Daily・・・日々雑感

2003.11.30 (sun)
ファミレスの定食に付いていた茶碗蒸し、季節柄か銀杏がタップリ。
「おいしい、おいしい」って食べていたら、カミさんが
「私のには一個も入ってない!・・・あっ、一個だけあった。でもあとは粒コーンばっかりよ」と不服そう。
もしかしたら、僕が銀杏だと思って食べていたのは、ホントは粒コーンだったのかもしれないが、
それでも僕は、じゅうぶん幸せだと思った。

2003.11.29 (sat)
『充分な睡眠』を自分の中で正当化できたのは、養老猛司の影響が大きい。
僕の場合、「寝ないで頑張る人ほどエライ」、という世間の呪縛から、なかなか逃れられないでいた。
睡眠は3時間〜5時間、週に1日は徹夜、仕事も遊びもとにかく頑張る、年に1・2回限界が来てダウンする。というのをずっと繰り返していた。
でもそんな毎日は、どこか頭の芯が曇った感じで、慢性的に朦朧としており、体の細胞がなんとも言えないジワジワした感じで、
常に妙な汗をかき、いつも眠気を我慢して、眠ってしまわないように気合を入れたり、呼吸を止めて集中したり。
仕事を研究を遊びを頑張ってやっているのと同時に、一日中常に睡魔と闘うことに、膨大なエネルギーを消費していた。
2年前、独立してしばらくしてから「やはり間違ってる気がする」と思い直し、今までの自分がスピードダウンするのを覚悟の上で、「試しに寝てみよう」と、
そこそこの睡眠を採る生活を、実験してみるようになった。
やってみて解ったのだが、(やってみなけりゃ解らなかった自分のバカさ加減には驚くが)、総じてこなせる作業量とその質は、
『ちゃんと寝て起きている時間しっかり頑張る生活』≧『寝ないで頑張る生活』
という結果だった。寝ないで頑張って出来る作業量は、しっかり寝た後の集中力で補えてしまうし、
慢性的睡眠不足によって、ヒラメキや余計な事を試す余裕が、じつは知らず知らずのうちに奪われていたことに気がついた。
人間の『体』に必要な睡眠時間は、1日3時間ほどなのだという。(うろ覚えなので、正確に知りたいかたは自分で調べてください)
ではなぜ8時間の睡眠が必要だと言われているのかというと、その日『脳』にインプットされた情報を処理・整理するために、8時間もの睡眠が、必要なのだという。
で、その整理中というのが、夢を見ている状態、なのだと。
コンピューターに例えると、シャットダウンの時、ハードディスクが10秒くらいシャカシャカしているあの状態とか、
デフラグやってる時とか、ノートンで効率化させている、あのカンジに似ていそうだ。
僕は欲張りだし、この仕事をしていれば、やっぱり締め切り前は、睡眠を大幅に削って・・・という事もやむを得ずある。
が、睡眠に対するスタンスは180度変わった。「活きのいい仕事は充分な睡眠から生まれる!」
TBSの特番『人間とは何だW』で解説をする養老猛司を見て、そんな事を思い出した。
※11月22日の人体の不思議展についてのコラムへのリンクがおかしかったので、直しました。
そういや、この展示会も養老猛司がからんでいたな。公式HPは http://www7.ocn.ne.jp/~karada/ と http://www.jintai.jp/top.html です。

2003.11.28 (fri)
数年前に大ブームになった『ブエナビスタソシアルクラブ』、今になってやっとCDを買った。
ブームの時も「聴いたらきっと良いんだろうな」と思いつつも、どうもあの、ネコも杓子も「ブエナビスタ!ブエナビスタ!」というあの感じがイヤで、
同調したくないというか、ハヤリモノには近づきたくないというか、なんか安っぽくなっちゃうのがイヤなんですよ。
クラプトンの『アンプラグド』の時もそうだった。「そりゃぁ、絶対良いのはわかってる!でも、だからこそ今はまだ、もったいない聴き方したくない。」
ブームが去り、世間からすっかり忘れ去られて、過去のものとなった今だからこそ、やっと世間の動き・評価とは無関係に、純粋に音楽と向き合える。
買ってきてから10日経つのだが、毎日毎日飽きることなくかけ続けている。ゆるくハマる、という感じ。
同じ日に買った『LET IT BE...NAKED』は最初のうち興奮して狂ったように聴きまくっていたけど、最近は日に1回かけるかかけないかになっている。
それに比べ『ブエナビスタ』は、買ったその日から今まで、確実に1日に2回、コンスタントにかけ続けている。ゆるくハマる、とはそういう意味。
しかしコレ、何でこんなに音が良いんだろう?キューバのあの朽ちかけた倉庫で録音されたものとはとても思えない、むしろ最新設備のスタジオ録音なんかよりも、
音がずっとクリアで臨場感がある。音が、生々しくてたまらない。恐るべしライ・クーダー。
で、また、演奏もいいんですよ、これが。九十ン歳のオジイちゃんが演ってるとは思えない、なまめかしい、エロさ漂う演奏。
でも不思議と、ねっとり絡みつくようなヤラシさは無くて、どこか爽やかなんだよね。
まいっちゃうよな、ホントに、半分ミイラみたいなオジイちゃんなのに、こんなことやられちゃうとね。

2003.11.27 (thu)
カミさんの担当医から聞いた話。
優生保護法の期間(22週)を過ぎると、中絶等は出来ないのだそうだ。日本の法律では。
おなかの子にどんな障害・疾病が発見されても、産まれてきても確実に残念な結果になると、解っていたとしても、それでも産むしかない。
昔は、お産婆さんが取り上げてみて、「こりゃダメな児だ」という時には首ひねって死なせる、という事が普通に行われていたらしいのだが、
今の日本では法的にはそれが許されていない。
倫理の問題で、意見が分かれるところだろうが、僕は「ダメな児は死なせるべき」とまでは思わないが、かといって「何が何でも生かすべき」だとも思わない。
意見の分かれる問題に関しては、一律に縛るのでなくて、選択の余地を残しておいて良いと思うのだ。
おなかの児が「産まれて来ても一生植物状態か、そう長くは生きられませんよ」と言われながら、数ヶ月おなかの中で育て、
最後には苦しく危険をともなう出産をしなければならないとは、それを望まない人にとってどんなに残酷なことだろうか。
僕には、その悲しみは想像すらつかないけれど、思うのである。
当然、産まれた後で故意に死なせれば、それはもう殺人罪になるのだろう。
今すでに、『ダメな児を発見する技術』と『母体に負担を掛けずに、途中で取り出す技術』は普通にあるのだ。
そして、世の中には、色んな人がいて、それぞれの事情、それぞれの考え方がある。
少なくともこの問題が、赤の他人に迷惑を掛けるような罪ではない以上、
こういうデリケートな問題は、お上ももうちょっとそのあたり、慎重に法律を作ってもらいたいと思う。
ちなみにウチは、今のところは幸運に恵まれ順調ですので、心配しないでね。

2003.11.26 (wed)
朝からお天気。こんな日は良い事ありそう!
見ておく土地が2件あったので、晴れた日に見ておこう。
必要な資料を準備して、プリントアウトして、あれ?プリンタが?あれ?うまく動かないな。
プリントアウトに手こずって事務所を出発するのが3時を過ぎてしまったが、まぁ気を取り直して、現場で綺麗な夕日でも見よう。
電車の中で新しいプロジェクトのプランニング。膝の上がマイデスク。しかし、熱中してしまい、乗った電車が間違っていた事に気付いたのが8駅先。
引き返し、目的の現場に着く頃には陽は完全に暮れ、開発分譲途中の真っ暗な住宅街で、ひとり寂しく調査測量。
不審者だと間違われなかったのが、せめてもの救いか。
そしてさらにもうひとつ、どうしても今日中に見ておきたかった現場へ。当然真っ暗。住宅街からは各家庭の晩御飯の匂い。ハラヘッタ・・・
土地の確認をなんとか済ませ、帰り、やはり電車を乗り過ごし、4駅もどる。
そんなこんなで、予定よりも大幅に遅れて帰途につくと、駐輪場はすでに閉まっており、預けていた自転車を出せず、トボトボ歩いて帰るハメに。
まぁ、こんな日もありますわ。なにもかもが予定を裏切ってくれる日でした。
今日は、早く寝よ。

2003.11.25 (tue)
産まれるまで男の子か女の子か訊かない、と決めている。
僕もカミさんも「男の子がいい」と言っているのだが、今日、ヒョンなことで、「女の子かも・・・」と思う瞬間があった。
たいして自信もないし、勝手な思い込みだったのかも知れないけど。でも、もしホント女の子だったら、この子に感謝しなきゃ。
車にね、轢かれそうだったんですよ、横断歩道で、考え事をしながらボーっと歩いていたもんだから。
で、わたる直前、突然女の子の声が耳元で聞こえて、驚いて「え??なに?」って、一瞬立ち止まってキョロキョロしていたおかげで、暴走車をギリギリやり過ごせた。
でも、僕の周りには女の子はおろか誰もいない。空耳?風の音?ワカリマセン・・・
でもね、これで、生まれてきた子が男の子でなくても、ガッカリしないで済むでしょ。
男の子だったら素直に嬉しいし、女の子だったら「この子は恩人」って感謝できる。まぁ、よかった、よかった。

2003.11.24 (mon)
知人の設計した住宅の見学会へ行く途中、辻仁成の『ミラクル』という本を読んだ。
「人間はずっとママに許されて生きていくんだよ」
何度も何度も読んでいる話なのに、同じところでジーンときてしまう。あともう一ヶ所ジーンと来るところがあるんだけど、それは言えない。
1時間もあれば読めちゃう本なので、どうぞ読んでみて下さい。挿絵がまた、いいんですよ。

2003.11.23 (sun)
子供用品専門のお店に行ってきた。
予定日までにはまだ3ヶ月ほどあるが、カミさんに余力があるうちに買い物を済ませておこうということで、
ウチの両親にも付き合ってもらって、4人でアカチャンホンポへ。数時間かけて、あらかた必要なものをカゴに入れレジへ。
「えっ?カード支払いですか?、ウチやってないんですよ」
ば、バカな・・・万単位の買い物するだろ、こういう店は。通販もやってるのに、店舗でなぜカード使えない!
怒ってもしょうがないので、まったくココの経営はどうなっているんだと思いつつも、その場でみんなから現金をかき集め、何とか会計が済んだ。
みなさんも、気を付けたほうがいいですよ。
その帰り、昼食に寄ったファミレスで、思いがけない事実と出会う事になった。
29年目にして初めて知った、自分の名前の由来!
『須永豪(ごう)』という名前、こう言っちゃぁナンだが、世界一カッコいい名前だと、いつも誇りに、自慢に思っている。
他のどんなプレゼントもかなわない、僕の生涯で最初にして最高の贈り物がこの『豪』の一文字だと。
だから、今までにも何度も母に由来を尋ねたことはあったのだが、返ってくる答えはいつも抽象的で、
「誰にでも、外国人にでもすぐに覚えてもらえる名前にしようと思って。女の子だったら『樹里』か『絵美理』にしようと思ってたんだけどね」と、
はぐらかされているのか、忘れちゃったのか、微妙に的をハズした答えだった。
「初恋の人の名前」とか「マジンガーZな子に育って欲しいから」とか直接的な由来が、ズーッと気になっていたのだが、
それが今日父の口から、ついに明らかになった。
「お前の生まれた日、昭和50年の7月20日は日曜日でさ、千秋楽だったんだよ、大相撲の。
で、そのとき優勝した力士が『金剛』っていう力士だったの。ほらオレ相撲が大好きでしょ、でね『金剛』から一文字もらって、『須永剛』いいじゃない!、って思ったんだけど、
オレのいとこの女の子の息子が『剛』だったのよ。で、それが離婚しちゃってさ、もともとは違う苗字だったのに、旧姓に戻っちゃったから、
子供の苗字も変わっちゃって『須永剛』になってたって事がわかったのよ。
じゃぁ、おんなじじゃちょっとな・・・って思って、他の字探したら『豪』ってのがあって字画も良かったからね、これでいっかってかんじ」
『・・・ってかんじ♪』じゃねぇだろ・・・そんなに安易なネーミングだったのかよ・・・
28年間はぐらかし続けてきた母の気持ちが、きょう少しだけ分かった気がした。

2003.11.22 (sat)
F邸の現場を見て、夕方からは、これまた久しぶりの友人と人体の不思議展へ。
そのあと、有楽町のガード下の汚い飲み屋でモツ煮込みを友人とつつく。
あぁ、こんなシワシワした表面のぐにょぐにょ、あったっけなぁ。この白いグズグズのは脳かな、あ豆腐か・・・。
イヤイヤ、味が染みててたいへん美味しゅうございました。
やっぱり、世の中には知らない方が良いこともあるのかも知れない・・・・。

2003.11.21 (fri)
森に浮かぶ家を工務店に見せた。まぁ、そんなに悪くない反応だった。さぁ2週間後にどんな見積書が上がってくるか。楽しみであり、不安でもあり。
このところ2軒、1000万円台の家をやっているが、実感として、やはり1000万円台で家を建てるのは、並大抵のことでは無い。
夕方、打ち合わせ帰りに、久しぶりに友人と会った。
自転車で20分ほどの距離に住んでいて、お互い自由業で時間の自由は利くはずなのに、何故かなかなか会えない。
「近いうちに、そうだなぁ今月中にでも遊びに行くよ」と言ったのが5月だった。
それから何度もメールでtelで、「ホント近日中に行くから」なんて事言いながら、11月になってしまうのだから恐ろしい。
今日のも、会ったといっても、お互いタマタマつくれた時間の隙間で、1時間ほど喫茶店で話をするくらいしか、できなかった。
ホントゆっくり話がしたいやね。

2003.11.20 (thu)
床屋さんから面白い話を聞いた。
「よく言われることだけど、女の人はとっても現実的ですよね。それは誰に教わるわけでもなく、子供の頃からそうなんですよ。
女の子の夢は『看護婦さんになる』とか『かわいいお嫁さんになる』とか多いでしょ。
そうやって、女の子がすでに現実的な夢を語っている同じ時期に、男の子の夢って途方もなくデッカくて、
『ウルトラマンになる!』
・・・・・・・・・・。
この差なんですよ、男と女は。これはね、大人になっても変わらないですよ。
ただね、女の人は常に現実的なんだけどね、ただし、自分を良く見せよう・綺麗に見せようというような、自分自身にまとわり付いてくる事には関しては、大きな夢、というか幻想を見ちゃうんですよね。
雑誌と同じ髪型にして綺麗になった自分、看護婦さんになって『優しい看護婦さん』って人から言われている自分。この時ばかりは希望と夢がゴッチャになっちゃって、現実が分かんなくなっちゃう。
男の人ってそういうのないでしょ。自分が人からどう見られようが、どうでもいいって言うか、『そんなことよりもっと重大な事がある!』っていつも思ってない?」
思います、思いますとも、いやぁまったく同感、解りやすいお話でした。

2003.11.19 (wed)
ここ数年、忘れっぽくなった。
正確には、記憶するのをやめるようになった、と言ったほうがいいかもしれない。
20代前半までは、雑学大王と呼ばれるほど、情報を溜め込み、知識を増やす事に喜びを感じていたのだが、最近は情報に意味を感じなくなってきた。
物事をすべて詳しく正しく頭の中に入れ込んでおけば、それはそれで大したものであるのだが、
今の時代、情報は無限にあり、しかもありふれており、そのすべてを記憶していたらキリがない。
「あんなモノがあったな」という程度のあやふやでいいから、頭の中にインデックスだけ貼り付けておけば、
インターネットのキーワード検索で、いつでも正確な情報に、いとも簡単にたどり着けてしまう。
90年代と比べて、『情報』の価値は格段に下がった。
だれでも自由に取り出せる知識なんかに、たいした意味など無いことがバレてきた。結局、いつまで経っても、知識は借り物でしかなかった。
情報は無限だが、僕たちの持ち時間には限りがある。
脳は情報を溜め込むハードディスクとして使うのではなく、その場面場面で物事を感じ取る、「センサー」としてつかうと良いのではないだろうか。
研ぎ澄ませて、研ぎ澄ませて、より感度の高いセンサーで物事を正確にとらえる。
『知識』が活きてくるのはその次の段階。
その物事を処理するためには、どんな知識が必要か、現代の情報の洪水の中から「コレだ」という最も適したひとつを選び出す。
またここでも、処理の方法にセンス(センサーの性能)が問われてくる。
やっぱり情報は、もういらない。
むしろすべて忘れてしまうくらいの方が、判断にブレがなくて良い。
そして何よりも、「それ知ってる」と言える場面に出会うよりも、知らない事に出会って衝撃を受けたり、感動したりする方が、はるかに心豊かな生活だと、今の僕は思うのです。

2003.11.18 (tue)
ちょっと嬉しい事があった。
今年のはじめ、仲のよかった魚屋さんが、いつの間にか消えるように、誰にも何も言わずに空き店舗になっていた。
「おう、アジ持ってかねぇか!」
「う〜ん、今日はこれだけでいいや」
「・・・そうか、・・・いらねぇか」
最後になるとは思わずに、交わした言葉。いつになく寂しげで、意味深に聞こえたので、いまでもよく覚えている。
あれからもうすぐ1年になる。
「夜逃げしちゃったのかな・・・」と思っていたのだが、どうやらそうでもないことが、風のウワサで伝わってきた。
もちろん、そんなにハッピーな事情じゃなさそうだったけど、それでも最悪なことでもなかったみたい。少しホッとした。
市場でいいものが入った日にしか店を開けない魚屋さんだった。だからこの店においてある魚は、みんな飛びきりモノがいい。
「みてよ、こんないい魚、まず店に並ばないよ、こんなのは高級料亭がみんな持ってちゃうんだから!」
確かにいつも何を食ってもウマかった。ココの魚を食べてしまったら、もうヨソのは絶対買えない。
いつもよくしてくれて、閉店間際に行くと「あれもコレも持ってけぇ」とたっぷりオマケをしてくれた。魚のさばき方もおっちゃんに教わった。
元気かなぁ、おっちゃん。今どうしてるんだろう。

2003.11.17 (mon)
待ちに待った『LET IT BE...NAKED』を買ってきた。
3日前に先行発売された日本盤はコピーガードCDになっていて、PCで聴けない。なのでUK盤が出るまで待っていた。
いやぁ、賛否両論あるとは思いますけど、僕的には、いいですよコレ。すごくいい。
まず、音が素晴らしく太い。太くて圧い。驚いちゃった、BEATLESの音なのによ。
あとはなんと言ってもTHE LONG AND WINDING ROAD。ポールはずーっとあのストリングスに文句をつけていたもんね。
で、どうなったか。
既発のバージョンは、おっちゃんカラオケの定番フランクシナトラのMY WAYのように「壮大に歌い上げちゃう」かんじになっていたが、今回のは、「素朴な心のつぶやき」って感じになっていた。
全然こっちのがイイじゃん!!これはもう、まったく別の曲ですよ。FREE AS A BIRD以来の新曲と言ってもいい。いや、それは言いすぎかもしれんが。
でも、この時代に生きてて良かった。確かに前のバージョンと比べたら、ポールがあんだけ文句を言い続けたのはやっぱり正しいわ。
あっただこのアルバム、まだ聴いていない人は期待はあんまりしない方がいいです。全曲ガラっとイメージチェンジしているわけじゃないし、ボーナストラックもマニア以外にはあんまり・・・だし。
でもねぇ、いいんですよ、これ。アンソロジーと違って、なんたってオリジナルアルバムですから。
さぁ、もういい加減そろそろ、他のオリジナルアルバムも、どんどんリマスターして発売してくださいよ。がんばれポール!!

2003.11.16 (sun)
森に浮かぶ家、建て主さんに実施図を確認してもらい、来週いよいよ工務店に見積り出し。
いやぁドキドキしちゃうなぁ。コストの事、もちろん考えながら設計しているのだけど、どんな見積もり金額が出てくるのかは、各工務店によって違うので。
合い見積もりの場合、上と下とで2割は違う。2000万円と1800万円じゃ、自動車一台分違ってるんですけどね。
夜、きのう買ってきたイスを修理する。もう20年以上経っているだろう、古いイス。
ひととおり雑巾で、念入りに拭いてあげる、と、あちこちガタがきているところが目に付く。そこで、ビスを締めなおしたり、緩んだホゾにボンドを流し込んだり。
床にアグラをかいて、イスは傷がつかないようひざの上にのせ、こっちへ傾け、アッチへひっくり返し・・・格闘する。
そんな事をしているうちに、小汚なかった古ぼけたイスは、不思議に愛らしい存在になっていく。
元の場所に立たせてみると、さっきまでとはまるで違う、内側からの輝きを放ちはじめた。
うん、まだまだ数十年、もっと美しくなるぞ、この子は。

2003.11.15 (sat)
イスを持って電車に乗るのは妙なもの。
F邸の現場からの帰り、オークションで買ったイスを引き取りに行ったのだが、「ハイどうぞ」と渡されたものは梱包はされていない、生のイスだった。
まぁ仕方がない、おかげで混んだ電車でも、僕はイスを持っているのだ。確実に座れる。・・・はずだった。
が、やってみてくださいよ、絶対に出来ない。気恥ずかしくって。
結局、カバンをイスに載せてみて、人間は立ちっぱなし。「いやぁ荷物が多くてね、困っちゃいますよ」みたいな顔をして。
人間の心理は奥が深いのう・・・
その後、吉祥寺のパルコブックセンターで1時間ほど立ち読みし、さらに、HMVで1時間CDを物色。もちろん小脇にはイス。
電車に比べたら、イスをぶら下げてショッピングするくらい、朝飯前っすよ!

2003.11.14 (fri)
最近ココに、あまり仕事のことを書かなくなった。
ホームページををつくった時に、仕事のページ個人のページ(いまだ製作途中)は別にした。
「僕が日々どんな事を考えていようと、それとsurvival designは別、家をたてたいなぁというだけの人に、こちらの人間性まで押し付けるような事はしたくない」、そう思って。
Dailyの当初のコンセプトは『今日こんな仕事をした、とか建築の周りのゴニョゴニョを、4行で書く』だったのだけど、最近はまったく守っていないな。
しかしこのHPへのアクセスは最近なぜか伸びている。この夏までは1日せいぜい20人くらいだったのに、このところ多ければ60人くらいのアクセスがある。
増えたから今のやり方が良いとは限らないけど、書いている本人は今のほうが楽しいので、しばらくこのまま行きます。
スタート時に決めた事にこだわらず、その時々で細かく補正しながら、やっていきます。
最近「HP見てるよ」と声をかけてくれるのは、友達と同業者が多い。
ホントは仕事になりそうな人に見に来てもらえるといいな、と思ってつくったDailyだが、嬉しいからまぁいいや。
アクセスしてくれる人々、とりあえず、いつもありがとう。

2003.11.13 (thu)
633グラム、まだそんなもんなの?カミさんのお腹は、すでにパンパンで「もうムリだってば」って言っているように見えるけど、これからまだ4倍大きくなるのか。
たいへんだな女の人は。
カミさんの検診の帰り、電車で立っていたら、前に座っていた女性が、「あ、次の駅で降りなくちゃ」とでもいう様な仕草でスッと立ち、
僕らと目を合わせる事もなく、ちょっと離れたところで、吊革につかまった。
この電車は急行、次の駅までまだしばらくかかる。これはどうやら、カミさんに席を譲ってくれたみたい。
でも、なんかヘンな感じ。「自分の都合で席を離れたんです」という感じのアクションで、お礼も言いにくかった。
と、ふと、これと同じ事、普段自分もやっている事に気がついた。
席を譲るのに「どうぞ」なんて言うほど、善人っぽい事はなんかイヤだし、立ったところで、「ご心配なく」とか「イエイエ次で降りますから」とかなったらメンドクサイしな。
かといって、早いもん勝ち権を平然と主張できるほど図太くないし、やっぱり気になっちゃう。
なんか、メンドクサイから立っちゃおう、で、気にならないところにでも離れていよう。座るか座らないかはその人の勝手にさせときゃいいんだし。
という時、さも「自分の都合で立つだけです」という素振りをする事、そういえば自分でもたまにやっていた。
最近ようやく、普通に「どうぞ」と言えるようになったけど、この『普通に』を普通にできるようになるのには結構時間がかかったな。
最近、カミさんと出かけていて気が付くのは、妊婦さんに席を譲ってくれるかたは、若い女性に多い。あと意外な事には外国人。
日本人はシャイだからなんて、いつまでも自己弁護してちゃダメね。

2003.11.12 (wed)
お腹が重くて、寝ててもツライ・・・と言うカミさんに、ネット通販で注文した抱きマクラが届いた。
えっ????・・・・長い、そして、太い。
まるまる人間一人分ある。家族がひとり増えちゃった感じ・・・。
高校生のころコンサート会場の警備員のバイトをしていたのだが、熱狂しすぎて倒れちゃう女の子を寝かせておく避難場所を、
「マグロ置き場」と呼んでいたのを思い出した。ドテッとだらしなく、泡吹いて横たわったデクノボウ加減がよく似ている。
この存在感の大きさは、ヘンに青いからかなぁ・・・・試しに白いシーツを掛けてみた。
なんだか、胸の中がモヤモヤする。マズイ・・・これは犯罪者の気持ちだ・・・ボクハコロシテナイヨ
せっかく買ったのだから、好意的に捉えたかったのだが、うぅ・・・何をやってもダメ。
結局、返品して、もうちょっと小さいヤツに交換してもらうことにしました。ありがとう田村フトン店さん。

2003.11.11 (tue)
「えーと、R平だけど、また電話します。ピー」
携帯の音を切っていたので、友人からの電話に気がつかなかった。
掛けなおそうかと思ったが、やめた。
彼は高校時代からの友人で、今は自宅を仕事場にしてWEBデザインをやっている、僕と同じく自営業。
だから時間は不規則、徹夜で仕事して昼間に仮眠を採っている事もあるだろう。
急ぎの用なら「電話ちょうだい」って留守電に残すだろうし、
もしかしたら、これからお客さんと打ち合わせで、電話には出られないから、「また電話します」と残したのかも知れない。
彼の都合で、また掛けてくるのを待っていよう、と思っていたら、その日はもう掛かってこなかった。
明けて今日、連絡を取ってみたら、
「えぇ?待ってたの?留守電になってたから仕事忙しいのかな、と思ってさぁ、須永が時間の空いたときに、掛けてくれるかなと思ってさぁ」
高校時代は自分の都合で相手に連絡するのが当たり前だったのにね。
大人になったというのか、社会性を身につけたというのか、思いやりが備わったのか。お互い成長したのかもね。

2003.11.10 (mon)
選挙と同時に、裁判官の信任・不信任の投票も行われる。
毎度の事だが、投票所に行ってから「あ、そうだったの?」と気が付く。
裁判官の方はメディアでまったく話題にされないので、困る。
せめて、誰がどんな事件を担当し、どんな判決を出したのか、まとめておいて貰いたい。
普段のニュースで報じられる判決に、「そりゃ軽すぎるだろ」とか「杓子定規でだめなヤツ」とか思う事もあるし、
「現在の刑法ではココまでしか課せられないが、事の重大さ被害者の心境を考えると、刑法を見直すべきである」みたいな、
人間味あふれる判決コメントをする裁判官には好感を覚えることもある。
でも投票所で、いきなり10人くらいの名前がズラズラっと書かれて「不信任には×をしてください」と言われても、困っちゃう。
だから毎回誰にも×をつけることなく、投票箱にポイ。つまりそれは「全員を信任している」って事として集計される。
僕みたいな人多いんじゃないのかな・・・
中には(極少数だろうけど)、きちんと裁判官の事調べていて、信念を持って信任・不信任をする人もいるだろう。
特に過去の事件の当事者・関係者にとっては、重大な投票のはずだ。
そんな、ちゃんとした意見を持った人にとって、僕らのような「分からないから全員信任」は腹立たしいだろう。ごめんなさい。
投票してしまってから気が付いたのだが、こういう場合は『全員に×』を付けるのが良いのではないだろうか。
そうすると、自然に「信任・不信任をきちんと判断している人」の意見が浮き出てくるハズ。
いや、×をつけなくても、投票箱に入れないって手もあるか。
ん?それ以前に、『信任には○不信任には×、記入ナシは棄権票とみなす』という制度の方が、より公正なはずだなぁ。
こりゃぁ、制度を見直すべきだろう。
ほとんどの人は衆議院議員選挙だと思って来ているのに、「いらっしゃ〜い、はいはい、裁判官も決めていってね」って有無を言わさず投票用紙を渡されちゃったら、
つい白紙で出しちゃうもんね。で、それを逆手にとって「白紙は信任」ってのはなんか陰謀めいたものすら感じる。
なんでこんな簡単な事が・・・と思う事って多々あるのに、改善されないなぁ・・・、まったく日本はよぉ!

2003.11.09 (sun)
夕方から、F邸の壁に貼る和紙の打ち合わせ。その後、久しぶりに吉祥寺のラグーンというイタリア料理屋さんで食事。
帰ってから選挙速報を見る。
不謹慎だが、正直に言うと、僕は事件・事故が好きだ。
9.11のテロとか、高速バスジャックとか、ジャンボ機墜落とか、北朝鮮とか、情報が限られ、憶測が飛び交い、刻々と変化する情勢。
今回の選挙でも事件的なオモシロさを期待していたのだが、まぁ事前の予想通りのようでちょっと残念。
ところで、民主党の人たちって、年々顔が菅直人に似てきていないか?
時々TVタックルとかに出ている末松義規とか、埼玉知事の上田清司とか、元NHKアナウンサーの小宮山洋子とか。
まるで、最初は母親似だった少年が、中年になるにしたがって父親に似ていくような・・・ちょっと不気味。

2003.11.08 (sat)
F邸打ち合わせ→F邸現場→先週も行った写真家のスタジオ→朝倉彫塑館→トルコ料理屋さん というコース。
彫塑家の朝倉文夫の元住居兼アトリエを、今は美術館として一般公開している。
家づくりの会の居心地探検隊という企画で行ったのだが、建築としては我流のちゃんこ鍋みたいで独特。
『素敵』というよりは『オモシロイ』。それぞれ個別に見ていくとナカナカいい空間もある。
しかし、何よりも彫塑がスゴイ!体の芯がビリビリしびれちゃう。
『墓守』、『大隈重信像』、『・・・あれ?なんだっけ忘れちゃった・・・』 などの前でいちいち動けなくなり立ち尽くす。
心臓をわしづかみにされ、息が止まる。
芸術ってきっとこういうものなんだね。有無を言わさず心を捉えてしまうもの。理屈なんかいらない。

2003.11.07 (fri)
毎朝ラジオを聴いている。きまってNHKのAM。
ところが最近は、毎日毎日同じ政見放送が繰り返し流されていて、なんだかマインドコントロールされているようにも思えてくる。
選挙には、これでも一応欠かさず投票所に足を運んでいる。強く支持している政党はない。だから無党派層になるのかな。
毎回欠かさず行く理由は、ひとつ。文句を言う資格を取得するため。
「まったく日本はよぉ」とか、「政治家が悪い!」とか、「役所の職員はアタマが悪い」とか、投票すらしていないヤツに、文句を言う資格はないでしょう。
「誰に入れたって・・・」と思うなら、白紙で投票箱に入れれば良いのだから。不満があるなら、投票くらいしておかないとね。
あぁ早く、投票なんか行かなくて済む世の中になって欲しいものだな。

2003.11.06 (thu)
午後からガウディ展へ。
ガウディの学生時代の自筆の立面図があった。
すごく細密に描かれていて、一枚の絵に込められた真心を強く感じた。
サグラダファミリアが彼の死後延々とつくり続けられている理由が、わかった様な気がした。
純度の高い想いを感じているのだろうな。

2003.11.05 (wed)
日本人は、使い慣れた言葉は、語尾が上がるという法則があるらしい。
語尾が上がるのは、大和言葉の特徴なんだそうで、(・・・らしい、とか、・・・だそうだ、とか、いつも出所不詳の情報だなぁ)
大和言葉というのは、日本古来の外来語・漢語でない言葉のことを指すらしい。
日本語では、もともと日本にないもの、外国から入ってきたものはカタカナで表記される。
外国人から言わせると、
「日本語の仕組みそのものが、よそから入ってきたモノがいつまでたっても自然な定着をしない、排他的に出来ている」のだそうだ。
確かに、アルファベットの国々では、自前の言葉も輸入の言葉も同じアルファベット表記で、そのうち溶け込んでしまう。
また、中国語はコカコーラを『可口可楽』と当て字にしたりして、輸入の文化を上手く消化している。
可口可楽、口に入れると面白い事になるよ、ってことかな?イメージもちゃんと伝えちゃう当て字。ウマイなぁ。
でだ、外来語でも使い慣れると語尾が上がることがある。
これは、『音』の上では大和言葉化したということだろう。
語尾を上げると、「その道に関しちゃちょっと上級者よ」みたいな、ワザワザ言わないけど分かってねって、ちょっと高飛車な雰囲気がある。
「ファイルのエラーでシステムがフリーズしちゃってバッファーが・・・」なんて言われると、ムカツクけど平身低頭で従わざるを得ない。
そんな、上級者を匂わす外来語の日本語ナマリ化、つまり大和言葉化。
「シャネルの帰りにクラブでカレシが・・・」なんて会話、ウンウン、よくありそう。
ところが、これが『クラブ』ではなくて『ディスコ』になると、そうは行かなくなる。
「ディスコでカノジョがアニキのモンペに肥料サ付けてナ・・・」
・・・・・・。
ディスコはやっぱりディスコであってディスコない訳だ。語尾を上げると途端に土臭さくなる。
この差はなんだろう?
そこでひとつ仮説を立ててみた。
いっときハヤったけどすぐスタれたものって、語尾が上がらなかったために、いつまでも借り物感覚を拭えず、背伸びがつらくなってしまい、すたれていったのではないだろうか?
もしこの仮説が正しければ、流行を定着させるためのセオリーが見えてくる。
その新しいものが人々に浸透した頃、一部のオピニオン的人々から語尾上げ読みで呼んでもらうようにすると、徐々に以下の一般人の自尊心をくすぐる言葉となり、最終的には定着していくのではないだろうか?
 新聞の広告欄の片隅にあった、『ディスコ』の文字に懐かしさを覚え、こんな事を考えていた日であった。
(いや、一日中考えていたわけじゃないよ。一瞬ひらめいただけで。ちゃんと仕事してますよ)

2003.11.04 (tue)
僕は『僕』で『ワタシ』というのはどうも馴染まない。
大人は社会人は『ワタシ』でいくべきなのだろうけど、もう10年社会人やっているが相変わらず『僕』で通してしまっている。
『ワタシ』だと、なんだか「立場で話しています」という気がしてしまって、ひとりの人間としての責任が希薄になってしまう気がする。
ウチは株式会社でも有限会社でもなく、ただの個人事業者。
「アイツが設計した」という責任は僕が死ぬまで付きまとう。法的な事は別にして、社会的気持ちの上で。会社は消滅できても、個人は「無かったコト」にはできない。
日常生活からしたって、仕事とプライベートの境目は無い。
普通は、事務所の玄関を出てしまえば、休日を迎えれば、仕事とは離れられるのだろうが、ウチでは「風呂上りのもうひと仕事」が当たり前。
仕事が生活であり、生活が仕事。
お風呂掃除していたって、それは管理しやすいお風呂の研究になってしまうし、テレビを見ていたって、家と家族におけるテレビの関係性の研究にもなっている。
いつもの、見学会→勉強会→飲み会は遊びで行っているわけではなくて、やっぱり仕事の役に立つというのが一番の理由なのだ。
そういうわけでウチのカミさん、「自分ばっかり楽しんでてズルイ」と言わないでくださいな。
『海外研修』だけは、ひとりで行かないようにしますから。
たしかに毎日楽しい。僕ばっかり楽しんでいるように見えるかもしれない。
でも、リスクも責任も負った上で、仕事を楽しくアレンジしているのです。ボクは。

2003.11.03 (mon)
ひと段落したので仕事部屋の片付け。
半日で終わらすつもりが結局丸一日掛かってしまった。
メーカーから送ってもらうカタログの整理が大変。たいてい年に一回、新商品・廃盤商品がでて改訂版が発行される。
構造用の合板・金物、外壁材、塗り壁、アルミサッシ、タイル、便器、厨房器具、スイッチコンセント、ドアのハンドル丁番、照明器具、物干し金物、食器洗い機、エアコン・・・
さらに製品ごとに複数のメーカーがあり・・・その数は無限大。
設計事務所の多くは1〜5人の小規模事務所。そのそれぞれの事務所が大量にカタログをストックしている。
メーカーは、通販のカタログのようにきれいな紙にカラーの、電話帳よりも厚いカタログを電話一本で翌日には宅急便で届けてくれる。
サービスのいいところは、営業マンがわざわざ届けに来たりもする。
カタログと宅急便にかかる経費は、メーカーの負担。僕らにとってはありがたい事だが、その費用は製品代に上乗せされ、建て主さんが気づかぬうちに支払っている。
建て主さんがどんなに苦しい思いをして、建築費用を捻出しているか僕らはよく知っている。だからこそ、一個300円のコンセントだって、無駄のないように注意深く位置を決めてるのに。
だからウチはカタログもやたらに請求しないようにしている。インターネット上の各HPで確認して、必要なものしか取らない。
そう心がけてはいても、2部3部と余計に送られてきたり、請求もしないカタログが勝手に送られてきたりする。
紙は有限な資源だし、エネルギーは公害になるし、いらないものはゴミになり、処分は環境を悪化させる。
そして、そのゴミを生産するためのお金は、すべて建て主の建築費に上乗せされていく。
メーカーからいらないものが届くたびに、悲しい気持ちになってしまう。こんなシステムはサービスとは言えない。
なので、これからは、いらないものを送ってくれるメーカーにはきちんと社長宛に抗議をしようと決めた。
「・・・という理由で、私の大切なお客さんのお金を、あなた方の浪費にはさせられません。よっておたくの製品は使いません!」
本当のサービスってそういう目先のもんじゃないと思うんですよね。

2003.11.02 (sun)
この爽快感がたまらない。
臨戦態勢で図面を書き上げ、ひげを剃ることすらもどかしく八分剃りくらいで打合せへすっ飛んでいく。
2ヶ月ぶりの顔合わせになってしまったが、この建て主さんとの打ち合わせ、僕は大好き。
天然にポジティブシンキングのご夫妻で、いつも僕は元気と自信をもらっている。
例えば、「照明器具をカーテンボックスの上に取り付けて間接照明にして器具が見えないようにしましょう」と提案すると、
「え〜?器具が見えないんですか?天井がぼわっと明るく?わぁ素敵!」と返ってくる。
「ただ、照明器具の部分がホコリだまりになってしまうのは避けられませんが・・・」と付け加えるも、
「でも蛍光灯が見えないんですよね。ホコリもどうせ見えなくなっちゃうわけでしょ。すご〜い!」となる。一事が万事そう。
久しぶりにお会いして、基本的には提案のすべてにOKをいただけた。今までこんな素敵な仕事をさせていただいた事は無かったな。
続いた睡眠不足と、戦闘状態の徹夜作業のあとの打ち合わせ。
夕方帰宅してゆっくり湯につかり、ぐなぐなになった体をマッサージチェアでうぃんうぃんされながら温かいご飯を食べて、
疲労+喜び、の組み合わせがもたらす、最高の快感をじっくり味わう。

2003.11.01 (sat)
午後から、F邸の現場を確認し、知り合いの建築家Yさんのオープンハウスに行く。
この物件は、いつもYさんの建築写真を撮っている、写真家Wさんのスタジオ兼住居。
Wさんの写真っていいなぁといつも思っていたので、初めてお会いする事ができ感激。
あらためてWさんの作品を見て、図々しいけど、僕の感覚と近いものをすごく感じた。
動的よりは静的、止まった時間を一歩引いたところから眺めているような空気感。
モノや風景を写しているというよりは、そこにある空気を空気感を表現しようとしている。
Wさんはもともと建築写真家ではなかったらしい。Yさんがたまたま個展に訪れ、「私の建築を撮ってよ」というところから始まったのだと。
Yさんも素晴らしい嗅覚をしている。嫉妬してしまうなぁ。
そして夜は建築道場へ。
F邸を共同設計している先輩から「Dailyいつも読んでるよ」と言われる。
え??このページ知ってたの?「いやぁ実は僕もあなたのHPの日記こっそり読んでましたハハハ」
お互いにこっそり様子を探っていたようだ。面白いね。
さて、明日は森に浮かぶ家の打ち合わせ。これから図面の続き描かなきゃ。

さて、10月のDailyはこちらか、
右のバックナンバーメニューからどうぞ。