Daily・・・日々雑感

2004.05.31 (mon)
テレビを見なくなったら、なんだか自分が楽になった。
社会の動きを知りたければ、新聞でも充分。
朝はラジオでNHKをつけているので、ニュースもわかる。
悲惨な出来事も、腹立たしい事も、天気予報と同じように、淡々と読み上げられるだけのラジオのニュースは、悪くない。
テレビは、人の心をもてあそぶのが上手すぎるなぁ。
ボーっと画面を眺めているだけなのに、感情の部分を勝手にいじられる。
『知る』ことで『不愉快』になる事が、とても多かった。
それでも見てしまっていたのは、『知る』ことは良い事で、ひとつ新しい事を『知る』ことは、ひとつ自分が成長したことなのだ、
そんな風に勝手に思い込んでいたことによる。
『物知り』は一般的に誉め言葉で、『知』の量は、多けりゃ多いほど良い。そんな価値観が定着している気がする。
『知らない』という言葉は、「え〜、そんな事も知らないの?」という、主にネガティブな意味になってしまっている。
でも思うのだ。知らなくたって良い事の方が多いんじゃないか?
総理大臣が年金を払ってなくたって、そんなの僕の生活には関係ない。
総理大臣には、居心地のいい日本を作ってもらいたい、そこを期待するだけだ。
拉致家族の日本名が何だろうが、米軍がイラクで何をしていようが、今年の長者番付も、
僕のすがすがしい毎日とは、まったく関係ない。
『知らない』という言葉を、動詞として積極的に使う。
知ってもいい、知らなくてもいい事に、『知らない』という選択をする。
『知る権利』という言葉があるけど、『知る義務』でもあるかのように、
どこかの誰かの不幸な出来事、腹立たしい事、価値観の歪みを、毎日追っ掛けていたってなんにも意味がない。
僕の社会的な役割は、設計屋として良い建築を作ることだし、
父親としてコドモをしっかりした人間に育てることだし、
自分自身が、毎日おもしろおかしく、心の満たされる、健康で健全な心身でいられたなら、それでいいのだ。
シューキョーでもテツガクでもなくて、コンセントを1本抜くだけで、僕は楽になれちゃったよ。

2004.05.30 (sun)
粉ミルクで育てている人って大変よね。
ウチは母乳がよく出てくれるから、ありがたいわ。
だってねぇ、買いに行くのもめんどくさいし、置き場所にも困るし、お金もかかるし。
うちは、大人の食べる食品は、カミさんの体を通り、母乳になってコドモの体に入っていくから、
という口実で、ちょっと高くても無農薬の野菜、ちょっと高くても保存料を使っていないハム、ちょっと高くても・・・。
何でもかんでも、ちょっといいモノを大人が食べられるわけです。コドモのことをダシにして。
コドモさまさまだわね。

2004.05.29 (sat)
さて、メガネの続き。
むかしは、デザインの素敵なフレームは高かった。
気に入るフレームが見つからないが、メガネは作り直さなきゃいけない時期だし・・・
そういうときに、おすすめの方法。
メガネ屋さんで、適当な縁なしフレームのやつで作ってもらって、
あとは、自分でレンズを削って好きなデザインに作り替えちゃう。そういう方法もある。
(「不器用には自信があるわ」そういう人はやめた方が良いです。残念ですが。)
ネジをまわして、レンズとフレームとをバラし、あとはレンズを好きなように紙ヤスリで削っていくだけ。
荒めの紙ヤスリで形ができたら、徐々に紙ヤスリの目の細かいもので、仕上げていく。
この時、レンズの表面に絶対に傷を付けないように、気をつけながら。
最終的には1000番の紙ヤスリで、水をつけながら磨く。
レンズの断面をつや消しにしたければ、このままでも良いし、
ツヤを出したければ、ティッシュペーパーにハミガキ粉をつけて、キュッキュッと磨けば、ピカピカになる。
(この方法は、傷の付いてしまったCDをよみがえらせる時にも有効)
まぁ、そんな方法もありますので、気に入るフレームが見つからないよ、というかたは、試してみてはいかがでしょうか?
もちろん、失敗しても、自己責任でね。


2004.05.28 (fri)
敷地調査からの帰り、吉祥寺でぶらっとメガネ屋のハッチというところに寄ってみた。
レンズつきで5000円から、そういうメガネ屋さんなんだけど、
デザインは結構いいのよね。種類も豊富で、しかも安い。
子供の頃からメガネの僕には、デザインが素敵で、自分の顔にも似合って、掛け心地が良くて、
そういうフレームを探すのは、ホント苦労してきたんだけど、今はいい時代だねぇ。
近眼も相当キツイからさ、いつもレンズは、その時発売されている中で、いちばんイイやつ(高いやつ)を使わざるえなくて、
メガネ作るったら5・6万円は掛かるもの、そういうものだと思っていたけど。今はイイ時代だね。
今まで使っていたメガネのレンズの表面のコーティングが、最近ボロボロ取れてきちゃって、
先日いつものメガネ屋さん(ココだって『半額』がウリのお店なんだけど)に持ってったら、
35000円かかるって言われて、う〜ん、悩んでいたんだけど、
このハッチという店で聞いてみたら、同じランクのレンズに、1万円ちょっとで入れ換えられるという。
え??なんでそんなに安いの?そんならお願いしちゃお。ホント、今まで払ってきたお金は何だったんだろう・・・
さて、その帰り、無印良品に寄っってみたら、こちらにもメガネコーナーが出来ていた。
しかもね、フレームのデザインが、どの商品見ても素敵なんだよ。
さすが無印。洗練させてくるね。
で、値段も安いの。レンズ付きで1万円。薄いレンズで作ってもらっても、1万5千円。
うーん、もう一本作っちゃおうかしら、って思っちゃうよね。
いやぁ、いい時代だわ。ホント。
ウチのオヤジにも教えてあげようっと。

2004.05.27 (thu)
医者ってホントに儲かるのかなぁ。
きのう眼科でメガネを作るための検眼をして、今日はコンタクトレンズを作るための検眼。
昨日も今日も、2時間ずつくらい時間をかけて、しっかり検眼してくれるんだよね。
これだけしっかり診てもらえると、もう街のコンタクト屋とかメガネ屋で検眼して買うなんて、
考えられなくなってくる。
そんだけしっかりやってくれて、診療費は600円くらい。(初診料がつくと2千円くらい)
健康保険で3割負担だから、診療所に入る報酬はその3倍ちょっとで、2000円程度でしょ。
2時間かけて色々検査してもらって、(そりゃ待ち時間もあるけれども)、2000円じゃ、いくらも儲からんよね。
医者=金持ち、ってステレオタイプに思ってしまっていたけど、よくよく考えると、そうでもないのかも。
(診療報酬以外のところでの収入も、あるのかもしれないけど。)
みんな、がんばって稼いで、生きてんだよなぁ。

2004.05.26 (wed)
指先のやけどが、水ぶくれになっったので、
皮をむいて、真っ赤な痛々しい傷口に、絆創膏を巻いておいた。
一日経って、絆創膏を張り替えようとすると、あ゛ぁぁああ!!!激痛!!
傷口と絆創膏がピッタリ一体化している。
お湯に漬けても・・・あ゛ぁぁああ!はがれない。
♪絆創膏は、指の いちぶぅ〜です♪
もう、困ったなぁ。
一生、指先に絆創膏つけて生きていくのかなぁ・・・

2004.05.25 (tue)
先日提出したコンペ、17名の建築家からの参加があり、
その中から絞り込まれた4名が、先方と直接面談をすることになっている。
今日、僕がその4名に選ばれている、との知らせが来た。
ヤッホー!うれしな♪
よし!俄然やる気がみなぎってきましたよ!!
面談の日まで、できる限りの準備をしていこう。後悔しないようにね。
『コンぺ』って競争だから、みんなの中で1番にならなくちゃいけないんだけど、
ホントなら「よし、勝つぞぉ!」って思わなきゃいけないんだけど、不思議と、全然そういう気持ちは湧いてこないのよね。
もともと競争嫌いなもので、勝った、負けたで物事を判断する気はサラサラ無いっていうか。
いちばん厳しい審査員は、たぶん自分の中にいるんです。いやいや、カッコつけてる訳じゃなくて。
我慢ができなくなるんです、自分が。ハンパなモノだと。
だから、自分が納得できるまで、打ち込まないと気が済まない。
気が済むまでやってしまえば、他人がそれをどう評価しようと、そんなに気にならない。
セルフィッシュだよねぇ・・・。
いっとき、勝ち組・負け組、そんな言葉が流行ったけど、
どこかの誰かのモノサシで、自分を計るしかないなんて、かわいそうな人達だな・・・と思った。
まぁそんな須永でも、普段『自分の中の自分』との対話を大事にしている分だけ、
同時に『社会性』のことも、すごく、すんごく意識しているんですけどね。

2004.05.24 (mon)
イス買っちゃった♪
yahooのオークション見てて、「おっ!カッコいいじゃん!ん?1000円、誰も入札してない?」
まぁ最後には、他にも入札する人がいて、結局、4800円で落札。
ヤコブセンっぽいデザインだなぁ・・・と思っていて、調べてみたら、デンマークのサイトで見つかった。
やっぱりヤコブセン(あの、アリンコチェアの人)でした。
『3103』って型番なんだって。価格は・・・DKK2800。ってなんだ??
えー、調べてビックリです。日本円で17万円・・・。
まぁ、買ったのは中古品だからね。いくらなんでもそんなにしないハズだけど。
一瞬、「て、転売しちゃおうか・・・」と、悪魔が降りてきた。
いやいや、売りませんよ。お得なお買い物って嬉しいもんね♪
この運を大事に。

2004.05.23 (sun)
森に浮かぶ家ですが、あと一ヶ月ほどで、いよいよ完成になります。
今回も、建て主さんのご好意により、オープンハウスを開催できそうです。
場所はJR中央線の武蔵境駅から、緑道沿いに歩いて10分ほどのところ。
日時が決まり次第、IndexDailyのページでお知らせしますが、
突然決まって、開催まであまり日がない、という場合もあるかもしれません。
「ホームページじゃ、見逃しちゃうかもしれないなぁ」とご心配のかたなど、
こちらまで、前もってメールでご連絡くだされば、直接ご案内をさし上げます。
「アイツならきっとウチにも連絡くれるだろう」と思っていると、あんがいアブナイです。
竣工間際はバタバタ慌しかったり、徹夜で準備していたり、頭のネジの2・3本は平気で外れています。
僕のウッカリを防ぐためにも、一声かけておいていただけると幸いです。
自信作ですので、1人でも多くのかたに、体験していただきたいと思っています。
ご家族・お友達お誘い合わせの上、渡辺篤史になったつもりで、ぜひ遊びにいらしてください。
(カミさんのお友達の方へ:当日はカミさんとコドモも現場に居る予定です)

2004.05.22 (sat)
2週間ぶりにテレビを見ました。
今日は僕の父の還暦祝いで、ウチで両親と会食。
ウチに着くなり父は、「テレビ、テレビは?相撲どうなったかな?拉致家族帰ってきた?おい、ちょっと、テレビつけてくれよ!」
・・・・・・。
きっと今日は、日本中の茶の間で、「あ、このコ、地村さんの?似てるわね。こっちの人は?あぁ、お母さんとそっくりだわ」
って、やってたんだろうな・・・
親戚でもなんでもないのにね。
ええ、ウチもそうですよ。やってました。恥ずかしながら。
今日、しっかりと認識しました。
僕は、テレビが嫌いなわけじゃなくて、むしろテレビは大好きで、
テレビに反応してる時の自分が嫌いなんだな。

2004.05.21 (fri)
このところ低周波治療器を首に貼り付けて、コンピューターに向かって、図面を描いている。
低周波治療器、あの体に電気を流して「ビクン、ビクン」って、筋肉のコリをとるというアレ。
「ジジイみたいだなぁ・・・」と思いながら、ふと、カガミに映った自分の姿、
「お!あんがいカッコイイかもしんない。iPodみたいじゃん。」
試しに治療器を片手に握って、あのCMみたいに踊ってみた。
「うーん、首から垂れ下がる白いコードが揺れてますますいいじゃないか」
調子付いて、もっと激しくカガミの前で踊っていると、
カミさんがうしろの方を、「相変わらずバカね・・・」という顔をして通り過ぎていった。
「ビクン、ビクン、ビクン、ビクン・・・」

2004.05.20 (thu)
「塗っちゃいけないところを、塗っちゃってる・・・・」
現場に行って、目がテン。(・o・)
塗装屋さんが間違っちゃったみたい。
杉板に色を染めちゃっているから、元には戻らない。壊して張り替えてもらうしかない。
僕はパニック、監督さんは焦ってる。
どうしたもんか、どうしたもんか、どうしたもんか、どうしたもんか、どうしたもんか・・・
「検討するから、これ以上手をつけないで、止めておいて。」と言い残し、事務所に戻る。
帰り道、自転車に乗りながら、あーしたらどうか?こーしたらどうか?頭の中でグルグル策を巡らすうち、
「むしろ・・・全部塗っちゃった方が、いいかもしんない。」と思いはじめた。
考えれば考えるほど、全部塗る方が、元々のイメージよりも良くなっていく。ずっと良くなっていく。
結果論だけど、この事件に関して言えば、間違ってくれちゃった事が、プラスに転じたようだ。
思ってもいなかったことが起って、それがむしろ、僕の想像の壁を取り払ってくれた。
こういう時は嬉しい。
アクシデントが起った時、現場で僕は「まずよそれ!」とは顔をしかめるのだが、もう1人の僕は、じつは「どうする?どうする♪」と楽しんでいるかもしれない。
まぁ、バラして作り直してもらう、という選択をせざる得ない時もあるんだけどね。
間違っちゃったけど、でもいつも一生懸命やってくれてる工務店の姿を見ていると、そういう決断をする時は、ホントは苦しい。
だから二重によかったよ、今回は♪

2004.05.19 (wed)
ここ数日、僕の母がウチに来て、家事を手伝ってくれたり、コドモの相手をしてくれたりしている。
手があいている間は、ずーとコドモを抱いて、眠ってしまうまで、笑顔で話しかけてくれている。
今日はお風呂にいれるのも手伝ってくれて、母と僕とでコドモをお風呂に入れた。
「よしよし、きもちいねぇ、ハイお目メつぶって・・・」母は僕のコドモに絶えず語りかけ、微笑みかけ、
本当に良く可愛がってくれる。
このお母さんは、きっと、赤んぼだった僕の事を、28年前にもこんな風にして、とてもとても可愛がってくれていたのだろうな・・・
ピンクのベビーバスに浮かんでいる僕のコドモと、腕をまくり腰をかがめコドモの体を支えているやさしい笑顔の僕の母。
一瞬、狭いバスルームの中が、タイムマシーンになってしまったような気がして、
「ん??風呂に入れられているこの子は、・・・オレ自身か?」
ヘンな錯覚を覚えた。
母がいて、僕がいて、コドモがいる。
母が、父が、僕のコドモをあやす姿、ほお擦りする姿。
いままで僕が見たこともないような、とろけそうな笑顔。
そうか、僕もこんな風にかわいがってもらっていたはずなんだ。
きっと、間違いなく。
これは、今まで感じたことのなかった種類の、感謝の気持ち。

2004.05.18 (tue)
そうだ、忘れていた。
↓の方にある『もこ』のイラストは一体なんなのか。
これは、その友人が遊びに来てくれて、「赤ちゃんにプレゼント」ってくれた本なのです。
が、このプレゼントにいちばん喜んだのは、おとうさんでした。
いやぁ、ちょうど欲しかったんですよ。
赤ちゃんに読み聞かせたら、それはそれで喜ぶ。
目を丸くして、ジッと絵に見入って、ページをめくるごと、反応がある。
そういう、面白い本なんだけど。
おとうさんにとってもね、この本はタマラナイのです。
ストーリー展開が斬新で。
感覚的な部分をグッとわしづかみにされ、展開に引き付けられっ放しになって、
ある時ふと、笑ったり驚いたり、ページをめくるごと、子供と同じように反応している自分の顔に気が付く。
奥のほうに閉じ込められていた、自分の中のコドモ(っぽさじゃなくて、正真正銘のコドモ)が、
この本を読んでいると、いちばん手前の主役のところにやってくる。
ガンダムやドラえもんを、体中・心中でワクワクドキドキしていた時の自分が、同じように今ここにいいる。そんなかんじ。
一言でいえば、『大人が子供になれる本』なんだろうけど、そう表現すると安っぽくなっちゃうんだよな。
コトバは難しいなぁ。
この本は、谷川俊太郎と元永定正の『もこもこもこ』という絵本です。

2004.05.17 (mon)
「夏至の夜に、みんなでいっせいに電気を消してみよう」、というイベント、
100万人のキャンドルナイトが今年もあるようだ。
昨年はカウントダウンとともに、東京タワーの明りが消され、何ともいえない感慨を味わうことができた。
東京タワーの下、増上寺の境内では、闇の中、ロウソクの揺らめく明りのもとで、
詩の朗読や打楽器のアンビエントな演奏が行われ、幻想的で、人の身の丈に合った緩やかな夜の時間が流れた。
基本的に電気を消しましょう、というイベントだと思うのだが、
ロウソクを点けましょう、と勘違いしている若者もけっこういて、
持ち込んだ大量のロウソクに火をつけ、異常な熱と、異臭を放っているグループもあった。
確かに、ビジュアル的には、たくさんのロウソクに火がつき揺らめく光景は、実に幻想的で、キレイである。
夜のニュースショーの取材陣もこぞって、大量のロウソクに火をともすグループに、カメラを向けいていたのだが、
ちょっと違うんじゃない?疑問も感じた。
まぁ、キレイだし、それぞれに楽しみ方があって良いんだろうけどさ。
ただ、クッサイのよ!すんごく。それはね、ちょっと、迷惑だった。
しかし、昔の人はよくこんな臭い灯りのもとで、食事ができたものだ。なんか、体には悪そうよ。
まぁ、なんにせよ、『消す』という引き算のイベントが成立したってことは素晴らしかったね。
みんなの、「ホントは持ってるそういう気持ち」が、お互いに確認できたという事が、心に温かいイベントでした。
今年も楽しみにしています。興味のあるかたはぜひ!

2004.05.16 (sun)
朝起きると、首は案の定、更に悪くなっていた。
起き上がろうとすると、ズキーン!と痛みが走る。
「わかった。起きなきゃいいんだ。」と、また寝てしまった。
イイじゃないか、世間は日曜日。僕も今日は休む事にした。
12時間睡眠の後、午後から接骨院に行くと、
「だからね、言ったでしょぉ。カッコつけないで包帯巻いてきゃ良かったんだよ。
まぁ、これに懲りて学習してね」と言われてしまった。
はい。学習しました。
帰宅後、インターネットでほぼ日智慧の実2のストリーミング放送を見る。
ところで、アタマって重いのねぇ。
首がダメになって力がない時には、痛感するわ。
夕飯を食べている頃には、
首が、「もうムリ、これ以上支えてられないよ、ホント、もう寝っ転がってよムリムリムリぃ!」
と、叫びをあげはじめた。
今まで気が付かなかったけど、首ってこんなに頑張ってたのね。
立ってる時も座ってる時も、首が真っ直ぐ起き上がっているというのは、
常に首がグッと力をかけて、持ち上げてくれてるんだもんね。
わかったよ、首さん、今日はもう横になってあげるよ。
なんせ12時間寝てしまったから、全然ねむたくならないんだけどさ。

2004.05.15 (sat)
首が動かなくなってしまった。
コドモの「遊んでくれよぉ」の泣き声で目を覚まし、寝ぼけたまま、抱いて揺すってそのうち寝付いて、
よしよし、とベッドに降ろした直後、首の左側に刺すような痛み。
思えば、産まれてもうすぐ3ヶ月、コドモの体重は2倍になり現在5kg。
ウチは甘やかして育てているから、泣けばすぐ抱っこ。(いいの、理由はちゃんとあるんだから)
片腕で抱いて、床のモップ掛けをしたり、ごはんを食べたり、キーボードを叩いたり。
右手を自由にするために、必ず左腕で抱っこをしていたこの3ヶ月。
筋肉の疲労の溜まり方は、極端にバランスが悪かったはずだ。
振り返ってみれば、当然の結果かもしれない。
そんなんで、久しぶりに接骨院へ。
「どうもぉ!いやぁ、このところ健康だったもんで、なかなか顔を出せなくて、ご無沙汰してますぅ」
間抜けな挨拶をしてしまったものだ。
ここの先生、趣味でジャズフルートをやっている先生で、なかなかオモシロイ。
治療より長いトークで盛り上がったあと、
「首、包帯巻いておこうか?」と言われたのだが、午後から打合せが入っていたので、巻かないでもらった。
が、これがまずかった。
日が暮れた頃、打ち合わせが終わり、肌寒い中を自転車で風を切って帰宅。
首が冷えて重く感じられたが、気にせずコドモとお風呂に入り、
コドモを洗ったりしている間に、濡れた僕の首は更に冷えてしまい悪化。
首に鉄の芯棒が刺さっているような、鈍くて重い痛み。
加えて頭痛までし始めた。
こりゃ、またあした接骨院行かなくちゃだな・・・
包帯巻いてもらっておくべきだった。

2004.05.14 (fri)
「・・・腹心の友より。」
必ずこの言葉で、手紙を締めくくる友人がいる。
これは僕の友人ではなくて、カミさんの友人なのだが、いつも「いいなぁ」と思っている。
「おぉ!心の友よ」はジャイアンの野比太へのお決まりのセリフだが、
『心の・・・』と言ったとき、どうも信じきれない、自分に都合が良いとこだけ頂きたいわ、
という感じがして、なんか怪しい相手、と逆に勘ぐってしまったりするが、
しかしそこに、『腹』が付くだけで、意味はまったく変わる。
腹を割って話す、腹黒い、腹を決める、腹を切る、
心は、なんかあやふやなものだけれど、『腹』って言われると気持ちがいい。
「腹心の友」、正々堂々と、そう言い放ってくれる友人がいるというのは、強いなぁと、いつも思っています。

2004.05.13 (thu)
いつも僕の仕事は期日ギリギリ。
明日はコンペの締切日。やっぱりギリギリの提出になりそうだ。
「心がけが悪い」と言われてしまえばその通りかもしれない。
仕事は余裕をもって締め切りに間に合うようにやるのが、正しいあり方だと、自分でもそう思う。
でも、できないんだなぁ・・・
しかも、できる時でも、やらないんだなぁ・・・
作業が締切日前に終わっていても、「もっと良くする方法があるんじゃないか?」ってずっと考えてしまう。
考えていると、ある時もっと良い方法を思いついてしまったりする。
そうすると・・・やっぱり締切日ギリギリまで手を掛ける事になる。
仕事の最初の段階、アイデアを産む作業の時点で、「もっと良くするには・・・」って、これをやっていると、
ハタから見ると、「ダラダラ無為な時間を過ごし、締め切り間際に慌てて作業を始める、キリギリスさん」に映るらしい。
今まで何度も、「ヤバイ、今回はホントに間に合わないかも・・・」と青ざめながらも、
「ギリギリで・・・間に合いあいませんでした」というダメは1度もしていない。
毎度毎度、すごい緊張感だなぁ、締め切り最後の1日は。

2004.05.12 (wed)
文章を書くのが苦手なんですよねぇ・・・。
苦手なんですが、それでもなんとか読んでもらえるように、いくつか心がけていることがあります。
読みやすく、伝わりやすい文章にするために、具体的に言うと、
『一行目は、説明よりインパクト』
「ん?なんの話だろう?」と興味をもってもらえるような書き出しです。
Dailyには、会話の断片から始まる文章が多いのも、このためです。
また、『説明は後回し、いきなり結論を言っちゃう』というのもあります。
まどろっこしい説明は省いて、興味をもってもらってから、述べるようにします。
あとは、表記上の、誰もが注意している事だとは思いますが、
『漢字の単語が2つ以上つながらないようにする。』『、(てん)をこまめに打つ。』
『読んでリズミカルな文章』、『画数の多い漢字は使わない』
『否定の言葉は、ひらがなで』(「無い」と書くとちょっとキツい感じだけど、「ない」と書くと、やわらかい感じがしません?)
『カタカナで、意味より雰囲気を伝えよう』
『ついでに、知らない漢字もカタカナでごまかしちゃおう』
そして最後はもう、『あきらめて写真に頼る。』これしかない!

2004.05.11 (tue)
森に浮かぶ家が、もうあと1ヶ月半で完成します。
現場には様々な職方さんが入り、活気が出てきました。
現場は緑道に面していて、近所の人の散歩コースでもあるようで、
時々、道行く人から、「ぉお!かぁっこいい家だなぁー」という声が聞こえてきます。
嬉しいですね。足場パイプと緑のネットで囲われていて、まだまだ工事現場で、完成形は見えてないのに、そう言ってもらえると。
つい「ハイハイ!私が設計しましたよ!」と手を上げたくなってしまいます。
完成が待ち遠しいなぁ。
建築屋さんは幸せですよね。
いちばんの宣伝材料である『実物』が、いつでもそこに建っていてくれて、看板代わりになってしまうのですから。

2004.05.10 (mon)
稀にみる素晴らしい人がやってきた。
カミさんの知人で、僕は初めて会うかた。
どんなふうに素晴らしいのか、伝わるように書かなきゃ、と思うのだけど、
一生懸命に書けば書くほど、逆に伝わりにくいものになってしまうのです。
ウソ臭くなるというか、宗教じみてくるというか。
なので結局、ココに具体的には書かないことにしました。(技量のなさに無念。)
牧師さんや神父さんやお坊さんや神主さんなんかで、
「なんて人間ができてる人なんだろう・・・」ってかたが時々いらっしゃいますが、あんな感じです。
見習おうにも、いったい何から見習ったらよいのか、というほど自分とは差がありすぎるのですが、
せめて努力で追いつけるところだけでも、真似させてもらおう、と思うのです。

2004.05.09 (sun)
本日より、我が家ではテレビを使わないことになった。
小学生時代、『テレビは1日1時間』と親から決められていたのだが、毎日毎日言い付けを破り、
親の目を盗んでは、2時間3時間と、テレビにかじり付く、典型的なテレビっ子だった。
しかしある日、堪忍袋の緒が切れた父に、テレビのコンセントケーブルをハサミでチョキンと切られてしまった。
が、テレビっ子はそんな事ではめげずに、小学3年生の僕は自力でコンセントプラグをつなぎ直し、その後も平然とテレビ三昧の日々を送った。
そんな当時、世の中では、秋篠宮さまの御成婚フィーバーがあった。
騒ぎ立てるワイドショーの報道で知ったのは、「紀子さまのお父さんは大学教授で、家にはテレビが無いらしい」。
この事は、バリバリのテレビっ子だった僕には大きなショックだった。
そのショックが何であったのか、当時は自覚していなかったが、それはいま思えば嫉妬だったような気がする。
高度経済成長からバブルへと、「モノを持っていることが豊か」だと、多くの人が思い込み、
『テレビは一家に1台から1人1台』なんて言われ始めた時代に、
「ウチにはテレビはありませんので」と、サラッと、言われてしまったあのショックは、
『無い』ことで逆に、俗世間の安っぽい価値観との違いを見せつけられてしまった。そんな気がしたのかもしれない。
今では僕も、子供の頃と比べれば、テレビは全然見ていない方ではある。
毎日は忙しい。
が、いまだに、「テレビは・・・好きだけど、嫌い」。
素直になれない自分がいる・・・。
なんだか煮え切らないのも、気持ちが悪いし、
テレビのおかげで、あわただしい毎日が、より息苦しくなっているようにも感じる。
コドモが成長すれば、チャンネル争いや、時間制限など、メンドクサイ問題も起こりそうだし・・・ええいっ!!
そんな訳で、ウチでは基本的にテレビは見ない事になりました。
ん?『基本的』?
えぇ〜と、見ないからと言って、せっかく持っているテレビを捨てたりはしません。
液晶テレビは長寿命だそうですし、
名作映画なんかは、やっぱり見たいときもあります。
レンタルビデオも借りたいですし、持っているストーンズやクラプトンのビデオなんかもあるわけです。
地上波のテレビ番組でも、時々、稀に、どうしても見たい番組はあります。
ですので、テレビもビデオデッキも捨てないで、
どうしても見たいテレビ番組があれば、それはビデオに録画して、自分のタイミングで見る。ことにしました。
えっ?それじゃ、潔くない?
まぁまぁ、所詮、庶民ですから。ワタシ。
根が俗な価値観ですから、ね。当面はこの程度にさせておいてくださいな。

2004.05.08 (sat)
夜、ともだちのLIVEを聴きに阿佐ヶ谷へ。
古い木造モルタル塗りの住宅を改装した飲み屋がギッシリ建ち並ぶ路地の一角、
うっかり見落としてしまいそうな、小さなライブハウス。
場末のバーのような狭くて急な階段を上がり、扉を開けたとたん、オドロイタ!
満員電車よりも狭い、路線バスくらいの店内に、人がウジャウジャ、呼吸困難。
ダンボール箱を開けると、ミカンがギッシリ入っているように、
ライブハウスの扉を開けたら、ぎっしりヒトの詰め合わせ。
突然の出来事に、扉を閉めて後ずさりしそうになった。
店内が異常に狭い。巾2.5m、奥行きは8mくらいだろうか。
しょんべん横丁の一杯飲み屋とか、カウンター席しかないバー、あれくらいの狭さ。
お店をやるのに、『これ以上狭かったら、むりっ!』って限界のサイズ。
なのにライブハウス・・・。
こんなに息苦しいのに、お客さんはみんな楽しそう。
そうそう、ビールが飲めて、音楽が聴けてりゃ、人生はハッピーじゃないか。
そんな、Bluesのお店でした。

2004.05.07 (fri)
ともだちのともだちはみなともだち。
というわけで、ともだちのともだちが、タイルの卸し屋さんで、
なんでも相談に乗るよ、オモシロい種類のも持ってるよ、普通のルートで仕入れるより、安く出せるよ。
そんな話しがあったので、会ってきた。
イタリアやポルトガルから輸入していて、日本国内での卸しをしているというだけあって確かに安い。
彼も真面目でいい人なので、今後うまく絡んでいけたら良いなと思う。
ともだちと、ともだちのともだちと、3人で軽く飲み、軽くバカ話をして、楽しんできました。
ちなみに連絡先はこちらです。→(ガイアコーポレーション・03-3295-6410・担当梅田くん)

2004.05.06 (thu)
さて、連休中につくっていたWorksのページを、更新しました。
昨年末に完成し、みなさまにもオープンハウスで見に来ていただいた住宅を、追加しています。
『(墓)地と空』改め『HAKA to SORA』という住宅です。
小さい画像をクリックすると、大きい画像が現れます。
作品名をクリックすると、この住宅のコンセプトがご覧いただけます。
どうでしょう?読んでみて設計意図は伝わりますでしょうか?
カミさんからは「よくこんなクサいこと書けるねぇ」と言われてしまいました。
本人は、あくまで説明文に徹して、まじめに一生懸命、書いたつもりなのですが・・・。
感想などいただけると、とっても嬉しく思います。
忌憚のないご意見、ぜひぜひ、よろしくお願いいたします。

2004.05.05 (wed)
ウレシイナったら、ウレシイナ♪
きのうベビーカーを買ってきたよ。
ベビーザらスで1万円。
嬉しいからすぐに使いたかったんだよ。
折りたたんでも、あんまり小さくならないけど、そんなに軽くもないけど、
でもいいんだぁ。
タイヤが大きいからガタガタしにくいし、フレームが太いから安定感があるし、イタリアのモノだけあって、カッコイイし。
なんたって1万円の格安だったし。浮いたお金で、欲しかった食器セットも買っちゃおうっと。
さて、雨あがり、肌寒いけどそれでもお散歩に。
ウチの近所は樹齢100年を超える木がたくさん茂っている。
コドモにとっては、初めて目にする緑のトンネル。
興味深そうに、ずぅっとキョロキョロ見わたしている。そうだよね、ウチの天井はもう見飽きたね。
小一時間の散歩で、僕らもリフレッシュ。そうそう、たまには僕らだって気分転換しなくっちゃ。

2004.05.04 (tue)
人生は、想像以上に短い。
コドモが産まれて、その短さがリアルに実感できるようになってしまいました。
産まれてから、寿命で死ぬまで、人生は3つに分けられそうだな、と最近感じています。
自分がオギャァと産まれて今まで、一応いっちょまえになるまでを1廻し、
自分のコドモが産まれて、その子が親になるまで付き合うのを1廻し、
孫が産まれて、自分の人生が終わるまでを1廻し、
そうやって、3つに。
そうすると、僕は今2廻し目に入ったところ。
かつての僕の1廻し目の時期は、同時に、僕の親の2回し目とカブっていたわけで、
僕は親のそれを観察しながら育ちましたから、2廻し目の人生ってのが、どんなモノだかは、
なんとなくは、わかってしまっているんですね。(生意気な意味じゃなくて)
自分が産まれて今まで、1廻し目の人生で、けっこう色んな事があり、
これから先の人生にも、今までよりずっとたくさんの、50年という無限に近い時間と、可能性があるような気がしていましたが、
今、自分が2廻し目の最初の方にいるのだと、自分の位置に気が付いてしまったおかげで、
人生のボリューム、というものが、測れてしまった感じがします。
ただ、それが悲しいとか、焦るとか、そこまでの感覚はまだ無くて、
ただ、「あぁ必ず僕も死ぬんだなぁ・・・」という、客観的な視点に気が付いたというだけです。
ずっと祖父母とも同居していた、という人は、また違う感覚を持つのかもしれませんね。
死ぬまでに、僕には何ができるかなぁ?

2004.05.03 (mon)
そうか、今日は憲法記念日だ。
じつは最近まで、『憲法』の意味がわかっていませんでした。
中学校でも高校でも習っていたのにね。
じゃぁ、何を最近「わかった!」のかいうと、(冒険としての社会科学/橋爪大三郎:著より)
----なら憲法は、誰から誰にあてた語りかけなのだろうか?
民衆(われわれみんな)が、支配者(国家権力)に向かって、これだけは絶対守って欲しい、と要求を出す。
合意ができたら、うやむやにされないように、きちんと約束(契約)しておく。
それを書きとめた文章。これが憲法なのだ。
だから、憲法を守るよう命じられているのは、支配者(国王や国家権力)である。民衆ではない。
支配者が憲法を無視して勝手なことをすれば、憲法違反である。
これに対し、民衆はそもそも“憲法に違反する”はずがない。
あなたはなにをやっても、憲法に違反できないのである。(法律には違反できます)----
という事なのだ。
「憲法は、一般市民が支配者に守らせるもの」で、
「法律は、憲法を具体化するために作った規則で、みんなが守るもの」だって。
そうだったのかぁ!、この原則を僕は習った記憶がないぞ。
憲法も法律も、お上が決めて、「下々の者、守りなさいよ」というモノのような気がしていたよ。
「そりゃぁオマエ、常識が無さ過ぎるよ」と言われるかもしれないのを覚悟で、無知を晒しちゃいましたけど。
あらたまって「憲法ってなに?」って訊かれたら、うまく説明できないなぁ・・・
そんなかたは、この本ぜひお勧めです。
憲法のほかにも、ローマ教会とかマルクス主義とか、
歴史のなかの「哲学と宗教と政治のカラミ」も、すごくわかりやすく書いてある本です。

2004.05.02 (sun)
「どうして、作ってないのに、ごはんが出てくるの??」
少女の頭の中は?でいっぱい。
今日は富山から友人ファミリーが遊びに来てくれた。
友人と奥さんと4歳の娘。
お昼ごはんでも食べようかと、近くの中華屋さんに出前を頼み20分後「おまちどうさまぁ!」
テーブルに一瞬にして、料理の数々が並んだものだから驚いた。
「今までみんなでお話してて、作ってなかったのに??」
なんでも、出前というシステムは富山の彼らの住んでいる地域には無いのだそうだ。
そうかぁ・・・。考えてみりゃ、そうだよねぇ。都市部だから、できるサービスだよねぇ。
「え?出前って、そっちには無いの??」少女の驚きに、こんどは僕らが驚いた。

2004.05.01 (sat)
現場をまわって、夜は研究会へ。
夜中、研究会からの帰りに、カップ焼きそばのソース味と塩味、ポテトチップス、コーラ、を買って帰ってきた。
普段は、無農薬野菜をつかったり、薄味に心がけていたり、夜ごはんは腹八分目にしたり、
健康的な食生活をしているのだが、時々、味の濃い味噌ラーメンが食べたくなったり、
マクドナルドのハンバーガーが食べたくなったり、体に悪いものを摂取したくなる瞬間がある。
思えば子供の頃、週に一度のおこづかい50円を握り締め、駄菓子に行くのも、土曜日の慣例だった。
真っ赤な液体に浸された、30円のすもも漬けが大好物だった。
あの毒々しい真っ赤な液体が、細いストローから、食堂→胃へと通過する時の、
何とも言えない胸焼けのような刺激と、キツイ酸味にむせ返らないようドキドキした緊張感。
仲間の中にはアレを最後まで飲み干せる人は、僕のほかにいなかったこともあり、
一息に最後まで飲みきった時のあの満足感と達成感は、何物にも替えがたいものだった。
今思えは、あんな奇妙な液体、飲まなかった友人達の方が正しいと思う。
そんな事を思い出しながら、深夜にカップ焼きそば2つをコーラで流し込んだ。
う〜ん、満足・・・というか、もう当分やめておこう、という気になった。

さて、4月のDailyはこちらか、
右のバックナンバーメニューからどうぞ。