Daily・・・日々雑感

2004.02.29 (sun)
以前、光風舎の吉原さん((墓)地と空で共同設計していただいた)に、
「赤ちゃんできたんですよ。お腹に」と話した時、
「コドモは自分で福を持って産まれてくるんだよ。須永君のウチにも福が来るね」と言って下さった事がありました。
それ以来、日に日に大きくなるカミさんのお腹を見るたびに、「あぁ福が大きく育ってるんだなぁ」と思っていました。
言葉の贈り物ができる人って、すごく素敵だなぁ。
ホント、このちっちゃな赤ちゃんは、幸せの結晶みたいな顔をしています。
親バカだって、なんだっていいや。
コイツを抱いてると、僕らは必ず幸せな人生を送れる、そう強く感じます。
こんなにもキレイな人間と、そいつをこんなにも、いとおしいと思える夫婦がいたら、世界中の幸せがウチに集まってきちゃうよ。
さぁがんばるぞ、とうちゃんは!

2004.02.28 (sat)
「ただもう胸がいっぱい」のどのアタリがいっぱいだったのか、ホントは書きたいのですが、
10時過ぎに病院から帰ってきて、夕飯作ったり、洗濯したり、洗い物したり、
この2日でたまった家事を片付けて、
カミさんに頼まれたものを準備して、明日の仕事の打ち合わせの準備をして、
メールの返事を書いたり(簡単でゴメン)、そんな事をしていたら、もう4時過ぎ、
あしたも大忙しだし、今日一日偏頭痛だったし、もう寝ないと。
でも、大切な事は書き残しておきたいんだけどぉ・・・
・・・・でも寝る。
僕はもう、ひとりの体じゃないのよ♪

2004.02.27 (fri)
AM3:00ころ、陣痛発生!
もうすぐタクシーがやってきます。
あぁ、えらいこちゃ。じゃ、いって来ます。AM4:52

(追記24:00)長い一日でした。取り急ぎ報告だけさせていただきます。
本日17時ごろ、2440gの女の子が、産まれました。
母子共に健康です!
書きたいこと、色々あるのだけど、色々ありすぎて、書けません。
ただもう、胸がいっぱいです。

2004.02.26 (thu)
あす金曜にテレビで、昔僕が勤めていたギターカンパニーが特集されるようだ。
高校卒業してすぐ、一番ナマイキな時期に勤めさせてもらったこともあり、ギターのことよりも、『大人の世の中』ってものをずいぶん教わりました。
先輩の皆さんに色々ご迷惑も掛けたなぁ。
「新人の根性試し」といわれる部署に配属されて、体がぶっ壊れるかと思うほどしんどい1年を過したなぁ。
社長からは「途中でねを上げるだろうから、そしたら別の部署に替えてあげるなり、サポートを入れるなりしようと思っていたんだけど。いやぁよく1年もったよねぇ」と、後から笑いながら知らされた。
きついけど、やりがいのある仕事でした。
そして、2年勤めて分かったのは、「一番好きなことは、仕事にしちゃいけない」という事。
で、建築に転向したわけですが、結局いまは「仕事が一番好きになっちゃった」わけです。
なんだかなぁ、ははは。
あぁそうか、もう10年も経つのか。4・5年前くらいのように感じるけど。早いなぁ・・・
人間ドキュメントという番組です、よかったら見てみてください。

2004.02.25 (wed)
時々忘れてしまうのですが、僕は建築設計屋さんです。
主に普通のかたからの、普通のおうちを設計しています。
でも、けっこういいものを設計しちゃう自負はあります。
お仕事の依頼はいつでも受け付けています。
僕のお仕事は建築の設計です。
エッセイストではないのでした。

2004.02.24 (tue)
どうも最近、小さな責任感のようなものを感じ始めている。
ここのページには、多少なりとも意味のあることを書かなきゃいけないような。
せっかく読みに来てくれるんだから、何某か持って帰っていただきたいと、サービス精神は持っているつもりなのだが、
「さて今日は、なに書こっかなぁ・・・うぅ、ナンモウカバナイ」という時だってある。
そこでお断り。
あのぉ、せっかく読んでくださっている皆様には申し訳無いのですが、
たぶんここのページ読んでいただいても、あなたの実生活のお役には立てない気がします。
よくよく考えてみたら、僕は文筆業ではないので、文章は上手くないし、
凡人なので、目の付け所がシャープでしょ、なんてこともなし。
暇つぶしくらいにしかならないと・・・いや、そんなこと書いてしまうと
「コレ読んでるあなたは暇人ですね」って言っているようなものだな。イカン、イカン。
えー、まぁ今後も、今までと同じ程度に、薄い内容、緩い視点でお送りするDailyですが、よろしくお願いいたします。
よし今日も書けた。ほっ・・・

2004.02.23 (mon)
このところ、築27年の鉄筋コンクリート造マンションの、改修工事の実施設計をやっていた。
コンクリートの床の一部に穴をあけて、下の階と一続きの住戸になるよう階段を掛け、
上下階とも、間仕切壁をすべて取り払い、プランも全く新しく作り変える。
木造と違って、鉄筋コンクリートの建築は、まだまだ充分使えるので簡単には壊せない。
が、高度経済成長期の建物などは、新築の時に将来の改修を見据えた配慮など、全くされていない。
新たにプランを組みなおそうという時には、窓の位置はもちろん、排水・換気の経路だとか、既存のものをうまく利用しなくてはいけない。
よく言われている話だが、これからの時代は『今すでにあるものをどう使うか』が問われてくるのだろう。

2004.02.22 (sun)
上アゴの奥、鼻の奥との境の辺りがイガイガして目が覚めた。
「もしかして・・・花粉症」もう毎年の事で慣れましたけどね。
イヤだなぁ・・・と思いながら、洗面器にぬるま湯を張って鼻うがい。
ツーンと痛いし苦しいし気持ち悪いし、ホントはやりたくないんですが、自分の経験からはコレが一番効きます。
ピタっとは止まりませんが、花粉症のツラサの半分くらい、日常生活に支障をきたさない程度には緩和される。
クシャミで腹筋が、洟をすすって背筋が、筋肉痛になっていたのも、そこまででははなくなるし、薬で眠くなる事もないし。
あとはやっぱりマスクですよね。
カッコ悪くても、邪魔くさくても、メガネが曇っても、臭くても・・・やっぱりマスク。
さらに、マスクにエッセンシャルオイルの「フランキンセンス」か「ティートゥリー」を1滴垂らしておくと、もう完璧。
これは主治医の先生に教わりました。
エッセンシャルオイルは、価格は少し高めだけど混ぜ物の少ない純度の高いものを使った方が良いようですよ。
でもまぁ、なんつっても、睡眠でしょう。
体が疲れていると、雨降って花粉なんかほとんど飛んでいない日でも、ヒドイ目にあうし、
しっかり寝て、気持ちよく目覚められた時は、よく晴れた風の強い日でも、ウソみたいに快調だもんなぁ。

2004.02.21 (sat)
大工さんに模型を届け、現場で建て主のOさんと会う。
骨組みが目の前に建ち現れて、Oさん家族も嬉しそう。それを見る僕も嬉しくなる。
その後Oさんのお宅にお邪魔して、「もう使わないから、よかったら・・・」と、
ほ乳瓶やら産着やら、色々いただいてしまった。ラッキー!ありがとうございます。
夜、カミさんと僕の両親とで食事に行く。月に一度くらいはこうして会っている。
カミさんは「すっごくよく動くんですよぉ」と、自分のおなかに僕の両親の手を当てさせてくれていた。
元気に動く『孫(!)』の様子が感じ取れたようで、ふたりともびっくりしたような、嬉しいような、そんな感じだった。
自分の子供の子供が産まれてくるって、それもまた妙な気分なんだろうな。
『子を持つ親の気持ち』という単語がありますよね。
今までも耳慣れた見慣れた言葉で、何とも思わず聞き流していた言葉だったのだけど、
最近、『子を持つ親』にしかわからない、『子を持つ親』なら誰しも理解できる、そういう、
「わかる人には分かる。分からない人には逆立ちしたって分からない」ものが、
子供の有無なんていう、あまりに一般的過ぎる事の中に、あったのかぁ、と感心しています。
子供ができることで(まだ産まれてはいないけど)、今までの自分には見えなかった世界が、サーっと見えるようになっていく。不思議な感覚。
自分に見えていた世界が、世界のすべてではないのだと、知る新鮮さ。
おもしろいなぁ、ふつう人生って。

2004.02.20 (fri)
こんな時だから、吉野家に行ってみた。
「豚キムチ丼の大盛りください」
「すみません大盛りはやってないんですよ・・・」
牛丼のピンチヒッターのはずの豚キムチ丼、カレー丼、マーボー丼、どれも大盛りはやっていないのだという。
米を多く盛るだけでしょ、それを「やってません」ってなにそれ?!
こういう事のひとつひとつが、客を失う要因になるんじゃないのかい?
愛想だけは気持ち悪いくらいによかったのだが、笑顔を見に行ったわけではない。腹を満たしにいったのだ。
次回からは松屋にしよう。
ちなみに、松屋は自動販売機で食券を買うシステムで、いささか事務的な感もある。
それに対し吉野家は、食後に店員にお金を支払う。
「ありがとうございました。豚キムチ丼と味噌汁で500円になります。1000円からのお預かりで、500円のお返しになります。」
一見すると吉野家の方がサービスができているように見えるが、じつは松屋のほうが店員がお金に触れない分、まことに清潔である。
松屋はそこのところを意識しているのかどうか、よく解らないが、僕が松屋の社長なら食券販売機に、大きく断り書きをするだろう。
「当店では衛生管理を大切にしており、店員が現金に触れないよう、券売機を採用しております。失礼とは存じますがご理解いただきますよう・・・」
一石二鳥じゃないかい?

2004.02.19 (thu)
森に浮かぶ家、上棟。パチパチパチ!
構成をシンプルにした建物なので、骨組みだけでも充分美しい!
更地にボリュームが姿を現すこの瞬間が、一番緊張する瞬間であり、ホッと安堵する瞬間。
いくつもいくつも模型を作って検討したボリュームが、現実に思い描いていた通りのものになるか、やっぱり緊張するものなのです。
(もちろん、いつも思い通りにはなりますヨ。)
現実に目の前に建ちあがった骨組みが上手くいっていると、素直に嬉しいですねぇ。タレ目になっちゃいそう。
そうそう、今日はカミさんの検診もありました。まだ「すぐに・・・」ということは無さそうです。

2004.02.18 (wed)
鳥インフルエンザのおかげか、あの狂気のような牛丼騒ぎがようやく静かになった。
だいたい、日本に残ってたのは、ザルの検査をスルーしてすでに輸入されちゃった、危険な牛肉でしょ。
なんであんなにまで食いたがるかなぁ?
アブナイ牛丼に、「オレに食わせろ」「オレに食わせろ」と人々が群がるニュースは滑稽だよなぁ。
鳥インフルエンザにしても「食べる分には危険はありませんから」って言われても、食べないよ。
だって、食べない方がもっと安全なんだから。売りたい気持ちは分かるけどさ。
でも、小学校の鶏まで処分したりってのには、理解できないけど。
極端におすすめする人、極端に食べたがる人、極端に忌み嫌う人、色々いるねぇ。
メディアがヘンテコな人ばっかりクローズアップしているだけかもしれないけど。
まぁいろんな意味で、牛肉と鶏肉は今が『旬』って感じ。
これもまた、目の前の食い物を見直すいい機会だ。
290円で食える牛丼って、よくよく考えるとナゾだよなぁ。なんでそんなに安いの??理由を知りたいような、知りたくないような。
僕も今までなんも気にせず食ってましたが。
しばらくの間は、豚と魚と野菜をたべるようにしよっと。

2004.02.17 (tue)
友人がくれた『ビートルズは眠らない』(松村雄策)を読み終わった。
世の中には変わった職業があるものだなぁ。
ビートルズ研究家とかビートルズマニアと呼ばれる人たちが、ある程度は職業として成り立ってしまっているのは、知っていた。
が、この人の場合、『職業:ただのビートルズ好き』と呼ぶしかないだろう。
研究家ほどデータをしっかり整理しているわけでもない、マニアほどの充実したコレクションがあるわけではなさそう。
なのに職業として成立してしまっている。
「とにかくビートルズが好きなんだ!」という想いだけが延々繰り返しつづられているのだが、それがなかなか読んでいて悪い気がしない。
この本に別名をつけるなら『ビートルズと私』だろう。
「ビートルズがリバプールのスタジオで録音していたころ、僕は体育館の裏で女の子とキスをしていた」とか、
「ジョージハリスンの来日コンサートを見た。僕は泣かなかった、涙ぐんだだけだった。」そんな話ばっかりである。
そんなこたぁ、どうでもいいじゃねぇか、と言いたくなる話のはずなんだが、・・・悪い気はしないのである。
『職業:ビートルズ好き』・・・・かぁ??
それにしてもビートルズの武道館公演を観ているとは、なんと羨ましいヤツだ!
どうせなら前座のドリフターズについても触れて欲しかったな。

2004.02.16 (mon)
現場に掛ける看板を作ってもらった。
デザインは自分でこさえて、そのデータを持って看板屋さんへ。
「あぁ、こんなに小さい字じゃカッティングシートがうまく切れないよ。ほらちょっとあんたやってごらん、試しに1枚打ち出してあげるから。
あれ、けっこう器用だね。あ、そう建築模型とか作ってるから、あそう、じゃぁできるわな。おじさんは最近細かい作業がね、大変になっちゃって、そう目がね、老眼で。
じゃこれさ、カッティングマシンで打ち出してあげるから、あとはあなた自分でできるところまでやってきなよ。
ところでさ、あなたコンピューターとかも詳しい?前はウチの息子がやってくれてたんだけど、引っ越しちゃってね、
それで、コンピューターで看板のデザインを起こせる人を探してるんだけど、ヒマな時にでもさ、手伝ってくれない?」
・・・まぁ今のところ本業が忙しいので手伝えないのですが。
武蔵野市の石田工芸という看板屋さんです。良心的な価格でやってくれて、とっても人のいいおじさんです。

2004.02.15 (sun)
やりたい事が見つからない。なんて話しを時々耳にする。
「昨今の若者の・・・」みたいな語り口でモラトリアムとかフリーターを絡めて語られる事が多いようだが、
そもそも、「これをやりたい!」なんて強い信念を持っている人自体は、今も昔も少ないでしょう。
戦後の焼け野原で、やりたい事を探していた人なんて、いなかったはずで。本質的なことは今だって変わらないはずで。
たいていは、やらざる得なくて、必死でやっているだけで、でもハタから見ると「夢中になれることがあっていいなぁ」なんて、思うんだろうけど。
必要なのは、『やりたい』の前に、自分は何なら『できる』のか、を知ることでしょう。
まずは、できることから手を付ける。そのうちできることが増えれば、選択肢も生まれる。社会からのオーダーにも応えたくなる。
情熱大陸みてたって、焦っちゃうだけだから、はいはい、テレビを消して手を動かす。

2004.02.14 (sat)
こまったなぁ・・・
久しぶりに友人と飲んだら、「Dailyでキミの親バカぶりを読んでるよ。」と。
面と向かってそう言われてしまうと、書きづらくなっちゃうじゃないか。
彼らは高校時代の友人。だから同い年。
「なんか最近、風邪とかなかなか治らないんだよね」と言ってみたら、ドッとウケた。
彼らにもそういう実感があったみたい。ケガの傷口がいつまでたっても完治しないとか、筋肉痛が1週間抜けないとか。
やっぱり体は確実に老化に向かっているのだなぁ。

2004.02.13 (fri)
ウチの近所、駐車場と豪邸と古家が取り壊されて、ここにもマンションが建とうとしている。
更地になった真ん中にポツンと一軒だけ、取り残されている。立ち退きに応じなかったのかな?
工事による粉塵よけに、厳重に仮囲いがされていて、それで余計に晒し者のようにも見えてしまう。
「ガンコな住人なのね」なんて、外野はつい勝手な事を思ってしまうけど、他人の都合で、自分の居場所を移動しなければいけないなんて、おかしいよね。
立退き料をいくら積まれたって、自分がつくりあげてきた居場所がかけがえの無いものであれば、今まで通りそこで暮らせば良いのだ。
普通に、サラッと、「お金はいりません。今まで通りで結構ですから。」で良い。
いきなり降って湧いた他人の金儲けの皮算用のおかげで、普通にしているだけの人が消耗させられない事を願います。
ガンバレ真ん中の家のひと、なるべくがんばらないように。

2004.02.12 (thu)
成育センターで検診。推定体重は先週とほとんど変わらず。
もうここまで来ると、そんなに成長しないようです。
もう早く産まれちゃっても良いのにと思うのですが、まだすぐにという事は無さそうです。
さて、検診の帰りに寄った成城学園前駅前(←ヘンなの)のパン屋さん、食パンの耳が袋に大量に詰めてあって、「無料で差し上げます」と。
そういや昔、サンドイッチで残ったパンの耳で、母親がおやつを作ってくれたなぁ。
帰宅し、さっそく油でカリカリに揚げて、ケチャップを付けたら、
アツアツのサクサクで、マックのフライドポテトみたいでおいしー!
こんどは揚げたてに砂糖をまぶして、
カリカリのラスクみたいで、おいしー!
これを廃物として、タダであげたり捨てたりしているんだもんなぁ、もったいない、もったいない。
「お金で買えない価値がある。プライスレス。」なーんて、つい言ってしまうものね。
ホント、金額じゃないよな。こんなちっちゃいことでゴキゲンになれるんだもの。
このどっさりの食パンの耳、もらって帰る人って特定の主婦が多いんじゃないかなと想像するのだけど、それだけじゃもったいないなぁ。
パン屋さんには若い女の子とか、お昼ごはんの会社員とか、いろんなお客さんが来るわけで、そう人々へのサービスになればリピーターも増えるだろうに。
「いらないからタダであげますよ」ってドサッとやられても、世間体を気にしない人とか、ハトに餌やる人とか、特定の人しか欲しがらないだろう。
それよりも、揚げて砂糖まぶしたり、ひと手間掛ければラスクみたいになるのだから、小分けにして10円とか格安で売るとか、
パン買ってくれた人へ、オマケとしてつけてあげるとかすればいいのに。
お昼ごはんのパン買って、オマケに軽く3時のおやつでも付いてきたら、つい通いたくなっちゃうけどなぁ。
『ちょっと嬉しい』に付くポイントって、けっこう高いですよね。

2004.02.11 (wed)
三島由紀夫は、産まれてオギャァと言う瞬間の記憶があったのだそうだ。
まぁ、物書きだからその真偽には?だが。
新聞の投書欄には、三歳の子が「お母さんのお腹から生まれた時、ボク元気だよ、って伝えたくて大きな声で泣いたんだよ」と話したとあった。
いい子だねぇ。なんとかわいらしい。
しかしそれもホントかどうかは、本人にしかわからない。子供はけっこうウソツキだからなぁ。「そこでバルタン星人に会ったよ!」とか、真剣な目して言うしね。
ちなみにボクの最初の記憶は、初めて海に入った時のこと。
足の左の親指、爪の付け根の皮膚との境いが少しチクチク痛かった、という記憶があって、調べてみたら1歳ちょっとの頃でした。
初めて入った塩水、『シミる』というのが今までに無かった刺激だったんで、記憶に刻み込まれたんでしょうねきっと。

2004.02.10 (tue)
『わが回想のルバング島』(小野田寛郎)、『たった一人の30年戦争』(小野田寛郎)、『私は戦友になれたかしら』(小野田町枝)
あのギラギラした目の人が、どうしてあんなにまで優しい眼差しに変わったのだろう?
本に書かれている過去の事実についての記述は、どれもほとんど変わらない。
時とともに人の心は変わって、同じ出来事でも、書く時期によってその書かれ方は違っていて不思議は無い。
むしろ、目の光り方があれだけガラッと変わった人に、ルバング島以降に心境の変化は無かった、とは考えにくい。
あの優しい語り口のかくしゃくとしたお爺さんと、著書の一本調子な記述と、いつかテレビで見た(リアルタイムではありませんが)目をギラギラさせた時代遅れの日本兵。
読めば読むほど、ギャップを感じてしまい、うまくひとりの人物像にまとまってくれない。
それとも、胸の内深くに硬く封印した感情があるのだろうか?
まとめたい、理解したいという方がこちらの勝手な決め付けなのかもしれないが。
『たった一人の30年戦争』の最後、編集者の「(いま再び)ルバング島に行ってみたいと思いませんか?」の問いに、小野田さんはこう答えた。
「木一本、砂一粒見るのも嫌です。何ひとつ、楽しいことはなかったですから・・・」
一瞬、心の中の深い闇が見えてしまった気がして、激しい動悸がした。
常にポジティブで冷静な思考と行動、己に厳しい強い精神の影には、やはりもっとなにかがあるのかもしれない。
平和ボケの僕らには到底伝わらない、理解できない、文章にすらならない、なにかが。
まだ読んでいない小野田さんの著書が何冊かある。もう少し、この人のことを知りたいと思う。

2004.02.09 (mon)
今日のクローズアップ現代に、僕とカミさんがお世話になっている、主治医の先生が出ていた。
『統合医療』という、西洋医学とそれ以外の医療(漢方・針灸・マッサージ・アロマテラピーなど)を組み合わせて行う医療の特集。
「お腹が痛いんですけど・・・」
「そうですか、でも検査結果に異常はありませんから」
「でも、僕のお腹は痛いんですよ・・・」
ってこと、よくありますよね。
「突き指しちゃって痛いんですよ。バスケでパス受け損ねて」
「レントゲンで見たところ、骨に異常はありませんね。ただの突き指です。2・3日安静にしてください。」
「それは・・・もう知ってます。ところで、何もしてくれないんですか?」
患者がどうしてもらいたいのか、そこをきちんと解決するためには西洋医学オンリーでは限界がるので、それぞれの良いトコ取りでやりましょうよ、
というのが、統合医療という事らしい。
当たり前っちゃ当たり前だけど、これは今までには無かったスタイル。障害も多いでしょうが、がんばってください。

2004.02.08 (sun)
きのうは建築道場。そこでの本題とはズレているのだが、仲間と話しているうちに発見があった。
理系の詩人なんだな、谷川俊太郎は、という事である。
そして、谷川俊太郎の詩は、目で読むより、声に出し耳で聴くのがベターであり、
さらに、その朗読は、理屈っぽい硬さのある口調での、谷川俊太郎自身による朗読がベストなのである。
今日はそんな事を思いながら、谷川俊太郎の詩を朗読・・・していない。
ナゼか一日中、小野田寛郎さんの本を読んでいた。まだもう一冊残っているので、感想はその時書くつもりなんだけどね。
どちらも『智慧の実を食べよう。300歳で300分』の影響である。否定したいが、否定できない。
まぁなんにせよ、怒涛の一ヶ月のあとの、1日中本を読んでいられるこの幸せ。あぁ、生き返るわぁ。

2004.02.07 (sat)
『ジロジロ見ないで』
大急ぎで歩いていた御茶ノ水の坂道で、目に飛び込んできた書店のポスターに、思わず引き返して確認してしまった。
ナンダこの本・・・。うぅショックでした。
あまりのショックに、いつもは図書館で借りて、それでも欲しいと思った本しか買わないと決めているのに、
気が付けば、レジのおねぇさんに「これください」と言っていました。
この本に登場した方々の勇気に拍手!
人は未知のことに、つい反応してしまいます。ジロジロ見てしまうのは習性です。
目を向けてしまった後に「あ、なんて遠慮のない視線を送ってしまったのだろうか」と後悔するのですが、無意識って・・・・・・無意識なんですよね。
この本は、自分の本棚にぜひ置いておきたい本だと思います。
色々なかたがいるってことが、自然に社会に浸透し、未知でなくなるように、
僕には、ウチの本棚に「自然に」並べておくことくらいしかできませんが、『バカの壁』を超えるくらいのベストセラーになって欲しいなぁという思いでいます。
みなさんぜひ、ご一読を!

2004.02.06 (fri)
去年の8月のDailyでも書いているんだけど、明治生命のテレビCMで話題になった、ダウン症の秋雪くんと両親のエピソード。
最近写真集になったこともあって、更に話題になっているよう。
テレビの街頭インタビューでは、「家族の愛に感動しました」とか「生きることの大切さを教えられました」とか「泣きました」とか、誰もが気軽にコメントをする。
でも・・・なんか違う気がする。
明日をも知れぬ命に、1日1日を必死に、大切に大切に生きている人は、秋雪くん家族だけではない。他にももっといる。
障害を抱えた子を持ち、血のにじむ努力をされている家族も、いっぱいいる。
なにも、秋雪くん家族だけが素晴らしいわけではなく、素晴らしい人々は僕らの周りにも本当はもっともっといるハズなのに、
今までそちらに目を向けたこともなく、気に掛けたこともなかっただけのことだ。
純粋な動機による最大の一生懸命、それを非常にわかり易いかたちで、提示されたから、多くの人の心に響いたのだ。
この件に関して、尊敬されるべきは、あのCMを作ったクリエイターだろう。
ヘタなつくりかたをしていたら、いかにもオナミダチョウダイになってしまって「ああいうのってクサいよね」とか言われて終わっていただろう。
あの家族の純粋さと尊さを、たった30秒で表現し、テレビの前の多くの人々を釘付けにしてしまったのだ。
あの家族の素晴らしさは、CMになろうとなるまいと、何一つ変わるものではない。
誰かに伝えたくて一生懸命をやっていたわけでもない。誰が見ていようといまいと、そんな事関係なく、個人的で最高に純粋な動機、
「わが子がいとおしい」というだけで毎日毎日を大切に生きていたに過ぎない。
僕らはただ、たまたま付けていたテレビの前で、風呂上りに足の爪を切りながら、寝っ転がってミカンのスジを剥きながら、番組の合間で流れるCMに偶然居合わせただけだ。
ずいぶん図々しいんじゃないか?「感動した」とか「教えられた」なんて、簡単に言ってしまうのは。

2004.02.05 (thu)
おなかの赤ちゃんは下の方へ下がり始めているらしく、いよいよ、いつ生まれてもおかしくない1ヶ月に入りました。
今週から毎週検診があります。今日の推定体重2200グラム。
子供が産まれる実感、ありませんねぇ・・・
不思議なもので、日に日に肥大するカミさんのお腹を見ているので、頭では産まれるんだと分かっているのですが・・・ワカリマセン。
ただ、「これから僕らは『家族』になるのだな」という、関係の変化は予感しています。
僕とカミさんの今までの関係は1対1の関係。当人さえ了承すれば、いつだって他人に戻る事ができたわけです。
家の中でカミさんの声が聞こえれば、それは僕に向けられた言葉で、会話が始まり、
常にお互いが関係の当事者で、第三者は居なかったわけです。『夫婦』なんですよね。だったんです。
が、おなかに赤ちゃんがいる事が判ってから、カミさんはおなかに話しかけるようになりました。
「え、なに?何か言った?」
「うぅん、赤ちゃんに話しかけてるの」
自分の家で初めて、第三者を味わうのは、ダンナなんですね。
今まで、何気なかった事が、妊娠発覚を期に、急に色付いて見えてきた気がします。
『家族』
この言葉の意味を、今までどれだけ解っていただろう?
『族』が付くんですよね。世代を超えるという。
普通に生きていくこと、動物として、オスとして、当たり前の生涯を送ること。
何のためかはわからなくても、自分の子孫を残すこと。
自分が脇役にまわるということ。
進んで犠牲になること。
年金の心配をするということ。
温暖化の行方が気になって、いてもたってもいられないということ。
100年先のこの世界を、本気で心配すること。
我が子を、我が孫を、この世に人質にとられて、僕らは先に死んでいかなきゃいけないということ。
普通に生きていくことを、真剣に、やり遂げたいと思っています。

2004.02.04 (wed)
やっと2004年用の手帳の中身を買った。
毎年同じシリーズのを使っている。
そしてまた、年が明けてしばらく後に買いに走るのも、毎年の事。
1年1年が早くって、前回買いに行ったのがついこの間のように思うのだが・・・
もうどうせなら、この先10年分まとめ売りしてくれれば良いのに。

2004.02.03 (tue)
僕の本棚のなかで際立ってボロボロな、『おにたのぼうし』という絵本。
裏表紙にはこう書かれたシールが貼られている。
「1978.11.3 この本は、おおぜいのおともだちによくよまれて、
としょかんの本としての お役目をおわりました。
こんどは あなたのお家で こわれたところをなおして かわいがってくださいね。
くめがわでんしゃとしょかん」
アズキ色の西武線、片引き1枚ドアで木の床の車両が1両、ぽつんと置かれた団地の中の小さな公園。
そこから貰って来た、最初からボロボロだった絵本が、いつの間にか大切な宝物になっていた。
僕の心の真ん中の一番やわらかいところは、幼いころ繰り返し読んでもらった2冊の絵本で作られたようで、『おにたのぼうし』はそのうちの1冊。
この絵本は、「せつぶんの よるの ことです。・・・」で始まり、「・・・とても しずかな まめまきでした。」でおわる、寂しくてやさしいおはなしです。

2004.02.02 (mon)
『ルポルタージュ出生前診断』という本を、半分までは読んだ。でも途中でやめた。
おなかの中の子が、ダウン症かどうかわかる検査がある。
多くの人は自分の赤ちゃんが、身体・脳の疾患など無く、健康で産まれてくる事を願う。
しかしこの検査が一般化することに反対する人々もいる。
現在ダウン症として生きている人々の家族などが言うには、
「この検査は、堕胎の助長につながり、それは今現在ダウン症で生きている人々を、『生きていてはいけない人間』と言うに等しい」のだそうだ。
それは・・・・ずいぶん極論じゃないかな、と思ってしまう。
健康な子を産み育てたいという気持ちと、ダウン症の人への差別とはイコールではないと思うのだが・・・
著者のスタンスは明らかに「検査反対」で、両者の言い分を公平に扱ってはおらず、偏った書かれ方がされていると感じた。
任意の検査なのだから、受けたいと思う人は受ければいいし、そうでない人は受けなけばよい、それだけの事だと思うのだが。
が、この本を読みすすめていくうちに、だんだんわかってきた。
極論だとしても、「こんな検査はキレイさっぱり世の中から無くすべきだ!」そこまで強烈に訴えていかないと、
大多数の健常者がつくっている社会では、ダウン症とその家族の自分たちの、安全で充分な(心の)居場所を確保することは、
たいへん困難なことであるのだ。
大多数の人々が問題だとは気にもとめていない緩やかな社会の動き。
その中で、少数派の人々は力の限り、喉から血が出るほど叫ばなければならない。
それも「気付いてもらう」ためだけに。僕はここにいるよと、知らせるだけのために。
ウチはその検査は受けていない。たぶん。
「受けますか?」と訊かれていれば「受けましょう」ということになったかも知れないが、今となってはもう、どうでもいい。
とにかく、おなかの中のとてつもないエネルギーは、誰にも止められない勢いで、「外に出せ!」と訴えている。
カミさんのおなかの中に子供が宿っているとわかった当初は、「健康で健常な子供が産まれてきますように」と心から願ったが、
臨月に入った今では、もう「健常であろうが無かろうが、とにかく産まれてきますように」という気持ちしかない。
「産まれ出たいぞ!」という計り知れない命のエネルギーに、おなかの中からの自己主張に、こっちはもう圧倒されっぱなしである。
「命の選別」?そんな小せぇこと、どうでもいいわ。
とにかく命が出てこようとしているんだから、こっちは力いっぱい受け止めてやる。それだけだ。
「球が来くるから打つんだ」と言った長嶋茂雄の気持ちが、今よくわかる。

2004.02.01 (sun)
道場のYさんから借りた『智慧の実を食べよう。300歳で300分』のDVDを観た。
さすがに300分も観ている時間は取れなかったのだが、実にオモシロイ体験をした。
『智慧の実・・・』は1人60分ずつ5人のじいさんによる講演会のDVDで、同内容で本にもなっている。
今回はDVDで講演を流しながら、本を片手にしゃべりとまったく同じ内容の活字を目で追う。
「聴き」では聞き取れなかったことば、また、同音でも別の意味の言葉と誤解してしまうのをフォローできる事。
「読み」のスピードと「聴き」のスピードには信じられないほどギャップがあること。
それは、「活字」と「声」とでは話の印象を微妙に、時にはまったく変えてしまうという事。
また、しゃべりの中にあった「間(ま)」が活字では全く再現できないこと。
しゃべりを活字に直した文章には、「行間」というものが全く存在しないこと。
むしろ、「行間」をかってに想像をしてしまいがちで、いらぬニュアンスの誤解を生んでしまうことが多々あること。
ある意味で、講演の内容を理解するためだけならDVD+本の組み合わせは最適だといえる。
講演・演劇・コンサートは何があってもライブで観るのが最高だと、今までは思っていたのがくつがえされてしまった。
「空気感」とか、「聴衆と演者の呼吸」とかは、やはりライブでしか得られないのだが、
この「今しゃべってる事が、目で読める」というのは、何ともオモシロイですよぉ!
糸井重里の策略に、まんまとハマってしまった。

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