしているのか、
洗剤使わないようにしているのか、わかんなくなっちゃうよね。
有機にこだわる人が、田舎に引っ込んで、自給自足の健全な生活を始めたりするけど、
ウチはあそこまで極端なことはしたくない。
できる範囲で余計な化学物質を排除したいだけなんだけどね。
どうもうまくいかない。なにかが、おかしい感じがする。
時代がおかしいのか、都市がおかしいのか、僕がおかしいのか、
どうも、バランスが悪いようである。

2004.10.15 (fri)
「成果がしっかりしたモノとして、確実にひとつひとつ出来上がっていく、
設計っていい仕事ですよね。」
と言われた。
でも、出来上がった瞬間にそれは人のものになっちゃうんだよなぁ。
血汗を注いで、完成した時のそこに暮らしたときの居心地をイメージしながら作って、
このお風呂は気持ちいいぞぉ、休みの日の朝風呂なんか最高だろうなぁ、なんて思っていても、
それは味わえないんだよね、設計者は。
完成した瞬間から手を離れていくから。
なんだろうこのヘンな感覚。
プラモデルは・・・あれは作ってるときが楽しくて、完成しちゃうとどうでも良くて、
次のを作りたくなるから、ちょっと違うな。
うぅ・・・、あ、料理が似てるかもしれない。
材料をいいのを集めて、下ごしらえして、
コトコト煮込んで、隠し味にアレを入れてみたら美味しくなるかな?
なんて創意工夫して作った料理を、さぁできたぞ、どうかなぁ?美味しくできたかなぁ、って
お皿に盛りつけたところで、ひとに食べられちゃう。そんなかんじ。
自分では食べられなくて、食べている人の顔を見ながら、ねぇおいしい?おいしい?
どんな味?って訊きくしかできない、もどかしさ。
住宅の設計ってそんなかんじです。

2004.10.14 (thu)
ちなみに、コドモを5人10人育てる、ということについて、
ウチのカミさんは反対している。
「そんな!産めるわけないじゃん、アンタあれがどんだけキツいことか知らないから、
そんな勝手なこと言えるのよ。ホントに、死にそうになって産んでんだよ!
あれを5回も10回もなんて冗談じゃないよ。思いつきでなに言ってんの!」
・・・・・・。
知ってますよ、見てましたから。
文字通り、僕の目にもあなたは死ぬ寸前に見えました。
でもまぁ、サケだって産卵したら死んじゃうんだしさぁ、
カマキリだって卵を産むメスに、オスはバリバリ食われちゃうんだし、
親はさ、死んじゃったってしょうがないんじゃないの?
・・・とは、言えませんでしたけど。

2004.10.13 (wed)
そうそう、小さな資産家になるための、なにを思いついちゃったのかというと、
お待たせいたしました。
大したことじゃないんです。その気になれば誰にでもできるんです。
が、それがなかなか簡単ではないのです。
まぁだからこそ、多くのひとがしないことだから、効いてくるはずです。
またか、と思われてしまうかもしれませんが、
答えは子供です。
子供を育てるんです。それだけ。
でも、1人や2人じゃなくて、5人10人、とにかくたくさん。
僕らのおじいさんおばあさんの時代のようにたくさん。
時々テレビでやっている大家族の波瀾万丈ドキュメントみたいに、
狭くてゴチャゴチャに散らかった家で、プレステやってるヨコで、
兄弟は取っ組み合いのケンカしてて、そのヨコでチビがクレヨンぶちまけてて、
お母さんはイライラして「アンタの稼ぎが悪いのよ」って言えば、
「ウッセなー!こっちは仕事で疲れてんだ!」って、お父さんは居場所がなくて酒飲んで、出てっちゃう・・・
そういうの、あるでしょ。
テレビ見てると、そりゃそんだけ子供つくっちゃったらねぇ、
途中でやめときゃ良かったのに、自業自得だよ。
なんて、人の不幸を笑ってみてるような気になっているんだけど。
(でまた、番組の最後の方で、さらにお母さんの妊娠が発覚したりしてね)
でもよく考えると、あの家族、今はド貧乏かもしれないけど、20年後はすごくいいよ。
大逆転。
20年後は年金で生活なんてできないだろうし、そもそも何歳から貰えることになるか。
1次ベビーブーマーがいて、2次のベビーブーマーがいて、出生率は1.29で、
働く世代がいない、年寄りばっかりの日本で、
しかもその頃の年寄りは、戦争を乗り切った今の年寄りと違って、
甘っちょろいのがただ歳食っちゃっただけの、最悪の年寄りのはずだから(我々のことですね)、
もう、どうにもなんないよね。
今の税金は、低負担・低福祉、だけど、
将来は、確実に今よりキビシくなる、たくさん納めてチョビっとしか貰えない最悪な環境だろうし、
(だっていまだに毎年借金増やしてるんだからこの国は、
その頃にはもう、中国やインドから経済支援を受けてるんじゃないのか?)
年金で食っていけないジジババを息子や娘は、面倒見ないわけにいかないだろうし。
はっきりわかっているのは、20年後の社会は、今よりずっと悪い、かなり悪い。
それを考えたら、自分のコドモも一人っ子・2人兄弟よりは、5人10人の兄弟がいれば、
彼らの、親やジジババの面倒を見る負担は、グッと減る。
年寄り養うために自分の人生を犠牲にする、コドモも産めない、そういう時代になると思うのだ。
世の中が悪循環に陥っていくのはこの際放っておいて、
自分だけ浮かび上がっちゃえばいい。
いろいろ考えた末、コドモ2人を大学まで行かせるよりも、
5人育てて中卒で社会に放り出してしまう方が、よっぽど価値ある、
という結論に至った。
僕は死ぬまで働きたい。とは思っているけど、
コドモの世話にはならないように、とも思っているけど、
確実に老いていく。
ラクに楽しく生きてくために、
こう言っちゃぁなんだが、コドモは資産になるよ。きっと。
子宝の時代がまたやってくると思うのだ。

2004.10.12 (tue)
新しい電話帳が届いた。
ウチがちゃんと載ってる。
なんだかちょっとウレシイ♪



2004.10.11 (mon)
なんとなく聞いていたラジオで、永六輔がいいこと言っていた。
早口で半裏返りのベタベタした、あの独特の口調を思い出して読んでみてください。
「ごはんを食べる前の『いただきます』、あれにはその前に続く言葉があるんですね。
私達は動物や植物や、命あるものを食べて、自分が生きているわけです。
命あるものの命を、自分の命に替えさせてもらう、それが食べるということです。
『いただきます』の本来のことばは、
『あなたの命を、私の命にさせていただきます』なんです。
それが省略されて、最後の部分の『いただきます』だけが残っているんですね。
みなさんも時々でも食事の前に声に出して、ちゃんと言ってみてごらんなさい。
そう簡単に、食べ物を残したりできなくなりますよ。」
・・・それを人前ですると、ちょっと宗教っぽくて怪しいけど、
でもやろうかな、それ。

2004.10.10 (sun)
結婚指輪が・・・こわれた。
なにも、無理な力が掛かったわけではないのに、ポロッとこわれた。
これは、シルバークレイという、粘土状のものをコネて、オーブンで焼くと
99.9%の純銀のアクセサリーができる、そういうキットを使ってつくったもの。
自分たちのウエディングパーティーには、間に合うように作らなきゃいけない、ってんで、
デザインを考えて、何度も失敗作を重ねながら、夜遅くまで頑張って、
僕がカミさん用のをつくり、カミさんが僕用のをつくった、
いちおう意味深い、手作りの結婚指輪なのだが・・・
あまりにもモロく、ポロッとこわれた。
まさか壊れるとは思ってもいなかったので、
「ぁあ!、こわれちゃったよ!」と驚いて声をあげたら、
「あ、そう。また作ればいいじゃない」と拍子抜けなお返事。
「私のもヒビが入ってきていて、もうすぐ壊れそうよ」とも。
あんまり・・・コレで大事なものを作ってはいけないかもしれない。
慣れてる人が作るなら、もうちょっとしっかり出来るのかもしれないけど。

2004.10.09 (sat)
ちょっと変えただけで、劇的に変わった。
カミさんが模型を覗き込みながら、
「このバッテン、無いとダメなの?」
「ここに少し壁を付けてみたら?」
「本一段分くらいの収納を置いたら良いんじゃない?」
ナニをこのシロウトが、と思いながら、カミさんが言うように模型をいじってみると、
・・・アレ? (・o・) ホントダ、ソノホウガゼンゼンイイジャン。
空間の質が、すんごい魅力的な空間に、ガラッと変わった。
カミさんはただの主婦なのに、僕はプロなのに、これはまずいんじゃないの?
でも、・・・確かにいい建築になったなぁ。
しょうがない、また図面を描き直すか・・・。

2004.10.08 (fri)
重大なことに気が付きました!
人生の一発逆転を、宝くじに頼らないで、誰でもできる方法!
ホントはだれにも教えたくないけど、おすそわけしよう。
いままで、いつも資本主義社会には、うんざりしてきたものだ。
ご承知のように、資本主義の社会は、
「一部の資本を持っている人が、さらに特をできる社会」である。
蓄えのない庶民が、家を買うクルマを買う、といった場合はローンで購入することになる。
元手がないばっかりに、代金+金利を支払うことになる。
例えばオヤジが金持ちなんて場合には、立て替えてもらって、
コツコツ代金だけを分割返済していけば、金利分のお金は掛からない。
同じモノを買っても、庶民の方がより多くお金を落とすことになる。
あらかじめ資本のある人は、浮いた金利分で、バイクの1台でも余計に買えたりする。
このようなことは、ほぼすべての場面において、当てはまるだろう。
「庶民だけど、現金でしかモノを買わない」という人もいるかもしれない。
が、今どきは、家賃を30年払うことを考えると、そのお金で同じような程度の家が買える。
家賃生活を送っているだけで、ジャブジャブお金を垂れ流しているのと同じこと。
(しかも賃貸生活は、なにかと不自由が多い。)
そこで儲けているのは、マンションやアパートの大家、それも小さな資本家である。
庶民でいることは、ただ普通に生活しているだけで、とにかくロスが多い。
ひとつひとつは小さなロスだけれども、まとめてみると、けっこう余計な金を払っていたことに気が付く。
そして、そのお金の流れはいつでも、庶民から資本家への支払いである。
『庶民←資本家』という流れになることは、絶対にない。
僕らの暮らす資本主義社会は、残念だが常にそうなっている。
庶民の家に産まれてしまったのは、運命であるが、
こんな仕組みの社会なだけに、「実家が金持ちだったらなぁ」と思う場面は多々ある。
自由な社会だと言われているが、実は自分の生まれや条件は生涯つきまとい、
普段気が付かないだけで、確実にここはアリ地獄なのである。
そこから抜け出せるのは、ごくごく一部の人。
多くは、庶民の家に生まれ、庶民のまま生涯を過ごすことになる。
エジプトのピラミッドを作ったのは、実は奴隷なんかじゃなくて、
自由に酒を飲んだり、程々に日々の生活を楽しめる身分の、庶民だったって話だし、
世の中の仕組み自体は、そんなに変わってはいない。
さて、ではそういうニッチもサッチもいかない社会の中で、
庶民が少しでもラクな立場へ行く方法があるのか?
ある!
数十年前、二束三文だった土地をたまたま、まとめて買っただけで、
今では地主になってマンションの大家さんで余裕の生活している、なんて人がいるように、
時代をとらえれば、その程度の小さな資本家にはなれる。
さぁ、ここからやっと本題に入りたかったのですが、残念なことに紙面が尽きてしまいました。
まるで、公衆便所の張り紙に書いてある、インチキな儲けばなしのようですが、
肝心なところはまた今度、気が向いた時に書くことにしたいと思います。
ではまた。お会いしましょう。

2004.10.07 (thu)
出版社で、森に浮かぶ家の建築写真家に撮ってもらった写真を、
見せてもらってきた。
以前、和田さんに撮ってもらったものと、似ているカットも多かったのだが、
でも、1枚の写真から受ける印象が、なぜかまったく違う。
あらためて、同じ写真でも、ジャンルによってまったく別モノなのだなと感じた。
人の心を動かす、アートとしての写真もあるし、
報道写真みたいな、ジャンルもあるし、
商品を素敵に見せるためのコマーシャルの写真もある。
建築写真は、少ないカットで、その建築を正しく説明してくれるものなんだな。たぶん。
だから、事実を超えた思い入れのようなモノが映らないように撮ってある。
含みのない、スカッとした写真。
んで、久しぶりにあらためて、和田さんにとってもらった写真を見てみると、
うーん、和田さんのは建築写真じゃない。
たしかに写っているものは建築物なんだけど、
眺めていて伝わってくるものが、建築じゃなくて、物語なの。
その物語は写真を見た人の心の中で、それぞれ勝手に広がっていくような。
映画のワンシーンのような写真。
あらためて、良い写真を撮ってくれたなぁと、思いました。
worksのページにアップしているのは、じつは撮ってもらったうちの、ほんの一部なんです。
まだお見せしていない写真が、数十カットあり、勿体ないことをしていますので、
そのうち(いつになることやら)機会をつくろうと思います。

2004.10.06 (wed)
住宅特集の原稿、「ちょっとだけ・・・」のつもりで、練り始めたら、
結局夜中まで掛かって、書き上げてしまった。
あーぁ、つかれた。文章を書くのは難しいねぇ。
全体の骨格がしっかりしていないと、意図が見えてこないし、
細かい言葉尻ひとつひとつの部分でも、ニュアンスが変わっちゃって、
うまく伝わらない文章になっちゃう。
それと、もうひとつ気が付いたことが、
文章を書く時には、コンピューターで打つわけだけど、
『、』やら改行やら、漢字とひらがなの打ち分けなど、
読みやすいように配慮して書いているつもりが、
紙にプリントアウトして読んでみると、逆にそれが非常に読みにくい。
『、』が多すぎて、スラスラっと読めなくて、内容が頭に入ってこない。
コンピューターの画面上の文章と、紙の印刷物の文章は、
読む速度や目の追い方が違うのだね。
だもんで、プリントアウトしては直し、プリントアウトしては直しの慣れない原稿書き。
そういえば、知り合いで雑誌のライターをしているかたからのメールは、
いつも文章・レイアウトがとってもきれい。
かきなれている人はセンスがいいんだろうな。

2004.10.05 (tue)
なんか・・・忙しい・・・。
『朝の家』を建設会社に見積もってもらうのに、
揃えなくちゃいけない図面を、描かなきゃだし、
『森に浮かぶ家』が住宅特集jtという建築誌に載るので、
原稿を書かなくちゃいけないし、その図面もまとめ直さなくちゃいけない。
他にも小さな仕事がポツポツ。
今月中頃までに、やらなきゃいけない事が、一気に重なってしまった。
行きたい見学会にも、月イチの研究会にも行かれなかったし。
忙しいとdailyに写真がなくなりがちで、見苦しくもなる。
しかししかし、そんなときでも、いえ、そんな時だからこそ、
お仕事の依頼は、大歓迎でお待ちしています。
住宅や店舗、新築・改築、マンションリフォーム、
その他もろもろ、建築がらみの「ちょっと訊いてみたいんだけど・・・」など、など。
ご連絡いただければ、まずはご相談にのります。
どうぞ気負わずに、簡単で結構ですので、メールでご連絡ください。

2004.10.04 (mon)
ずっとむかし、僕が高校生の頃にね、井上陽水がラジオで言っていた事なんだけど、
「ふつうの人は、『人と変わったことをしたい』って思うらしいんだけど、
僕はいつも、ふつうの人のようになりたいなぁって、ずっと思っているんけどねぇ・・・」
って。これを聞いて、当時、結構ショックだったんです。
いつも人と変わった事をしたいと思っていた自分は、あぁ、なんだ普通の人なのか、と。
んで、それを友人に話してみたところ、
「井上陽水の考え方を、自分に当てはめて考えようとしているところが、
キミはもう普通じゃない」と。
いったいどっちなんだ、と思ったまま、現在に至るわけです。
答えはまだ良くわからないのですが、少しわかったのが、
井上陽水やイチローを、「同じ人間なのに・・・」って考えている人と、
「そもそも『同じ』じゃないんだよ」って、
持って産まれた素質が、特別なのだと考える人がいるということ。
そんなの、ホントはどっちだって良いんだろうね。
ちゃんと身の程を知って、その上で、黙々と積み重ねていく。
それだけのこと。
さ、仕事しよっと。

2004.10.03 (sun)
昨日のdailyを書いた時点では、イチロー云々は気に留めていなかったのだけど、
なんか、スゴイ人だね。
修行僧というかね、『求道者』ってかんじで。
僕はイチローより1歳年下になるのかな。
自分とイチローを比べちゃうと・・・
・・・ぁあ、自分がダメ人間に思えてくる。
ホントはあの人が、並の人間じゃない、とんでもない人なんであって、
だから、偉業を成し遂げたんだろうけど、
でも、同じ人間、同年代。
あんまり引き離されるのも、オモシロくない。
オモシロくないから、じゃぁオレも頑張る。

2004.10.02 (sat)
その差は、どんどん開いていく。
時間が経つほどに、大きくなり続ける。
本を読む人と、読まない人の差は、どんどん開く。
ジョギングをする人と、しない人の差は、どんどん開いていく。
健康に気を使う人と、そうでない人ととの差は、どんどん開いていく。
学習をする人と、学習しない人の差は、どんどん開いていく。
挑戦する人と、挑戦しない人との差は、どんどん開いていく。
変えようとしている人の人生と、変わってほしいと願っているだけの人の人生の違いは、
時間が経つほどに、大きくなり続ける。
今はまだ、少しの違いに見えていても、
やってる人とやってない人の距離は、樹木の枝のように、二股の道のように、
根元から離れるほど、別々の道を歩む。
向こうに行きたいと、目では追いながら、
足元は、楽な道へ誘い込まれているかも知れない。
もし、自分が意識せずに、知らず知らずのうちに、あちらの道へ入ってしまっていたら、
そいつぁ、不本意だ。
でも、そんな人の方が、世の中には、断然多いはずなのだ。
自分はどうだ?

2004.10.01 (fri)
「いつか僕が死ぬ時、遠くできれいな音が聴こえたらいいな」
佐野元春の歌の詞で、そんなような言葉があった。
なんて素敵な、そして的を得たことをいう人だ、と、それはずっと心に留まっていた。
僕も死ぬ時には、ぜひとも、そんなふうに死にたい。
それは何の音だろう?
鈴のような音、美しいソプラノ、鳥のさえずり、したたる水滴の弾ける音、
なにか、高く澄んだ音や声、そんな感じがする。
この世から意識が遠のく、まどろみの一瞬に、
そんな音を片隅の意識で感じながら、スーと落ちていけたら、
最高に幸せな終わり方だな。
そして今日、ふと思いついた。
「死ぬ瞬間に、素敵な香りがフワッとしたら、それはもっといいな」
遠のく意識の中、聴こえたきれいな音が、かすかになりかけた時、
フワッと、満ち足りた豊かな香りに包まれて、終わる。
あぁ、それはいいなぁ。
この世とのお別れにふさわしい、これは生涯最高の幸福の瞬間じゃないか。
今日、新しいコーヒー豆の袋を空けた瞬間、僕はそんなことを思い付いた。
挽きたての豆の、すこし湿った、香ばしくて甘い香り。
誰か、僕のことを看とる時には、
ぜひともコーヒー豆の入っていた袋を、持ってきてください。
豆はいいです。捨てちゃう前のその袋で、充分でございます。

さて、9月のDailyはこちらか、
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