Daily・・・日々雑感

2003.12.31 (wed)
さて、元気も出てきたし、STRAY CATSでも掛けながら、ちゃちゃっと『結露減る減る』を窓に塗って、それから年賀状を作ろう。
まずは内側のガラスのを拭いて・・・・なんだ、外側もだいぶ汚れてるなぁ、よし!やってしまおう。
っと、なんだレールもホコリが溜まっているな、・・・・しょうがない、窓も一回外すか、よいしょっと。
あ、戸車の動きも悪そうだなぁ、「おーい、いらない歯ブラシちょうだい」
結露減る減るも、ためしに今年は、窓の両面・枠・レール、全部に塗ってみよう。
しかも2回塗りだぁ、えい。
いやぁ、お疲れ様でした。
さて、年賀状を・・・「こんにちはぁ!宅急便です」
やたらとでっかいダンボール、注文していた赤ちゃん用のゆりかご兼おすわりハイ&ローチェアが届く。
あともうひとつ、は、お!、F邸の写真が出来上がってきたぞ、さてさて、うまく撮れたかな・・・・おぉ、いいじゃん!これも、これも、う〜ん、イイ!
届いた赤ちゃんイスをいじくってリクライニングさせたり上下させたり、150枚のスライドをチェック・整理したりしているうちに陽はトップリ暮れる。
あ!年賀状の用紙、買っとかなきゃ。正月お店やってないかもしれないし。
と、吉祥寺へ自転車を走らせる。途中、ちょっと雰囲気の良い洋服屋さんを発見、「レディースのみ」って書いてあるけど、入ってみる。
「こんにちはぁ!」って入ったら、jazzがすんごいイイ音で、しかも大音量で掛かっている。
店の奥に鎮座するでっかいオーディオ、とギター。
「いい音ですねぇ、ここは何屋さんですか?え?趣味でやってる店?本業は建築?リフォーム屋さん?クラブトンが神様?
こんど僕の好きなCD持ってきてここで掛けさせてもらっていいですか?え?毎日遊びに来い?」
意気投合してしまって、2時間近く長居してしまった。面白い出会いがあるものだ。
っと、そうだ、年賀状!急いで、吉祥寺のラオックスへ、着いてみると、『蛍の光』が流れ、入り口には「本日は閉店しました」の看板が立っている。
すり抜けるように、店内へ。やっとこさ、必要な用紙を手に入れ、帰宅。
インターネットで調べものしたり、年賀状のデザインをいじくっているうちに、『たけしの世界はこうして騙された』が始まる時間。
これは、みなくっちゃ。楽しみにしてたんだ。子供の頃から、この手の番組が大好きなのである。
「アポロの月面着陸はウソだった」「発見UFO」「超能力少女」「未確認生物」もう、たまらん。
その後、カウントダウンは『ジルベスターコンサート』。曲の終わる瞬間に、日付変更。
なぜか毎年このタイミングだけは『ジルベスターコンサート』を見て、次の曲がはじまると、「もういいや」って『ゆく年くる年』に替えてしまう。
その後、養老猛司と犬養道子の対談番組に釘付けになり、寝しなにブラックジャック7巻を読みながら眠ってしまった。
まぁ、そんなこんなで、怒涛の2003年が、怒涛の大晦日と共に終わったのでした。
みなさん、今年もお世話になりました。
他力50%、自力20%、運30%、皆様のおかげで須永は素晴らしい一年を送ることが出来ました。ありがとうございました。
では、みなさま良いお年を!

2003.12.30 (tue)
1日休めば復活するかと思っていたが、そんなに若くもなくなっていた・・・
きのうは、体中の筋肉痛&関節痛で、錆びたロボットみたいで、『体中の隅々まで疲労物質が行き渡っている』状態だったのが、
今日は、『疲労物質はすっかり抜けきったが、その代わり元気物質もすっかり抜けきっている』状態。
風邪で数日寝込み、解熱剤で熱が下がった翌日、と同じ感じ。腹に力が入らん、なんにもやる気が起こらん。
年賀状作らなきゃなぁ・・・でもしんどいなぁ・・・と、ボーっとしていたら、ふと思いついた。
もし人間の指が5本ではなくて6本だったら、きっと世界は10進法ではなくて、12進法だっただろう。
1,2,3,4,5,6,7,8,9,*,10,11,12,13,14,15,16,17,18,19,1*,20,21,22,23,24,25,26,27,28,29,2*,30,31・・・・
そうそう、むかし何かで読んだのだが、『0』の発見は大事件だったのだそうだ。
という事は、それまでは、・・・7,8,9 の次はどう表記していたのだ?『10』は1と0で出来ている。
それとも、0という概念の発見が遅かっただけで、10は10として以前から使っていて、ゼロの概念の発見と共に、
今まで使ってきた10の片割れ、『0』が記号として割り振られただけなのだろうか?
だとすると、9と10との間にも、0の発見と同じくらい重大な『10』の発見というものがあったんじゃないだろうか?
12ヶ月、24時間、60秒、人間の指が6本だったら、もっとスムーズに規則性を作れたのかもしれない。
もしかしたら、今からでも12進法にしてみたら、解けなかった宇宙の・命の不思議が、解けたりするのかもしれない。
・・・・そんな事をズルズルと考えていた、リハビリの1日でした。
そんなわけで、年賀状まだ出来ていません。年明けの発送になりそうです。
お世話になっているみなさま、不義理をお許しください。

2003.12.29 (mon)
オープンハウスも終わっちゃって、「いまさら・・・」と思いながら、いつもの床屋さんHIPへ。
「いやぁ怒涛の一週間だったんですよぉ。だもんで今日はヌケガラです」
「あぁ、それ、わかります。僕もコンテストの時とかそうでした」
ホントの意味でわかってくれる人なので、ありがたい。
帰りに保谷駅前のラーメン屋さんで初めて『にぼしラーメン』なるものを食す。話題になっているのは知っていたのだが、ホント旨かった。
おろしニンニクもたっぷり入れて、明日の事など気にせず味わう。食後にコーヒーのサービス。うれしいやねぇ。
満腹になり、いつもの写真屋さん伊東カメラ保谷店にF邸の写真を出してくる。
写真を撮る→現像に出す→焼き上がる
最近はデジカメばっかりだったので、このまどろっこしさが嬉しい。楽しみは延びるほど膨らむ。
帰宅し、図書館から借りていたビデオを観る。
『お熱いのがお好き』マリリンモンロー
『みんな〜やってるか!』北野武
『青春デンデケデケデケ』大林宣彦
『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』岩井俊二
の4本の中から、僕が選んだのは『青春デンデケデケデケ』。口を開けたまま、バカみたいに観てられる大衆娯楽作品が観たかった。
大林監督、さすがねぇ。やっぱりこういうのつくるの巧いなぁ。

2003.12.28 (sun)
あ〜、おわったぁ。ほっ。
1年ちょっとやってきたF邸が今日でおわり、しかも今年の仕事納め。
この一週間の怒涛の日々、急な肉体の酷使と、睡眠カット、おまけに「ヤバイ、間に合わないかもしれない…」の緊張感。
これらのすべてから今日、開放されたぁぁ〜ああ。
建物が完成した喜びと安堵、と、同時に少しだけ、なんだか不思議な寂しさがある。・・・なんだろう、これは。
去年の12月、最初にF邸の話が持ち上がってから、今日まで、完成させるために、僕らは作っていたのに、
完成させた瞬間には、それはもう僕らのものでは無くなってしまう。
住宅の場合特にそうだが、自分がつくりあげた作品を、自分がじっくりと味わう時間が、まったく無い。
それでも今回は丸二日間、撮影・オープンハウスと時間をもらえ、この空間で過ごす事ができたので、良い方。
なんだけど、なんか、なんかおかしな感じ。
一年間一生懸命がんばって「良い住宅にしよう!」って設計してきたのに、完成した途端、ハイさようなら。
本当に良い住宅ができたのかを、自分では確かめられない、ジレンマ。
春には墓地の大樹に若い緑の葉がついて、キッチンからの眺めがイキイキするだろうな、とか、
夏には風がバルコニーから高窓へ吹き抜けて、気持ちいいだろうな、とか、
天窓から青空を眺めながら入る朝風呂は格別だろうな、とか、想像しながら設計してきたけれど、
実際のところは、そこで暮らしてみなくちゃ、本当のことは解らない。
予想通りの出来なのか、もっと良いのか、ダメだったか。
なんだろう、この実感の無さ。
答え合わせのない期末テストのような、何とも中途半端な感じ。
よく、「引渡しの時、設計者は娘を嫁に出すような寂しさがある」というが、それとは少し違うかな。
例えば、自分で作ったケーキ、「さぁ出来上がったぞ、いっただきまぁす」と言った瞬間に、取り上げられちゃって、自分は一口も食べられない。
そういう種類の寂しさ。楽しみにしていた事を、スッと取り上げられて、追い出されちゃった感じで・・・
他人の家を設計しているのだから、当たり前っちゃぁそうなんだけど・・・うん。
でも、まぁ、良かった。ホント、良かった。建て主さんは心から喜んでくれているし、自分でもいい建物ができたと思う。
もし時間が逆行して、一年前に戻ったとしても、もう一度このプロジェクトをやりたい。
苦労の多い、ほんとにしんどいプロジェクトだったのだけれど、やって良かったなぁと思える仕事になりました。
共同設計をしてくれた光風舎の吉原健一さん、建て主のFさん、最後の怒涛の和紙貼りに無報酬でもこころよく参加してくれた皆さん、
本当にどうもありがとうございました。

2003.12.27 (sat)
天気予報では『雪』だったのに、陽が昇るにつれて快晴!!
ミラクル!和紙貼りに来てくれた、みんなの情熱が起こしてくれた、奇跡なんじゃないか?
まっ青な空、エッジの効いた日差し、コントラスト、最高の撮影日和。
早朝、「見させてもらっていいですかぁ?」と来客が。
「建築やってます、きどさきなぎさと申しまぁす♪へぇ〜かわいい!すてきぃ、カワイイおうちですね」
ぇえ??城戸崎和佐さん?どうしてこんな有名な方が、こんな無名の設計屋の建物を見に来てくれるの??
徹夜明け、一睡もしていなかった僕のアタマはパニック。
どうやら、今日撮ってくださる写真家の上田さんが、「ついでに」ってことで連れて来てくれたようでした。あぁ、びっくりした。
午後からは、お客さんがひっきりなしに、見に来てくださいました。
一般の方、友人、同業者。年末の忙しい時に、わざわざこんな小さな家を見に、みなさん勉強熱心ですね。
来てくださった皆さん、本当にありがとうございました!
明日は、一日中オープンハウスです。どなたでもご覧いただけますので、お気軽にいらしてください。お待ちしています!!
さてと、今日は寝るぞぉ。

2003.12.26 (fri)
和紙貼り5日目、明日は早朝から写真家をいれての撮影。
多くの仲間の助けのおかげで、なんとかギリギリ完成にこぎつけた・・・か、に見えた。
しかし、こんな時に、なにかに気付く、気が付いてしまう瞬間がある。
撮影前夜PM9:00、デザインの神様がF邸の現場に降りてきた。
新しいアイデアが思いつき、設計者同士の議論によってそれが現実的な膨らみを見せた。
さぁ、もうひと頑張り。もう一段上へ、イケル!

2003.12.25 (thu)
和紙貼り4日目。
帰り道、夜11時過ぎの吉祥寺、サンタが描かれた看板が下ろされ、『迎春』の看板が吊り上げられていった。
きょう、和紙貼りの作業中に流しているCDから、ジョンレノンの『HAPPY CHRISTMAS-war is over』が流れてきた。
ベトナム戦争の時代の歌。「きょうはクリスマス、せめてこんな日くらいは、いったん争い事を止めて、みんなでメリークリスマスって言おうよ。」
人間は愚かだ、そんな事は、もううんざりするほど、みんな分かりきっている。
だからこそ、ささやかなメッセージ。
せめて、こんな日くらいは・・・

2003.12.24 (wed)
和紙貼り3日目。
今日はたぁ〜くさんの人が手伝いに来てくれました。
研究会・建築道場の仲間から、近所の飲み屋のおにいちゃんまで。用意していた刷毛も足りなくなり、急きょ買いに走るほど。
世の中はクリスマスイブってのに、今日が一番集まってくれました。
みんなして、「こんなクリスマスイブの日に、和紙貼りの手伝いなんて集まらんだろう。しゃぁない、行ってやるか」って思ってくれたのかも知れない。
ホント、皆さんの温かい心に感謝です!

2003.12.23 (tue)
和紙貼り二日目。
お昼ご飯の後、建て主のFさん・お手伝いのみなさんで、近所であったオープンハウスに行って来た。
僕などから見れば雲の上の建築家、さすが建物も良かった。まぁ、お金も掛かってたし。
あとでFさんに「あのお宅どう思いました?」って訊いてみたら、
「なんかヘンな言い方かも知れないですけど、ウチの方がいいなって思いました。
もしね、あっちの4700万円の家を、私の1800万円の家より安く売ってあげるって言われても、私はこっちの家のほうが全然良いです」
・・・くぅ〜、嬉しい事を言ってくれるじゃありませんか!
いやぁもう、Fさんの家は色々たいへんな事も多かったけれど、こんな風に喜んでもらえてると、設計者は幸せです。
ホントこのFさんの仕事、やってよかったなぁ、って心から思いました。まぁ、まだまだ和紙貼りがたっぷり残ってますので、がんばって完成しなくちゃ。

2003.12.22 (mon)
私の保健センターがやってくれる父親学級の日。
赤ちゃんの人形を使っての、抱き方の練習、お風呂の練習。ふぅ、緊張した。
ウチは、僕もカミさんも28歳で、初産。多少遅めだと自分達では思っているのだが、どうも世間的にはそうでもないみたい。
保健センターに来ている人、病院の立会いクラスに来ていた人、みぃ〜んな、僕らより年上。見るからに明らかに。
20代の人ってなかなか居ない。30代が中心で、40代がチラホラ、中には50代に見える人もいる。
子供が大学卒業と同時に定年だとしても、38歳までに子供が産まれないといけない計算になる。
以前、建築道場での研究発表のために、初婚と初産の平均年齢を調べた事があった。
2000年の調査で、初婚・初産ともに、 夫30才 妻28才が平均。
1950年の調査だと、初婚・初産ともに、 夫27才 妻24才が平均。
日本の近代化とともに、年々晩婚化が進んでいるわけだ。さらに未婚や子供をもうけない夫婦も増えている。
先進国化は、社会の新陳代謝が悪くなってしまうものなのだろうか。
人類の、動物の歴史で、子供を作らない方向へ、全体が向かっていった事というのはあるのだろうか?
あったとしたら、どんな結末、または回復の仕方をしたのだろうか?
正直、不安ばっかりである。
今まで子供が出来るまでは、そういう事を考えることはあっても、頭で想像してそれだけだったのだが、いまは、現実問題として嫌ぁ〜な気持ちになる。
自分の死んだ後、子供の世代のことも今ではリアルな心配の種である。自分が死ぬまでもってくれれば、では済まないのだ。
勝手なこと言ってらぁ、と思われるかもしれないが、子供が出来るという事で、僕の射程距離は伸びていくようである。

2003.12.21 (sun)
いよいよ今週末オープンハウスのF邸、引渡しはもう済んでいるのだが、壁・天井はいまだ下地のまま。
これから4日間で和紙貼り。建て主・設計者・建築道場の有志で自主施工。たいへんだ、これは。
話は変わるが、去年の冬、『結露へるへる』というのを買った。無色透明の断熱効果のあるという液体で、窓ガラスに塗りつけると結露が減る、という製品。
結露は無くなりはしない。やってみたらわかると思うが、あくまで、減るだけである。『結露減る減る』名前に偽りはない。
やらないよりは、やった方がまし、という程度には効くので、去年の残りがまだまだタップリ残っているから、それで今年も・・・と思っていたら、
なんと新製品が出ていた。『結露減る減るパワーアップ』、見事である。素晴らしいネーミングセンス!
この製品の特徴が、そして従来品との違いが、たった一行の名前で、購入者に伝わるのだ。欲しくなっちゃったな、使ってみたい。どのくらいのパワーアップ具合なのか。
でもやっぱり無くなりはしないって事だろうな。『結露へるへるパワーアップ』ってことは。
買ってみようかなってかたは、内容量が一番少ないボトルを買ったほうが良いですよ。割り高な感じがしちゃいますけど、使っても使っても、全然減らないです。
ウチのなんか、昨年の冬使って、まだ98%ボトルに残ってますから。それにまた来年、新製品が出るかもしれないし。それはそれで、ネーミングが楽しみではあるが。

2003.12.20 (sat)
午後から、成育医療センターで、立会い出産の講習。夕方帰宅して、大詰めの図面を仕上げる。
森に浮かぶ家である。まもなく工事契約。この見積もりOKから、契約までの時間が、実はとっても重要。
この期間中に、設計者としてのこだわりを、見積もり金額には影響が無い中で、これでもかこれでもかと図面に描き加えていく。
柱とアルミサッシの取り合いをキレイに見えるようにとか、壁と天井の取り合い部分とか、階段の手すりの丸み具合をどうするとか。
言うなれば、建築の身だしなみを整える、というところ。身だしなみは、そのものの印象を大きく左右する。印象は時として本質をも左右してしまう。
細かいことでも、きちんきちんと詰めておくことで、真価は変わる。
まぁ、こういうこだわりは、建て主さんにはピンと来ないだろうけど。それをやるかやらないか、ここに大きな分かれ道があるような気がしています。

2003.12.19 (fri)
さて、スガシカオである。
宇多田ヒカルよりも芸暦は古いのかな?ちょっとわからないけど。僕はずいぶん長い事、スガシカオはノーマークだった。
スマップの『夜空ノムコウ』が流行ったので、彼の存在くらいは知っていたのだが、実際に歌を聴いたのは、じつはまだここ一年くらい。
それで、MUSICとコトバの問題である。
スガシカオが歌う『夜空ノムコウ』を聴いて、まいってしまったのだ。
スマップのファンには申し訳ないが、あの曲はスガシカオが歌ってこそ意味があるのだ。
いや、正確には「赤の他人のスマップが歌ったって、あれだけの人の心を捉えたのだから、本人が歌うバージョンは、もう、とんでもなく素敵」なのだ。
宇多田ヒカルは、かっこいいメロディに日本語を巧みに乗っけ、忌野清志郎はメッセージをしっかり伝えるメロディーを作った。
で、スガシカオ、
スガシカオに驚いたのは、彼のは、『コトバの響きが、美しい音楽』なのだ。
歌と、楽器の奏でるメロディーによって、そのコトバの持つイメージの世界が、今まで持っていた広辞苑の意味とは違った、もっともっと美しい意味のなにかに聴こえてしまう。
万葉仮名とか、俳句、和歌、そういうものにあった、緩やかなリズムとメロディーを伴うことで、やわらかく変幻自在になる大和言葉の世界。そういうものと共通する感じ。
彼のコトバは、現代の『記号としてのコトバ』ではなくて、もっと根源的・原始的な『イメージとしてのコトバ』であるような。
それを、洋楽的な現代のMUSICの中で表現してしまった。そういう驚きと魅力がスガシカオにはあった。
 詞が素敵なミュージシャンというのは、今までにもいたけれど、それは『詞の全体』を通して聴いて、
作者のイメージの世界が伝わってくるとか、自分に共感できるとか、素敵な音楽ねとか、そういうことだった。
記号の羅列によって、全体としてイメージの世界を創りだしていたということ。つまり、ストーリー。
それがスガシカオの場合は、違う。
ひとつひとつの単語ごとに、ひとつひとつの楽器の泣き声ごとに、イメージの世界への入り口が用意されているような。
一曲の中に、無数の物語が、変幻自在の物語が、幾重にも織り込まれている。北の国から見たいなもので、『心の襞(ひだ)』だらけのMUSICなのである。
彼の持った、この不思議なコトバを例えるなら、絵の具なのかも知れない。
絵の具は、パレットに絞り出されてならんだ12色のペーストと、それがキャンバスに塗りつけられた状態とでは、まったく別の意味を・イメージを産み出してしまう。
例えばゴッホの絵。全体としてヒマワリだったり、草原だったり、橋だったりを描いてはいる訳だけど、
絵にグッと近づいて見ると、その部分部分は、チューブから出されたそのままの朱色の絵の具がキャンバスに、引っ付いているだけだったりする。
なのに、それだけなのに、不思議な事に、その朱色で盛り上がった部分は何某かの意味を・イメージを、持っている。
それは、絵全体のイメージとは別のものだったりもするのだが、決して、作者とは無関係でない、そういうなにか。
『部分』だけでみれば、その部分は、パレットの絞り出された12色の絵の具と、なんら変わることはないはずなのに、
キャンバスに貼り付いた絵の具の朱色は、まったく別の、イメージの世界への入り口になっている。
そんな部分が無数にあって、それらによって構成された、全体としての『ひまわり』。
本来、ただの記号でしかない絵の具(コトバ)が、キャンバスに乗せられることで(音楽を伴うことで)、小さな部分としてでも意味を・イメージを帯びてくる。
そういう、『記号のイメージ化』を、スガシカオの音楽には感じるのだ。
そして、そのイメージへの入り口は無数にあって、その先は聴く人によって、それぞれ違うのだろう。
個人的な体験を、思い出を、今の心境を、聴く各個人が、ごく私的なものとして、そこに投影できる。
スガシカオの音楽には、そういう夕焼けのような、センチメンタル、ノスタルジーを感じる
作品は、スガシカオ個人の私的な世界であるにもかかわらず、聴き手は、まるで昔の手紙を読み返してしまった時のような、
匂いや空気の湿度に一瞬にして包まれてしまう、胸がいっぱいになるような、懐かしさを感じてしまうのだ。
だからこそ、『夜空ノムコウ』は、スガシカオがひとりで歌わなくてはいけない。
スマップが5人で歌っていたら、せっかくの『私的な』世界への入り口は掻き乱されてしまって、見つけられなくなってしまう。
自分自身をそこに投影して、共感するというのは、まったく出来なくなってしまうのだ。
宇多田ヒカルの功績は発明だった。それゆえに、仕組みさえ解ってしまえば、誰にでもマネ・応用ができるのだが、
スガシカオのは、・・・・真似ようが無いだろうな・・・・。彼の魅力は情緒的な部分だから。
 あぁ・・・ほら、長くなちゃったでしょ。
ホントはずっと前から書きたかったんだ、スガシカオ考。けど、長くなりそうだから、「別の機会にしよ・・・」って逃げていたんだけど、
北の国から見ちゃったり、この間、初めてテレビで歌ってる動くスガシカオを見ちゃったりで、書かずにいられなくなってしまったのでした。
師走で忙しいってのにねぇ・・・

2003.12.18 (thu)
MUSICとコトバの問題。
一番最初に、日本語ロックをカッコよくやってみせたのは忌野清志郎だろう。
日本語のイントネーションを、そのままメロディーに当てはめてしまった。
「♪きぃのぉは、くるまのぉなかで、ねた♪」(スローバラード)
「♪どうしたんだ、ヘイヘイベイベー、きげんなおしてくれよ♪」
「♪こんなよるに、おまえにのれない、なんてぇ〜♪」(雨上がりの夜空に)
声に出して読んでみたら、わかるでしょ。話し言葉と、メロディーが同じような波を描く。
だから彼の歌詞は、どんなに強烈な音の洪水の中でも、きちんとオーディエンスの耳に、意味ごと飛び込んでくる。
清志郎の歌の『強さ』がここにある。まぁ、あと同時に『巧さ』もあるんだけど、それはまた別の機会に。
さて、その次に、事件だったのが、宇多田ヒカル。
日本語のモタモタした野暮ったさを、リズムに乗せるために、単語を分解しちゃった。
そんなとんでもない暴挙を、何でもないことのように、サラッとやってしまった。
メロディーと合わないんだから、バラしちゃえばいいじゃん。という今だかつてなかった、大発明。
「な、なかいめの、ベ、ルでじゅわきぃ〜を」(オートマティック)
七回目のベルで受話器を、ってこんな言い方する日本人は、今まであり得なかったのだから。
だって歌聴いたって、歌詞の意味が全然わからない。でも、音楽としてはカッコいい。MUSICとして、成立している。
このコロンブスの卵的事件によって、その後の日本語MUSICは、ずいぶん自由を獲得した。
本場に負けない、メロディーで曲を完成させられるようになった。
だって、それまでは、単語の通りに真面目に、まどろっこしいメロディーを乗っけるか、
先に作ったメロディーに合わせて、意味のない耳障りのいい日本語を、テキトウに並べてるしかなかったのだから。
さて、僕は何を言いたいのかというと、実はスガシカオについて、書きたかったのだ。
しかし、ここまでの前ふりで、けっこうな行数を使ってしまった。
と、いうわけで、明日につづく・・・

2003.12.17 (wed)
カミさんのおなかで、赤ちゃんはずいぶん元気みたい。
四六時中、自由に動き回っているようで、カミさんは、「おいおい、赤ちゃん痛いよ」と、よく話しかけている。
よく言われる話だが、今のところ僕にはまだ、父親の実感は湧かない。でもカミさんはもうすでに、お母さんのやさしい口調。
ふーん、なるほどね、なんて思ってたら、
「あっ!ちょっ、ちょっとぉ、痛いってぇ、マジ、ムリムリ、赤ちゃん!!痛いってばよぉ」
あ、地が出た。
まぁ、よっぽど痛かったんでしょう。

2003.12.16 (tue)
『北の国から』、5夜連続放送。なにも年末進行の忙しい時期に、やらなくても・・・
正月の、芸能人が騒ぐだけの番組ばっかりやってるあの時期にでもしてくれりゃいいのに。
『北の国から』は見ちゃうもんねぇ・・・仕事がはかどらないじゃないか、もう。
あのドラマは心の襞(ひだ)だらけで、いい加減に見てられるシーンって全然ないんだよな。
今日はカミさんの年賀状デザインを考えながら見てたけど、明日からはビデオにとっておこうっと。
『北の国から』の放映後1ヶ月間くらいって、田中邦衛のモノマネをする人が、街に異常に増えません?
いや、私も他人事じゃないんでね。

2003.12.15 (mon)
手袋を作ってもらった。書いとかないとね・・・・カミさんありがとう。っと。
さて、ウチのコンピューターは、『しんちょう(慎重)』と打ち込むと、真っ先に『志ん朝』と変換される。バカコンピューター・・・
志ん朝というのは、おととし亡くなった落語家の古今亭志ん朝の事である。
残念ながら、僕は一度も生で志ん朝の落語を聴くことが出来なかった。
現代の落語界で、談志と志ん朝は、長島と王みたいな存在だったのだが・・・
今日はカミさんが母親学級で居ない。
今がチャンスとばかりに、BGMを落語にして、志ん朝のお父さん『古今亭志ん生』の落語を聴きまくった。
落語は聴き慣れないと入りにくいんだけど、同じ話を2度3度と聴いていれば、何を言っているのか、どんな時代背景かは解るようになる。
言ってる事がわかっちゃえば、どこが面白いのかも、ちゃんとわかるんだけどな。
で、また、良いものは良いんですよ。それぞれの世界でのずば抜けた才能ってのは、やっぱり誰でも理解できるもの。
ピカソ、ゴッホ、ベートーベン、ビートルズ、美空ひばり、シェイクスピア、桂離宮、バチカン宮殿、ピラミッド、・・・・
超一流は、やっぱり大衆の心をつかむんだよね、ちゃんと。「・・・すげぇ」って。
そういう意味では、落語は食わず嫌いの人が多いのが残念。
まぁ、落語家もずいぶんと減ってるだろうし、という事は、全体のレベルは昔よりグッと低くなってるんだろうから、
二流の落語聴いても、たいして面白くないのは確かだし、無理もないんだけど。
でも、もうちょっと何とかならんかね。

2003.12.14 (sun)
カ゛セ゛ヲ゛ヒ゛イ゛テ゛シ゛マ゛ッタ゛
鼻づまりなのに、鼻水は滝のように流れてくる。のどの痛みは治まったが、声はガラガラ。
先日、森に浮かぶ家の見積もりが、工務店から上がってきた。
工務店が最初に出してきた見積もりは1850万円。「わぉ♪安いじゃん!」って思ったけれど、建て主さんの予算は1600万円。
そこから色々工務店と打合せをし、何とか無理のないかたちで150万円の減額に成功。それでもまだ、1700万円。
どうだろう・・・・100万円オーバー、大丈夫かなぁ・・・・、と、内容には自信アリなんだけど、心配も半分。
で、今日は朝から見積書を持って建て主さんのお宅へ。
「・・・・というかんじですが、どうですかね?」
「あぁ、良かったぁ。それくらいなら、用意できます。1800万円を超えたらムリだなって、ずっと不安だったんですよ。あぁ、ホッとしたぁ」
というわけで順調に進みそうです。いやぁ、よかったぁ、こっちもホッとした。
ホッとしたからか、夕方から風邪はどんどん悪化。
今日は早く寝ようと、風呂から上がってくると、今まさに、米英軍の記者会見がはじまった所!
隠れていた穴の映像、続いて、拘束されたフセインの映像!!わぁ、ホンモノ?なんだかスゴイことになってきたぞ!、と興奮して、濡れた頭を拭くのすら忘れる。
NHKに飽きて民放チャンネルに回してみると、あれ??
温泉番組とか映画とかバラエティーとか、どうでもいいような番組が、そのまま流れてる。報道特番やらないの?
フセインだよ?出てきたんだよ?それよりも温泉なの?ぇえ?わからんなぁ・・・・
まぁ、おかげで、こんな大事件の時でも早く寝ることが出来ましたけど。どうして温泉かなぁ?
あ、あとホームページの更新もしたんだ。Worksに3つ追加しましたので、よかったら見てください。

2003.12.13 (sat)
家づくりの会と雑誌ニューハウスの企画「居心地探検隊」に参加。
今回は江戸東京たてもの園内にある、昭和の大建築家・前川國男の自邸と、作者不詳の田園調布の家。
前川國男邸はいかにも建築家の代表作といった感の、一部のスキもないどこまでも完璧に構築された空間。
それに対して、田園調布の家は、住まいとしての心地よさを、無名の設計者が一生懸命苦心しながら作り上げた感じの、
普通に良質なお宅。
家づくりの会の年配設計者の方々には、田園調布の家の方が好評だった。「落ち着く」「居場所がある」「生活っていうものをよく考えてある」
それに対して前川邸は、「友達と一晩酒を飲むには良いだろうけどね、住むにはちょっと・・・・お寺みたいでさ」という感想。
あぁそう思うんだぁ・・・僕は、逆だな。今の僕のSOHOという環境は抜きにして、純粋な住まいとして見ても、
毎日そこで生活するなら、前川邸のような、開放感と緊張感が同時に拮抗する、凛としたところで生活したい。
田園調布の家は、毎日そこで暮らすには、落ち着きすぎる。
貸し別荘で、一週間借りられるというなら田園調布の家を選ぶだろうけど。
昼間サイクリングしたり、山登りをしたりして、夜は小じんまりした部屋で薄暗い照明の下、少しお酒を飲みながら友人と語らう。
そんな場所にはもってこいだと思った。
これは年齢的な違いなのか、世代的なことなのか解らないけれど、この二つの建物の評価は、若手と・年配ではどうも真逆にいったように感じる。
前川邸を少し弁護すると、落ち着く上質な人間的空間もちゃんと作ってあるんですよ。なんたって日本を代表する近代木造住宅です。
ただ、田園調布の家には、それ以上に『まったり』な空気が、家中全体を覆っていたので、そういう評価になったという事じゃないかな。
やっぱり年齢なのかなぁ・・・
ちなみに、前川邸は前川さんが37歳、まだ若い時代の作品。だから僕は強く共感できたのかもしれない。
田園調布のほうは不詳なんだけど、あそこまで『まったり』に支配されてると、エネルギッシュな日常生活は難しいと思うのですよ、僕は。
朝起きて、あんなに穏やかな空間に迎えられちゃったら、仕事なんか忘れちゃいそう。だから普段は住みたくないなぁ。まったりボケしちゃいそう。
あぁ、でもそうか、『老後と隠居』を視野に入れると、田園調布の家は居心地良さそうだな。
つまり、結論は、こういう事なんだ。
現役バリバリのうちは前川邸、隠居でマッタリは田園調布の家、両方住み分ける。そういうことなんだ、きっと。うん、よし。

2003.12.12 (fri)
友人からのメールに、「須永くんのDailyを読んで、僕は寝なさすぎなのがいけないんだと、反省した」そんな事が書かれていた。
彼も色々やりたがりで、しかも義理堅いお人よしな人だから、きっと自分のためにも誰かのためにも時間を使ってしまって、
睡眠を削ることで、一日の帳尻を合わせているのだろう。
僕がきちんと寝るようになったのは(正確には、『心がけるようになった』、実体はまだまだ伴っていないが)、
長生きをしたいと、心から思うようになったから。
若い頃は誰でも、「太く短く、ロックンローラーのようにパッとを咲かせて、サッと散るのだ!」と思うものだが、ここ数年、そう思わなくなった。
日々をポジティブに生きている限り、おっさんになるほど、じじいになるほど、面白い事をうんと沢山やれるというのが、判ってきた。
自分自身が、今よりもっともっと高いところへ、今の自分には想像すらつかない次元に、生きた時間の長さだけ登っていけてるみたい。
だから、もっともっと生きていたい。
もうひとつ、これは自分ではどうしようもない、外的理由。
以前テレビで見た、ガウディのサグラダファミリアの完成予想CG。建設開始からすでに100年以上が経過しているにもかかわらず、
完成までには、あと100年とも200年とも言われている、永遠に未完の建築。
CGによると、どうやら今できている部分は、表彰台に例えると、3位のくらいの部分。あんなにスゴいのに、それでも3位。
2位1位のもっと高い壮大な塔は、まだこれから創られる。3位2位1位が揃った姿、想像つく?!ホントに、見てみたいでしょ!
これを見れないで死ぬなんて、そんなもったいない事、この世に人間として生まれてきたのに、何とかして見たい!
それともうひとつ、あと数年で、宇宙旅行が普通の人でも行けるようになるという。これも絶対に行きたい!
はじめのうちは3分間の無重力体験で1000万円。まだまだ、大気圏をちょっと出るという程度で、
飛行機の延長線上という感じで、僕らが夢に描くような宇宙旅行ではないけど、
もう数十年すれば、丸い青い地球を眺められるほどの、宇宙旅行もきっと出来るだろう。
技術が進歩するための、僕が旅費をためるための、時間が必要だ。
しかも、来たるべきその時には健康体でなければならない。イキイキとしたじいいさんになりたいのだ。例えるならミックジャガー。
こんな事を思い始めたものだから、今までひどい使い方をしてきてしまった、自分の体を一度完全に修復する必要があると真剣に反省した。
つまり、簡単に言えば、寝るのは自分の幸せのためなのだ。
よい建築をうんとつくって、人から評価もされ、そこそこの金持ちにもなり、真っ青な地球を自分の目で見て、
毎日を面白く生き延びて、サグラダファミリアをギリギリまで見とどける。
そのために、いま一番大事なこと、まずは自分の体をオーバーホールしなきゃ。

2003.12.11 (thu)
買わなければ、当たらないのである。
でも、買ったって、当たらないのである。
買ったって当たらないけれども、当たる可能性だけは、買えるのである。
年二回、3枚だけ買うのが、毎年恒例。一等・前後賞で、3億円、まるごと当てるつもり。
当たったら、純金のベビーカーでも造ろうか。今日はカミさんの検診。赤ちゃん1060グラム。いよいよ、1kgの大台に乗りました!

2003.12.10 (wed)
思い立ったが吉日。
天気もいい、暖かい、仕事も一区切り付いたところだし、精神的にももういい加減リフレッシュが必要。
そうだ、ジブリ美術館へ行こう。チケットを予約し、あわてて身支度、いざ井の頭公園へ。
そうだ、あれも観よう。バスを途中で降り、動物園を抜け、北村西望の記念館へ。
ここには、長崎の平和祈念像の原型がある。『美の巨人』で初めて知った。こんな近くにあったのか。
あぐらの巨人が、右手で天を指差し、左腕を水平に広げる。天は原爆のやってきた方向、水平は平和を現しているという。
ここにあるのは原型ったって、3階建てくらいの高さのバカデカイもの。建物の中では、窮屈そう。
長崎に行ってみたくなった。
真っ青な大空を背に、しっかりと地に腰を下ろし、身動きもせず、慎重にバランスをとるように、かすかな息使い
写真でしか見たことのない、長崎の平和祈念像だけど、その姿は、慎重に世の中のバランスを取ろうとしている様に見える。
少しでも呼吸を乱してしまえば、緊張のバランスは崩れ、世の中が人々が動乱になってしまうのを、この坐像が一手に引き受けているように。
水平を指す左腕は、ピアニッシモを奏でる、オーケストラの指揮者のように、繊細なる静寂を追い、
真っ直ぐに天を指す右手は、いつ突然起こるか解らない稲妻を、指先に神経を集中させ探り、
一瞬でも早くそれを感じ取ろうとする、研ぎ澄まされた避雷針のよう。
なのに、そんな巨人の表情は、何も感じていないかのように、穏やかで温かい。
張り詰めた肉体とは裏腹に、その表情はどこまでもどもまでも、底なしにやさしい。
私が守っているから、安心なさい、心配はいらない、世界は安らかだから。とでも言うように。
狭い小屋に押し込められた原型は、肉体の力強さばかりが目立ってしまうが、広大な空が背景だと、また違う何かを感じるのだろうな。
坐像はまた、水平で人々を、天に真理を示しているようにも思える。
北村西望のことを書いていたら、ジブリのことを書くとこがなくなちゃった。
まぁ、いいか。ジブリ美術館、すんごい楽しい!!ぜひぜひ、行ってみて下さい!

2003.12.09 (tue)
打合せで、八王子へ。
T京大学前、車通りが結構ある道、信号のない横断歩道。
旧国道といった感じの、道幅の狭い道路に、初老のガードマンが3人。
黄色いハタを振り、ピッ!ピッ!と笛を鳴らし、学生を誘導する。
はじめは気にも止めず通り過ぎてしまったが、しばらくして、ヘンな違和感がモヤモヤ。
わざわざ、引き返して確認してしまった。
「誘導されてるのは・・・・・・・大学生」
僕にも覚えはある。通学路の横断歩道、緑のおばさんに黄色いハタで誘導してもらって渡った横断歩道。
『手を上げて、横断歩道を、渡りましょう』 懐かしい記憶、あれは、あれは、小学生の頃。
目の前では、ガードマンの制服のお爺さんが、冷え込む師走の夕方、黄色いハタを振る。
特徴のない大学生が、当たり前のような顔をして、めんどくさそうに横切っていった。

2003.12.08 (mon)
腹が出てきたのは、ウスウス気が付いていた。
僕はもともとかなり痩せている。そのせいで、いつも食後は胃が出っ張ってしまい、
ジーンズのボタンをひとつ外すのが、ずーっと昔からの習慣だった。のだが・・・・
最近、どうも、普段常にボタンをひとつ外し、食後には、更にもうひとつボタンを外すのが習慣になっていた。
あらためて考えてみると、ちょっとこれは、ズボンのサイズがひとつ上がってしまったということかもしれない・・・
で、数年ぶりにウエストを測ってみた。
「81cm」ぇえ?!
数年前まで、ウエスト73のズボンを穿いていたのだが、ぇえ?ほんとに??
腹の一番出ているところで測ったので、正確には『ウエスト』とは別の位置かもしれないが、それにしても・・・・
カミさんいわく、「最近ね、下腹が妙にポッコリふくれてきたなぁと思って見てたよ。明らかに、腹出てるよね、その下腹。服の上からでもはっきり分かるくらい」
ガーン!
油断していた・・・酒も飲まない、タバコも吸わない、遺伝的にも痩せ型体質だからと、甘く見ていたが・・・・マツガイナクオヤジカシテルヨ
絞ります!須永は締めます!毎日欠かさず腹筋やって、子供が産まれるまでにボタンを締めます。
いいえ、もうこれからは、毎日常にボタンは上まで閉めます。
常に腹に緊張感を持たせて、ミックジャガーのスタイルを目指します。
12月8日僕の親友ジョンレノンの命日のきょう、ここに誓うのであります!
よし、やるぞ!・・・明日から。

2003.12.07 (sun)
F邸のオープンハウスを12/27・28の土曜と日曜、やることになりました。
メディア関係にも案内状を送るので、今日は本屋さんで各雑誌社の連絡先をチェック。
立ちっぱなしてメモとってたら、もうなんだか体グッタリ、そろそろ休みが欲しい。
ウチに帰ると、カミさんがなにやら夢中になって作っていた。
深緑色の毛糸で作ったマリモのような球体を、いくつも貼り付けている。
「何作ってんの?」
「何だと思う?」
「高木ブー。」
「・・・・はぁ?もういい、あっち行ってて」
直感的に、これは高木ブーにしか見えなかったのだが・・・。
あのドリフの雷さまのコント、緑のモジャモジャカツラの、ウクレレ持った高木ブー。
でも、あの反応からすると、高木ブーでは無いらしい。じゃぁなに作ってんだろ?

2003.12.06 (sat)
F邸現場→建築道場→飲み会。
帰路に着いた0時、吉祥寺の駐輪場、僕の自転車はチェーンがはずれてしまっていた。
曳いて帰ると20・30分かかる。どうしよう・・・・ドライバーさえあれば、何とかなると思うんだけど。
・・・・・・・!、交番で貸してくれないかな?
当たってみると案外こころよく貸してくれた。
「ドライバーか、これくらいしかないけど、大丈夫?」
「えっ?スパナも?あったかなぁ?ちょっと待ってて探してくるから」
「どう、できそう?ほら、そこ、そこを山に引っ掛けてさ、クルッと回すと、うん、そう、そんなかんじで、あ、いや、下からさ、うぅ・・・・・・
あぁ、もう、ちょっと貸して。」
「よいしょ、エーっとあ、ここが引っかかってるから、はずしてから、はめなおして・・・
あら?上手くいかないな、うーんじゃ、こっちから廻して・・・・
えっ?いい?自分でやる?そう・・・難しいよ。まぁ、・・・やってごらん」
「そう、そう、うん、あ、今引っかかった、そのままゆっくり廻して・・・・・おぉはまったねぇ、いやぁ良かった良かったぁ」
「あれ?カバー付けちゃう?ちょっと待って、油さしてきなよ。クレ持って来ようか、クレ。556さ、KURE556あるから、ちょっと待っててね。
せっかくカバーはずしたんだから、こういう時にぬっとかないとね。はい、556、タップリ塗って」
「よし、もう大丈夫、良かった良かった、ハイ、じゃぁ気をつけて帰ってね。
あっ!ライトは点灯させてね。え、切れてんの線が?それじゃぁ危ないなぁ・・・、
よし!直してくか?」
『・・・・・・・・・・・・・・・・。』

2003.12.05 (fri)
無事、コンペ提出完了。
開放感たっぷりで、真っ直ぐ帰る気になれず、HMVをブラブラしていたら、つい、ニールヤングの最新作を買ってしまった。
まぁ、いいではないか。休日もなく睡眠返上で頑張っていたのだ、これくらいのごほうび。
ニールヤングを初めて買ったのは9年前、CSN&Yの『FOUR WAY STREET』という70年代のライブ2枚組み。
まぁそこそこ聴いていたのだが、じつは9年間ずーっと、ニールヤングの声が苦手だった。
「やる気あるのか!」とツッコミを入れたくなる、頭のてっぺんから空気が漏れちゃっているような声。
ロック好きとしては、あの力の抜けきったヘナヘナ声は許せなかった。
それでも9年間聴いていたのは、CとSとNのハーモニーとギターサウンドのカッコよさによるところ。
・・・・だったのだが、この数ヶ月、僕の中のニールヤングが、グイグイ評価を上げている。
もう、あの声でなくちゃ、ダメなのだ。
微量の麻薬を打ち続けて、いつの間にか抜けない体になってしまったかのように、気付かぬうちジワジワと体に効いてしまっていた。
中毒としか言いようがない。特に、アルバム『FREEDOM』、あれはヤバイ。
音楽の、スタイルとしてのロックではなく、その精神だけが剥き出しにされ、ぶつけられているような圧倒的な迫力。
先日の人体模型展あと飲んだ友人は、
「40年間、今までさんざん色んな音楽聴いてきたけど、おれは、ジョンレノンとボブディランとニールヤングがあれば、何もいらないんだと最近わかった」
そう言い切った。
その友人が「ニールヤングの最新作が、もう、すんごい!アイツだけはまだ現役だ!!」と興奮していたのが、印象的だった。
さて、聴いてみようじゃないか。
もう覚悟はできてる。

2003.12.04 (thu)
この数日コンペに出すプロジェクトをやっている。
12坪の土地に、建てる建坪6坪の、超狭小住宅。
「住宅コンペは、現場に自転車でいける範囲のやつしかやらない」、と決めていたのだけど、あまりの土地の小ささに、やってみたくなってしまった。
きのう1日かけて作った詳しい大きい模型は、プレゼンには使わない事に決めた。
審査するのは建築の初心者。構成が解りやすく伝わるように、単純な模型をもう一度作り直している。はたして終わるのか?
提出は明日。

2003.12.03 (wed)
忘年会の予約を頼まれた。
もうこの時期だから、狙っていたところは、埋まってしまったらしい。
「すなが君三鷹地元でしょ、どっかいいトコ知らないかな?」
地元で飲む事は案外少ないのでよく知らない。で、高校時代からの友人R平を頼ると、
「高校のときのG、覚えてる?あいつ実家の居酒屋継いでるよ。三鷹の北口から7・8分のところ。電話して訊いてやろっか?」
もう10年も顔を会わせていない、しかも特別仲が良かったわけでもない、いきなり自分で電話するのがちょっと恥ずかしかったので、R平に頼んだ。
そしてOK、の返事をもらったので、今度は自分で直接かけてみた。
「あ、やぁ、どうもどうも、久しぶり・・・・」相手はどのくらい僕の事を覚えているだろうか?きっとお互い思いながらだっただろう。不思議な電話。
来週、10年ぶりに顔をあわせる。ちょっと複雑な、ヘンな感じ。
電話の声・話し方は昔とずいぶん変わっていた。彼はどんな大人になったのだろう。会うのが楽しみになってきた。

2003.12.02 (tue)
ねむい・・・・
きのう夜 、仕事していて、
「えーと今2時だから、すぐ寝て5時に起きれば、よし、5時間は睡眠採れるぞ」
と、今朝、5時の目覚ましで起き、顔を洗って、さぁやるぞと机の前で気が付いた。
5-2=3
あれぇ?3時間じゃん!
気付いた途端に体がダルくなってきた。でももう起きちゃったし・・・

2003.12.01 (mon)
夕方、東京女子医大の東洋医学研究所へ、今日は僕の診察。
僕は子供の頃、爪を噛むクセがあった。しばらくして、爪から指先の少し厚い皮を噛むクセに変わった。
そして高校生頃からは、口の中を噛んでしまうようになった。
唇の裏側、頬の内側は、常に薄皮がボロボロにむけてしまっていて、時々血も出るような状態。
いつか治るだろうと思ったまま、大人になってもこのクセは続いていた。というより、大人になるほど、年々激しさを増していった。
特に考え事をしている時がスゴイ。目線が、宙を凝視しながら、脳が熱くなるほど真剣に考えている時とかあるでしょ。
そういう時、無意識のうちに、ガジガジ噛んでしまう。
2年前、興味もあって精神科(心療内科とも言う)で相談してみた。
「血中の尿酸値が高いのかもしれませんね。あとは一般的に、周りの人に対して常にやさしい人は、自分の外側に対して攻撃的にならない分、
ストレスを自分の内側に向けてしまう、つまり無意識のうちに自傷行為で解消しようとする傾向もあります」
と言われ、『興奮を抑える薬』を出してもらった。(向精神薬っていうのかな?)
一週間飲んでみて、確かに噛むクセは無くなったが、その代わり、なんにもやる気がしない、腹に力が入らない、常に無気力なヌケガラのような状態になってしまった。
エネルギシュにガツガツ生きていこうとしているのに、これはでは自分じゃない。
どうやら薬との相性が悪かったようで、すぐに飲むのをやめてしまった。
それでも、診療で先生が話してくれる、人間の心のしくみのことや、僕に合った精神の持ち方のアドバイスなどは、直接的な治療を超えた、
人生そのものに有益な話で、しばらく通い続けたかったのだが、評判の良い診療所らしく、いつ行っても2時間待ちなので、結局2・3回で行かなくなってしまった。
その後も噛み癖は抜けず、いつも常にガムを噛むようにしてみたり、カミさんに「噛んでるよ!」と注意してもらうようにしたり、対策も幾つか試みたが、
『無意識』のうちに噛んでしまうというのは、なかなか直すのが難しく、ここまで来てしまっていた。
ところが!今、ここ数週間治っているのである!いつもズタズタだった口の中がもう十数年ぶりに、今ツルツルで傷ひとつ無い!!
どんなに考え事をしていても、全然噛まない!これは僕にとってはすごい事なのだ!
いやぁしかし、何で急にピタッと治ってしまったのか、自分でもさっぱり解らない。
僕はこの一年くらい、月イチで東京女子医大の東洋医学研究所のK先生に掛かっていて、
たいした病気は無いのだが、花粉症から胃弱まで、体のよろず相談にのってもらっている。
今日、通院日で先生に「ピタッと止まっちゃったんですよ。もう10年悩まされた癖が、なんで急に、不思議でしょうがないんです」
と話したところ、「あ、そう。じゃぁ効いたんだ」とごく普通の事のように言う。こっちにとっちゃ大事件なのに!
「先月、『コンピューターで図面を描くせいで、慢性的に目が疲れている』って言ってたでしょ。あの時出した漢方薬、
アトピーの子供が体引っ掻いちゃって困るって時にもよく出すヤツなんだよね。だから噛む方にも効くんじゃないかなと思ってね、やっぱり効いたね。」
そうか、そんな話もした。それでいっしょに、噛み癖があることも話したのだった。
でもあの時は「そういう癖ってある日突然治っちったりするんだよね。須永さんもうすぐ子供産まれるでしょ。それきっかけに治っちゃいそうな気がするけどな」
って言ってたんだけど・・・『意外と』効いちゃったのか、それとも僕に意識させないための作戦だったのか、ちょっとわからないけど。
まぁ、いいや。
何でも相談できる良い主治医がいるって、いいなぁ、とホント、心から思った日でした。

さて、11月のDailyはこちらか、
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